霜月下旬、ようやく北信濃への旅が実現した。
穏やかなカヌ-日和だというのにカヌ-を積み込む気力も湧かず不本意な丸腰の旅となった。
それでも富倉の山里をそぞろ歩いていると何故だろうか?
昔からここに棲んでいたような懐かしのデジャヴ-に襲われて立ちすくんでしまう。

幼馴染のオ-ちゃんも、野人の熊さんまでもが思い思いに散策しながら古き良き時代の自分にタイムスリップして子供の頃を懐かしんでいるように見えた。

古(いにしえ)の昔から粛々と守り続けてきたのであろう鎮守様にも今はもう子供の声は聞こえない。
限界集落の寂しさと懐かしさを、寂びれゆく自分のふる里に重ねあわせて無性にやるせなくなった。

枯草に腰をおろしてじっと目を閉じると幼いころのKちゃんやHくんの笑顔が浮かんできて泣けてくる。
この小道を、あの森を、僕たちがそうしてきたように富倉の子供たちも駆け回った時代がきっとあったであろうに、、。

いつもの『はしば食堂』へと自然に足が向いていた。

期待を込めて『富倉蕎麦』を一口啜った。
たとえ秀逸でなくても、ここに来ればいつもと変わらぬお蕎麦がある。
いつもと変わらぬおばちゃんが醸す空気といつもと変わらぬ味がある、懐かしさとはそんなものなんだとつくづく思う。

二軒目は、穏やかな佐久の『じじ』さんと合流して温泉付きの『長沢茶屋』で美味しいお蕎麦を堪能した。
お風呂に浸かって一杯やってまったりと昼寝をしようと目論んでいたのだけれど残念ながら今回は叶わなかった。

久方ぶりの旅ならば温泉に浸かってほろ酔って心ゆくまで眠りたい。
山の上の『もみじ荘』は20年来のお付き合い、僕のささやかな願いを叶えてくれる心地よい空間は今も昔も変わらない。

午後6時、千曲の川原には釣りと酒に目のない男たちが集結して酒盛りが始まる。
飯山のmalamuteさん改め寅さんが集めてくれた焚火を囲むと鎖よりも固い連帯の輪ができてしまうのが不思議だ。

北信の馬刺し、寅さん自家製のスモ-クサ-モン、そして地酒の数々、酒飲みには垂涎ものの食材の数々がテ-ブルに並んだ。
唯一のダメ出しはこのマグロの中落ちだにゃ、掘りたての自然薯を調理してマグロとろろを喰わせる筈がなんじゃこりゃ、不届き者の熊さんに死刑の宣告じゃあ!

歳を重ねた男たちだけの時間は和やかでいいものである。
人生の機微を知り、ささやかな体験を誇張するでもなく穏やかに語り合う時間が愛おしい。

ところが途中から乱入したオナゴがあかん、壊れたテ-プレコ-ダ-のように同じ話を延々と大声でしゃべりまくっていた。
せっかく同好の士が集うのなら釣りや人生の機微を分かち合いたい、話のリレ-ションを楽しみながら和やかに過ごしたい。
コミニュケ-ション能力のない人間の話を延々と聞き続けることの辛さと虚しさを長い人生の中で初めて味わったような気がする。
山釣りに一緒に行きたいと誘われたが即座に拒絶した、沢旅の貴重な夜をぶち壊すオナゴとは1分たりとも同じ時間を共有したくない。
同好の士がわんさか集うことが素晴らしいとは決して思わない、和やかに語り合い分かち合えることが素晴らしいことなんだとつくづく実感した夜であった。

来年の北信の旅は気心の知れた友とひっそりと千曲を下り、過ぎゆく時を心ゆくまで味わう旅でありたいと思う。

鮮やかな星空の深々と冷える夜であった。

狭い我が家にもぐりこみ真綿のようなシュラフに包まれて幸せの朝を迎えた。

佐久のじじさんと飯山の寅さんが淹れてくれたコ-ヒ-で冷え切った体がほぐれた。
tomasuさんがわざわざ届けて下さったおにぎりと野沢菜漬け、お蕎麦の美味しかったこと。
訥々としゃべるこの男たちの何と存在感の大きいことか。
また来年、この男たちに是非会いたい、後ろ髪を引かて千曲を後にした。
滔々と流れる千曲と、そこに棲む男たちの懐深さに魅了された短い旅であった。
穏やかなカヌ-日和だというのにカヌ-を積み込む気力も湧かず不本意な丸腰の旅となった。
それでも富倉の山里をそぞろ歩いていると何故だろうか?
昔からここに棲んでいたような懐かしのデジャヴ-に襲われて立ちすくんでしまう。

幼馴染のオ-ちゃんも、野人の熊さんまでもが思い思いに散策しながら古き良き時代の自分にタイムスリップして子供の頃を懐かしんでいるように見えた。

古(いにしえ)の昔から粛々と守り続けてきたのであろう鎮守様にも今はもう子供の声は聞こえない。
限界集落の寂しさと懐かしさを、寂びれゆく自分のふる里に重ねあわせて無性にやるせなくなった。

枯草に腰をおろしてじっと目を閉じると幼いころのKちゃんやHくんの笑顔が浮かんできて泣けてくる。
この小道を、あの森を、僕たちがそうしてきたように富倉の子供たちも駆け回った時代がきっとあったであろうに、、。

いつもの『はしば食堂』へと自然に足が向いていた。


期待を込めて『富倉蕎麦』を一口啜った。
たとえ秀逸でなくても、ここに来ればいつもと変わらぬお蕎麦がある。
いつもと変わらぬおばちゃんが醸す空気といつもと変わらぬ味がある、懐かしさとはそんなものなんだとつくづく思う。

二軒目は、穏やかな佐久の『じじ』さんと合流して温泉付きの『長沢茶屋』で美味しいお蕎麦を堪能した。
お風呂に浸かって一杯やってまったりと昼寝をしようと目論んでいたのだけれど残念ながら今回は叶わなかった。


久方ぶりの旅ならば温泉に浸かってほろ酔って心ゆくまで眠りたい。
山の上の『もみじ荘』は20年来のお付き合い、僕のささやかな願いを叶えてくれる心地よい空間は今も昔も変わらない。

午後6時、千曲の川原には釣りと酒に目のない男たちが集結して酒盛りが始まる。
飯山のmalamuteさん改め寅さんが集めてくれた焚火を囲むと鎖よりも固い連帯の輪ができてしまうのが不思議だ。

北信の馬刺し、寅さん自家製のスモ-クサ-モン、そして地酒の数々、酒飲みには垂涎ものの食材の数々がテ-ブルに並んだ。
唯一のダメ出しはこのマグロの中落ちだにゃ、掘りたての自然薯を調理してマグロとろろを喰わせる筈がなんじゃこりゃ、不届き者の熊さんに死刑の宣告じゃあ!

歳を重ねた男たちだけの時間は和やかでいいものである。
人生の機微を知り、ささやかな体験を誇張するでもなく穏やかに語り合う時間が愛おしい。

ところが途中から乱入したオナゴがあかん、壊れたテ-プレコ-ダ-のように同じ話を延々と大声でしゃべりまくっていた。
せっかく同好の士が集うのなら釣りや人生の機微を分かち合いたい、話のリレ-ションを楽しみながら和やかに過ごしたい。
コミニュケ-ション能力のない人間の話を延々と聞き続けることの辛さと虚しさを長い人生の中で初めて味わったような気がする。
山釣りに一緒に行きたいと誘われたが即座に拒絶した、沢旅の貴重な夜をぶち壊すオナゴとは1分たりとも同じ時間を共有したくない。
同好の士がわんさか集うことが素晴らしいとは決して思わない、和やかに語り合い分かち合えることが素晴らしいことなんだとつくづく実感した夜であった。

来年の北信の旅は気心の知れた友とひっそりと千曲を下り、過ぎゆく時を心ゆくまで味わう旅でありたいと思う。

鮮やかな星空の深々と冷える夜であった。

狭い我が家にもぐりこみ真綿のようなシュラフに包まれて幸せの朝を迎えた。

佐久のじじさんと飯山の寅さんが淹れてくれたコ-ヒ-で冷え切った体がほぐれた。
tomasuさんがわざわざ届けて下さったおにぎりと野沢菜漬け、お蕎麦の美味しかったこと。
訥々としゃべるこの男たちの何と存在感の大きいことか。
また来年、この男たちに是非会いたい、後ろ髪を引かて千曲を後にした。
滔々と流れる千曲と、そこに棲む男たちの懐深さに魅了された短い旅であった。