「焼骨を手で拾う」・・・新刊本のタイトルのようですがそうではありません。
先日、静岡三島の葬儀に行ってきた時の話です。
葬儀にまつわる慣習もその土地土地によっていろいろあるのですが、今回はまた新たな発見がありました。
火葬場でのこと。
収骨というと二人の人間がそれぞれ箸を持って一つの骨を二人でつまんで骨壺に入れ、残った体の骨は係員がまとめて骨壺に入れ、最後に頭蓋骨や俗に喉仏といわれる頸椎の一部、顎の骨などを近親者が渡し箸で骨壺に入れるのが一般的なやり方ですが三島のある火葬場ではちょっと違っていました。
最初は参列してる人たちが普通に二人づつ箸で骨をつまんで骨壺に入れ、残った体の骨を係員が骨壺に入れるところまでは同じなのですが、そのあと最後に収める頭部、頸椎、顎などの骨は近親者が素手でつかんで骨壺に入れるようにと係員の方に促されていました。そういうやり方は初めて見ました。
高温で焼いているので衛生面では問題がないのかもしれませんが、まだ多少熱いかもしれませんし人によっては抵抗感を持たれることもあるのではと思われました。
重大な感染症が死因の場合はどうするんだろうとかいろいろ気になることもあります。
わざわざしていることですから何か意味があるのでしょう。
いろいろな慣習もある程度これはおそらくこういう意味があるのだろうなと推測することができる場合が多いのですが今回は全く想像できません。
どんな意味があるのか知りたいものです。