
今日、親戚の葬儀に大月の葬祭場まで焼香に行ってきました。雨も降っていましたので、大月まで中央高速道路を使って1時間ほどかかりました。
葬祭場に着いて受付に香典袋を出すと、「そちらで記帳をしてから来てください」といわれました。
よく見ると、受付のそばに、香典記帳所と書かれたコーナーがあって、そこには、備え付けの用紙があり、住所・氏名・電話番号・香典の金額、親戚・友人等故人との関係等を記入させられました。供物・生花などを書き込む欄もありました。
そして、言われた通り、その用紙に香典袋を添えて受付に提出しました。すると、受付の方が、その場で香典袋を開けて金額を数え始めました。ちょっとびっくりしていると、もっと驚くことが。
後から来た方々が、香典記帳所で記入した用紙に現金をそのまま乗せて、受付に提出していました。びっくり仰天です!
たしかに香典を持ってきた本人がすべてを記入しますから、間違いもなく合理的です。お金をむき出しにして、提出するのはそのせいでしょうか。 普通は香典袋に住所、氏名、金額などが書かれていますから必要ないことなのですが。
甲府では、受付自体、一般・親戚・友人・会社関係などに分けて窓口が設けられており、それぞれの受付に香典袋を出します。
そして、受付では、香典袋を出された方の名前と住所を記帳し、受付の奥で袋に書かれている金額がはいっているかどうか、間違ってお金を入れ忘れて空になっていないかを確認します。会葬者の目の前でお金を数えることはあまりしません。
場合によってはお金を集計したり、あるいは香典袋を受け取るだけのところもあります。
葬儀・通夜ともに焼香する方のために、通夜の日に記帳台がでることはありますが、大月のように会葬者に香典の金額まで書かせることはありません。
ましてや、香典をむき出しの現金のまま、差し出すなんて考えられないことです。重大なマナー違反、ありえない行為です。
こういう甲府のやり方に慣れていましたので、本当に驚きました。
それぞれの土地で、それぞれのやり方があるでしょうから、あまり批判はしたくないのですが、お金を香典袋に入れずに裸のまま差し出すのはどうもいただけません。
何でも合理的にすればいいというものでもないでしょう。
香典は品物を買うのとは違います。
香典袋の中にはお金だけでなく、故人を哀悼する気持ち、遺族を思いやる気持ちをそえてお供えするのです。
品物を買うように、現金だけを差し出す行為に気持は添えられているでしょうか。
「そんなことはわかっている」といわれるかも知れません。しかし、時が経てば、その意味すら分からなくなってしまうのではないかと心配します。
それぞれの所作、しきたり、行為には意味があります。その形をなくしてしまえばその意味も失われてしまいます。
本当に大切なものは、何なのかを考えてみる時期が来ているのではないでしょうか。
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