もともと諷経(ふぎん)とは導師の声に合わせて一緒に声を出して読経することとされています。
そして地域によっては葬儀などの際、喪主の親戚などが自分の菩提寺などの僧侶を個人で頼んで葬儀に出仕してもらう諷経僧という制度もあります。その際その僧侶に対してのお布施は喪主ではなく頼んだ個人が出すということになっています。
しかし、通常私や私の周りで諷経といえば儀式をつかさどる僧侶としてではなく、列席者として儀式に参加する僧という意味で使われています。
たとえばある方の葬儀に菩提寺や菩提寺が依頼した役僧(導師と一緒に葬儀を司る僧たち)とは別に故人と懇意にしていた僧侶が列席者として出席した場合、導師に近い場所に諷経席という別の席を設けて座っていただくことがあります。それを諷経あるいは随喜と呼ぶのです。
随喜というのは法会に列席いただきともに経典を読誦し、焼香していただいたことに対し大変感激していますということを意味する言葉です。
諷経席に座る場合は一般席に座るあるいは焼香だけで帰る場合の略式な衣・袈裟ではなくそれ相応の正式な装束をすることがマナーとされています。
そして何をするかといえば、葬儀を司る菩提寺と同じ宗派ならばいっしょに読経し、別の宗派ならばお経が違うこともあるので一般列席者と同じように合掌して式に臨みます。
そして焼香の際には導師の次、喪主の前に焼香をしていただくこととなります。
諷経席に座るということは僧侶としてできる限りの心づかいで故人をお送りする、あるいは供養するということで、菩提寺の僧侶はともに読誦・焼香をしてくださってありがとうと敬意を表することとなります。
そして故人の家族・喪主にとっては一般列席者としてではなくわざわざ正装し心づくしの対応をしていただいてより故人の供養になったと喜ぶことになります。
(その僧侶が誰かの依頼ではなく列席者としてご自分のお気持ちでお越しいただいて諷経席に座る場合はお布施は必要ありません。)
しかし、最近はこの諷経席・随喜席ということの意味が分からなくなりそのありがたさがわからなくなってきています。
場合によってはうちの葬儀にほかの坊さんが乱入してきたと喪主さんが怒りだす場合もあります。
菩提寺としてはそのお心遣いをありがたく思うのですが、喪主さんが怒りだしたり諷経をお断りしてしまうのはせっかくのお心遣いを無にしてしまうようでとても残念に思います。
そんなこともありますので、私も特に懇意にしていた方の葬儀に焼香にいく場合気を使うことになります。
というのも場合によっては諷経席にお願いしますと案内されてしまうことがあるからなのです。
あらかじめ諷経席に座るつもりで正装の衣・袈裟を持参し、そして相手方もそれを望まれている場合なら問題ないのですがそうとは限らないですし、案内されても略式の衣・袈裟ではかえって失礼になってしまうと思うので。
また、諷経僧という制度を知っている方にとってはこのお坊さんはお布施がほしいのかしらとあらぬ誤解を受けてしまうことにもなりかねませんし。
なかなか難しいところです。
そのほかに難しいことといえば、自分が導師を勤めているときに諷経席にとてもえらい?位の高い?僧侶の方が座られるとき、とても緊張してやりにくいということはあります。また、作法、所作、声明に詳しい方だと全てにおいてチェックされているような気がして(妄想ですが)相当なプレッシャーがかかってしまうことがありますね。
あと、諷経席の僧侶の衣装(衣帯)が導師より豪華で目立っているときというのもあります。主役がかすんでしまいますから。
まだあるとすれば、諷経席に座った時の作法がわからなくて恥をかいてしまうとき。時々そういう方もいらっしゃいます。
まあ難しいことはさておいて、もし、お知り合いの僧侶の方が葬儀の諷経席に座ってくださるということになったぜひ断らずにいていただきたい。
一番大切なのはいかに故人を皆で心をこめて送って差し上げるかということが大切なのですから。
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