「3カ月前まで元気だった親友の体調が急変し、すでに治療の域を超えて自宅療養に変わった。どう声をかけたらいいか悩んでいる」と相談がありました。
この方だけでなく、死を目前にした人への対応に困惑している人は沢山いるはずです。
家族だってそうだと思います。
今後、日本では高齢者の死者数は増大し自宅での看取りも多くなってくるでしょう。
看取りに入るとは、どんな治療をしても病が快復する見込みがない状態に入ったことを言います。
相談者は「死は怖い、痛い、あってはならな事」と思い込んでいるのではないでしょうか。
人は生まれれば必ず死を迎えます。
死は不幸なことでしょうか。
生き切った到達点が死で、人によってその長さは違うけれど誰もその時を変えることはできません。
着ている洋服がボロボロになれば脱ぎ捨てるはずです。
使い切った道具が修理できなくなれば廃棄するはずです。
私たちはそう やって暮らしてきました。
人も同じで体という入れ物は脱ぎ捨てるときが来るのです。
その時が「死」なのだと私は考えています。
家族にしてみれば今までいた人が居なくなる苦痛や不安は免れませんが、死を忌み嫌ってはその方の人生が完結するのを邪魔することになるかもしれません。
もしかしたら人に迷惑をかけ続けた人生だったかもしれませんが、最期の時は「お疲れ様」「よく頑張った」「ありがとう」と送り出した方が、後に悔いが残りません。
余命が見えた時に本人が望むことは、良心的で穏やかな日常です。
自分らしく生きていきたい
家族や友人を大切にして生きていきたい
安らぎのある暮らしがしたい
物ではなく、心が豊かな人生を送りたい
平凡に暮らしていきたい
自立して生きていきたい
人との出会いや繋がりを大事して生きていきたい
親友として、遺された時間を感謝の気持ちで寄り添ってあげることが大事かと。
「頑張って」より「あなたと逢えてよかった」の言葉を・・・