@日本の政治における「教養不足」、今の政治家は国民の不満を満たす言葉を巧みに使うがそこに教養溢れる新たな社会システムを生み出す仕組み作りをしていない、ということだろうか。現実、日本のエリート=教養ある専門家を活用した政策で推し進める社会システム構築は他国と比べて相当遅れている。それは、日本がいつまでも古風な習慣と利権で固定化させていることでデジタル社会の出遅れを一層深めているのだ。小手先の給付金、補助金などは源は国民の税金で回しているだけで結局国民の税負担はその後に回るだけだ。
『エリートと教養』村上陽一郎
「概要」政治家は「言葉の力」で人々の共感を醸成できるのか? 専門家は学知を社会にどのように届けるべきか?――不信感と反感が渦巻く今こそ、エリートの真価が試されている。
ーリベラルアーツ=教養
「教養ある」=慎みがある、野放的な欲望の発揮を慎む・理性が命ずる道徳律を遵守
「順応と寛容さ」=行動習慣、行動様式に順応することが人間としての最低限の義務
「教養ある」=他者との意思の疎通・コミュニケーション能力・知識(情報力)
「教養ある話し方」=相手に身を置いて話を聴苦という姿勢
・政治家の表現:「しっかり」「他の部局と連携して」「万全を期し」「慎重に進めていく」
「総合的に判断して」「スピード感を持って」「させていただく」
ーコロナ対策=伝染病に対する過去の処置:健常者と病者の隔離
・日本政府の対策の遅れ、研究開発水準の低迷vs米国CDCの情報収集と的確で即効の公表
ーエリートと教養
「エリート」=選ぶ・選良・選ばれた者=創り上げる人・幅広い知識を持った専門家
・日本の自動車役員「需要は探し出すものではなく、作り出すものだ。技術はそれに応える。技術が需要に先行する、技術が可能性を示すことで、それに見合う需要が掘り起こされ、作り出されるのだ。起業家の使命はそこにある。」
・フランスのトクヴィル「自由の行き過ぎは誰にでもすぐわかるが、平等の行き過ぎはなかなか判らないうちに社会を蝕む」
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