カズオ・イシグロの最新作は、病弱な少女ジョジーの幸せを願い、命を救おうと奮闘する AI の少女クララの物語です。
カズオ・イシグロ 土屋政雄・訳「クララとお日さま」 (Klara and the Sun)
出版を心待ちにしていた3冊の小説、本作、平野啓一郎さんの ”本心”、イアン・マキューアンの ”恋するアダム” と、偶然なことに3作とも AI を題材にした小説でした。今3冊目を読んでいるところですが、三者三様におもしろいです。
さて、本作の舞台は近未来で、AFであるクララの視点から物語が語られていきます。AF というのは artificial friend の略と解釈しましたが、時に A は associate、assistant、F は fellow であると感じる場面もありました。
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お店のショウウィンドウに立ち、気に入って買ってくれる子どもが現れるを待つクララは、鋭い観察眼を持ち、賢く、奥ゆかしい AF。ある日、クララを気に入ってくれる ジョジーという少女が現れますが、子どもというのは気まぐれなもの。クララは喜びを心に秘めながらも
自分が型落ちのAFであることに引け目を感じ、ジョジーに期待するまいとする健気が姿が愛おしく、私はクララが自分の分身のように思えてきました。ジョジーが再び母親とともに現れ、クララをジョジーの AF として迎えてくれたことに心から安堵しました。
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本作を読みながら、私がずっと考えていたこと。それは、AI は学習を重ねていくことによって知識や知能を高めていくことはできるけれど、はたして感情を育てていくことはできるのだろうか、ということです。相手の反応を学習していくことで、相手を怒らせない言い方や
適切な答え方を学習することはできるけれど、それは感情とは別のものだと思うのです。クララがジョジーをどこまでも献身的に支え、守り、自分の命に代えてまでもクララを助けようとすること、それは愛に他ならないものだと思います。
クララはお日さまを神様のように崇め、感謝し、祈りを捧げます。それは信仰といえるのではないでしょうか。AI をプログラミングするのは人間ですが、感情を高め、育て、豊かにしていくその先に、愛や信仰を芽生えさせることはできるのでしょうか。
そもそもそれを愛、信仰とよんでよいのだろうか。そんなことを考えながら読みました。
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ちなみにクララがお日さまに対して特別な感情を抱いているのは、クララがおそらく太陽光をエネルギー源としていて、すべての命の源であると理解しているからだと思われますが、自然崇拝っぽいところが日本的だなーと感じました。
そしてもうひとつ日本的だと感じたのが、本作が起承転結の形式になっていた(と私は感じた)ことです。起、承ときて、転のところで「私を離さないで」(Never Let Me Go) を思い出しました。そして「結」では「トイストーリー3」を思い出しました。
ご両親が日本人とはいえ、イギリスで育ち、イギリスの教育を受けたイギリス人であるカズオ・イシグロの作品の中に、日本人のアイデンティティが垣間見えたように思えて、興味深かったです。