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恩義と人の平等を貫く『夜明けの雷鳴』

2025-02-18 07:41:32 | 歴史から学ぶ
幕末の医師高松凌雲はパリでの最新医術の取得で戊辰戦争、東京の大洪水で負傷、被災した多くの人々を救ったことは、徳川への恩返しであり幕府側で戦死した凌雲の兄弟含め勇気を持って意志を貫いた抜いた事は人間として素晴らしい人だったと感銘する。また敵である薩摩藩士村橋氏、池田氏の姿勢も病人、負傷者には危害を加えず薬、食料などで支援した事は人間の道徳さの高さに感動する。文中での言葉「世の儚さを思ってさすらいの旅に出て客死した」(戊辰戦争での人間同士の悲惨な死闘の有り様を経験し孤独死した村橋への言葉)
『夜明けの雷鳴』吉村昭
「概要」医療は平等なり。近代医療の父の高潔な生涯。パリで神聖なる医学の精神を学んだ医師・高松凌雲は、帰国後、旧幕臣として箱館戦争に参加する。近代医療の父を描いた幕末歴史長篇
時代は幕末、徳川慶喜の弟、徳川昭武がパリ万博開催と勉学の為に同伴で渡航した一人の医師高松凌雲の生涯を物語った小説である。船には渋沢栄一などの他通訳(シーボルト)、大工、水戸藩からの監視役、江戸商人と芸妓三人も同船しており49日間の日程でマルセーユに入港(10万両で出典物を収集・漆器・陶器・金工芸品、和紙など)、パリ万博では薩摩藩が独自に琉球王国での出展もしていた。和紙、蒔絵、伊万里焼などの高い評価を得た。また、江戸商人と芸妓による水茶屋の日本家屋と茶道具なども高い興味を持たせた。
ー凌雲は「神の館」と言われる病院での麻酔薬を使い「外科手術」(日本では切開手術などない時代)を学ぶ
ー戊辰戦争勃発した最中に帰国、徳川への恩義もあり幕府側での医療専念、榎本と共に蝦夷へ旅立つ。箱館での病院を任され、敵味方区別なく治療し多くの負傷者を救った。官軍が病院に攻め入っても「負傷者たちと生死を共にする決意あるのみです」と守り抜く。だが、榎本軍(3千人近い兵士)は敗戦し投降する(凌雲が投降するように手紙で促す、3日遅れれば全滅していた)箱館病院では延べ負傷者は1338人(内34人死亡)となった。敵側医師として徳島藩の預かりを受け厳しい生活を余儀なくする。
ー政府からの赦免で凌雲は水戸藩の徳川昭武と共に蝦夷での開拓へ随行、その後東京へ戻り水戸藩での処遇を機に亡くなった兄家族を呼び寄せ個人病院を開業する。その後兄嫁の妹を貰い受け夫婦になる。「神の館」を学んで貧困で治療できない人々を助けるべく基金を募り、明治天皇、渋沢栄一などから支援をもらい「同愛社」を設立、患者は1万2952人に膨れ上がり寄付金も増えた。延べ患者は68万7千余人に及んだ。また、東京での大洪水でも治療に励み1万3838名の患者を診たとある。
ー凌雲の講演では官軍であった薩摩藩士の村橋直衛、池田次郎衛(改名貞賢)らが箱館病院での争いを避け救護したことへの感謝など榎本も赦免後は政府の軍部の総裁となった。
ー薩摩藩村橋を思い発した言葉「世の儚さを思ってさすらいの旅に出て客死した」(戊辰戦争での悲惨な人間同士の死闘の有り様を経験した村橋)