今日、出先でこんな会話が耳に入ってきました。
「知らせがあったから、急いで伺ったら無宗教だったのよ
お線香も無くて。家族だけでしたのね。
あれって、どうなの?宗教が無くても成仏するのかしら?」
「やっぱり、宗教は必要なんじゃないの。
成仏できない人がいるってきくじゃない」
「そうよね。散骨するって」
「でも散骨だって、手続きが色々大変なんでしょ。」
「死んだ時の写真がパソコンの中にあってね、きれいで
安らかな顔してたのよ」
どうやら、友人の身内の方が亡くなったようです。
亡くなる前の看病の大変さとか
外国に縁のある人らしく、その国にお墓があるとか
話していました。
最近は、宗教離れが激しい・・・と言われてますが
多くの方は、この方達と同じように
宗教の必要性を感じるのかもしれません。
実際に家族が亡くなると
一度もお寺に行ったことが無い人でも
「お寺さんに御願いします」が、まだ多いのが現実です。
宗教の力で成仏できるかどうかは、私にはわかりません。
ただ経験上感じるのは、宗教式だとあの世に無事に送った気がして
残った人達が「役目を果たした」と安心するのではないでしょうか。
「葬儀すら挙げられない人達は成仏できないの?」と問われれば
答えに詰まります。
どんな暮らしでもどんな状況でも
正直に、真面目に生きた人
人の為に日々を過した人は成仏できないのか?
そんな疑問がわいてきます。
でも遺族にとっては、宗教との関わりがとても助けになると私は感じています。
無宗教でも、「遺族が故人をどうやって見送るのか」
その意味がはっきり解っている葬儀は
仏教葬儀と同じような満足感を感じる物です。
ただ、宗教が嫌い、お金がかかる、面倒だ
そんな、理由の無宗教は「やっつけ仕事」のようで
私はイヤなんですけど。
遺骨を全部散骨するのも、チョット抵抗があります。
「死んだら、すぐにその人を忘れてしまう」
なんて考えられないので、少しだけでも残して欲しい。
そんなことを思いながら、お隣で話す会話を聞いていました。
ちなみに、散骨は現在のところ
どこに申請する必要もありません。
法律で示されている事は
遺骨を2ミリ以下の粉状にすること
周りに迷惑の掛からない場所に撒く
などの節度を持って行なう・・ということです。
「知らせがあったから、急いで伺ったら無宗教だったのよ
お線香も無くて。家族だけでしたのね。
あれって、どうなの?宗教が無くても成仏するのかしら?」
「やっぱり、宗教は必要なんじゃないの。
成仏できない人がいるってきくじゃない」
「そうよね。散骨するって」
「でも散骨だって、手続きが色々大変なんでしょ。」
「死んだ時の写真がパソコンの中にあってね、きれいで
安らかな顔してたのよ」
どうやら、友人の身内の方が亡くなったようです。
亡くなる前の看病の大変さとか
外国に縁のある人らしく、その国にお墓があるとか
話していました。
最近は、宗教離れが激しい・・・と言われてますが
多くの方は、この方達と同じように
宗教の必要性を感じるのかもしれません。
実際に家族が亡くなると
一度もお寺に行ったことが無い人でも
「お寺さんに御願いします」が、まだ多いのが現実です。
宗教の力で成仏できるかどうかは、私にはわかりません。
ただ経験上感じるのは、宗教式だとあの世に無事に送った気がして
残った人達が「役目を果たした」と安心するのではないでしょうか。
「葬儀すら挙げられない人達は成仏できないの?」と問われれば
答えに詰まります。
どんな暮らしでもどんな状況でも
正直に、真面目に生きた人
人の為に日々を過した人は成仏できないのか?
そんな疑問がわいてきます。
でも遺族にとっては、宗教との関わりがとても助けになると私は感じています。
無宗教でも、「遺族が故人をどうやって見送るのか」
その意味がはっきり解っている葬儀は
仏教葬儀と同じような満足感を感じる物です。
ただ、宗教が嫌い、お金がかかる、面倒だ
そんな、理由の無宗教は「やっつけ仕事」のようで
私はイヤなんですけど。
遺骨を全部散骨するのも、チョット抵抗があります。
「死んだら、すぐにその人を忘れてしまう」
なんて考えられないので、少しだけでも残して欲しい。
そんなことを思いながら、お隣で話す会話を聞いていました。
ちなみに、散骨は現在のところ
どこに申請する必要もありません。
法律で示されている事は
遺骨を2ミリ以下の粉状にすること
周りに迷惑の掛からない場所に撒く
などの節度を持って行なう・・ということです。