柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

家族葬を考える 葬式スタイルの多様化

2023年03月27日 | お葬式

家族葬が増えて香典を辞退するお葬式も多くなってきました。

人が亡くなると、宗教者への費用と火葬にかかわる費用は必須です。

従来の葬儀では祭壇費用、会食費用、返礼品費用などがかかるため遺族の負担は大きくなります。

その軽減方法として会葬者は「香典」を弔意として用意するようになったのだと思います。

全員からの香典受理、辞退、香典は親戚のみが受けるなど、喪主の考えで決定できます。

もし香典を辞退するなら、会食や返礼品もなしにするまで割り切っても構いません。

その場合、来てくださった方への薄謝をと思うなら、故人のことを書いた礼状を用意するなどの工夫があるといいですね。

一般にある事務的な既成の礼状ではなく、故人の最期の様子や、写真入り、各家族のメッセージ入り、故人の言葉や、俳句など読む側が納得できる礼状はいかがですか。

「そんな礼状を貰うと後の処分に困る」という声が聞こえそうですが、それこそ「お読みいただきありがとうござました。礼状の処分はお気づかなくなさってください」という文章があればいいと思いませか。

私は「この行動を超すと困りごとが発生するかも」と考えた時にはその先の対応を配慮します。

 

葬式スタイルは宗教儀式をうんぬんしなければ大抵のことは実行可能です。

葬儀に不慣れな喪主は「こうしたい」と思っても葬儀社や周囲に拒否されることもありますが、祭壇なしでも、供花なしでも、会食や返礼品、礼状なしでもできますし、どんなお別れの場を作ることも可能です。

以前、お花が好きだった故人の家族葬を受けたとき、葬儀終了後にお花をお持ち帰りできるように初めから写真周りを花束にして飾ったことがあります。また花入れの際、皆様の手で好きなお花を祭壇から取っていただいたこともあります。

 

葬儀社は既存の葬式のスタイルを守ろうとする傾向があります。

「そんなやり方はできません」

「来られた方が戸惑いますからやめた方がいい」などと提言するかもしれません。

従来の見積もりが省かれると、葬儀社にとっては痛手です。

本来は、個性的な礼状作りや、家族が望む葬式スタイルを施行するために「企画料」に当たる費用を用意すればいいことなのですが、本来の見積もりにない項目を設けることは不得手のようです。

葬儀社は葬儀の施行を担当者に一任しているところが多いので、打合せ時に喪主側の気持ちを汲み取った対応をしてくれる人かによると思います。

もし、最初の打合せ段階で喪主の希望が拒否されたのなら「では他の葬儀社に当たってみますので、お引き取りください」といえばいいのです。見積書に署名しなければ葬儀の契約は成り立ちません。

 

葬式の人数、費用に捕らわれず、「家族葬」という名前に捕らわれず

別れを望んでいる人が来れるように

故人がきっと喜んでいるに違いない、と感じるように

家族がこんな送り方ができてよかった、と思えるように

大事な人を見送る最期の時に、家族が思う通りのお葬式をしてあげて下さい。

 

 


家族葬を考える 故人を送るための工夫 

2023年03月25日 | お葬式
家族葬を検索してみると「式の流れは一般の葬式と同じ」となっています。

「誰を呼ぶか」は家族が決める範囲ですがどの葬儀社も一様に親族の範囲きめが難しいとしています。
故人からみれば自分の所帯だけが家族ではなく、兄弟も家族に含まれると考える人もいます。
血のつながりは薄くても、何かと行き来のある親戚が身近に感じることもありますよね。
親族間だけに後々の関係を十分に考慮しての線引きが必要ですね。

友人、知人に関しては「喪主が声をかけた人と限定する」としているようですが、予定外の方が見えても断らずに参列していただくのがマナーとも書かれています。これも一般の葬式に通じるものがありますね。
以前にも書きましたが、家族から見た故人との付き合いではなく、故人の最期に立ち会いたい人も来れる伝え方をしてほしいです。
そのためにも、家族が誰に声をかけたらいいか迷わぬように、エンディングノートに葬式に呼ぶ友人名を書き残しておいてください。
自分の死を知らせることは迷惑をかけることではないと気づいて下さいね。会葬に来る来ないはその人の選択です。

では「別れる場・時間」という点ではどうなのでしょうか。
家族、親族の集合時間は通夜前の1時間半か2時間前でしょう。
この時間にゆっくり、別れの時間を持って、というのは無理なことだと思います。慣れないことなので気もそぞろですし、確認事も沢山あります。
通夜時間の20分前には式場内に着席します。間に合うように来る方がほとんどで、当然故人や家族と触れ合う時間はないでしょう。

通夜が終了すると、近しい友人も家族同様に通夜振る舞いの会食に案内されることがありますが、一度席に着くと会場内をうろつくことも気が引けます。
ここでも喪主は打ち合わせや挨拶に追われます。

会食室に柩が安置されていなければ故人との対面もままならないかもしれません。

会葬者は縁のある故人にお別れに来ているのです。遺族にお悔やみを伝えたいと思っているのです
「ご愁傷様でした」の言葉で終わるのでなく、最期の様子や家族の想いを聞き、慰めたい人が集まるのが「家族葬」だと言われています。
それならば本来の目的通りに、通夜時に故人、家族、会葬者が別れるための時間と場を作りたいものです。


例えば、
通夜の読経時間は地域によって様々ですが50分前後のところも多いでしょう。
通夜の読経(通常は6時~)を定刻より1時間前に開始し家族、親族のみで焼香を済ませておきます。元々、通夜は親族のための時間でした。
会葬者が集まる6時には式場内に故人の柩を最前に安置し、焼香して故人に対面し、家族と会葬者が言葉を交わせる場を作るのはどうでしょうか。
僧侶は退場していますので、自由に動き会話をすることができます。
場合によっては、その部屋の一角に軽食を支度して、簡単な通夜振る舞いとしてもいいですよね。
実は私の父の通夜はこの方法を実践しました、
会葬に来てくださった方は家族と父の思い出だけでなく、泣いたり、笑ったり、多様な時間を過ごしました。
通夜後に私たちに届いた会葬者の感想は
・こんな通夜をしてもいいのですね
・今までで一番素敵な通夜だった
・御父上に逢ったことはなかったが、どんなご家族だったのかよくわかった
・遠くから来たかいがあた
・不謹慎な言い方かもしれないが、読経を聞いているより楽しい通夜だった
等でした。

故人らしさを出すために、故人の好きだったコーヒーとお菓子を家族が振る舞ったり、
故人の趣味の社交ダンスやコーラスを披露したり、この場で故人へのメッセージを書いてもらったり。
家族や会葬者から故人の思い出話を伝えたり、、、
そんなお別れはできないものでしょうか。

通夜の1時間を、「お別れに来たかいがあった」と会葬者が思え、
「この別れを故人は喜んでいるに違いない」と家族が思えるような通夜にできないでしょうか。

翌日の葬儀告別式は時間調整ができない流れです。
せめて故人の姿が目の前にある通夜に、故人との最期の時間を縁ある人達と共有できたらいいと思いませんか。




家族を考える 生前の故人の希望は本心か、遺族を慮ってか

2023年03月16日 | お葬式
葬儀にかかわって30年が経ちました。
「人が死ぬってどういいうことか」をずっと考えてきました。
正しい答えなど無いのもわかりました。
故人と家族との関係は様々で誰もが別れを惜しんでいるとは限りません。故人に愛を感じないこともあります。


以前に興味あるアンケート結果を目にしたことがあります。
自分が逝く立場になると
「自分の葬式はしなくていい」と6割の人が答えています。
では、遺る立場はどうなのでしょう。
「家族、配偶者の葬儀はしたい」が7割と出ていたのを覚えています。
その理由は
「気持ちに区切りをつけたい」「供養のため」でした。

逝く立場は「家族に迷惑をかけない、死んだら何もない」と考えているようですが、その人が送る立場になると葬式への考えは一転します。
人の心は複雑ですね。
でも、送る家族は「故人の希望を活かすこと」が最善と考えがちです。

セミナーなどで「人は死んだらどうなるのでしょう」と問うと「無になる」とお答えになる方が多くいます。
しかし葬儀後に家族が故人の気配を感じる人も同様に多いのです。
「今も見守ってくれているような気がする」という感覚を持たれます。

私は、出棺時に「どうか、故人を忘れないでやってください」いう挨拶を聞くたびに、「これから火葬して姿がなくなっても故人の魂は遺るから時々思い出してもらったらきっと喜ぶに違いない」とご家族が無意識に感じておられるのだと受けとめていました。

ただ、大切な人を失う経験や学びがないと葬式は単なる儀礼と考え、心の中の意識は見落としてしまいます。

私が家族葬を考えるに至ったのは、家族だけで送る、手間をかけない、他人を受け入れない葬式が当たり前になる不安が取り除けないのです。
葬式に参列する人の人数が問題なのではなく、たとえ数人であっても故人と心を通わせた人々に囲まれて送り出せる葬式がいいのでは・・・
好きな人に囲まれるのは幸せなことです。
最期は幸せでいてほしいと願っています。





家族葬を考える ゆっくりお別れができるのか

2023年03月09日 | お葬式
「家族葬ならゆっくりとしたお別れができる」と、言われますが本当でしょうか。

家族葬の流れは従来の葬儀の流れと一緒です。
葬式の決定事項は多く、打合せも喪主がすべき準備も何ら変わりません。
葬儀日程、宗教者連絡、祭壇内容、関与する参列者への連絡や対応、式中の動きや喪主、家族の役割、料理、返礼品、供花、車両関係、火葬場の動き等
葬儀情報を知らない喪主にお教えするのは簡単なことではありません。
葬儀担当者の良し悪しは喪主の不安や疑問をいかに支えられるかにかかっています。
打合せで詳細が知らされていても、進行する式の中で担当者から喪主への再度の確認が行われるはずです。

ゆっくりとした別れって何なのでしょうか。
ご遺体は、自宅でなく葬儀社に安置されることが当たり前になりましたね。
これによってご遺体を見ながら過ごす時間はとても減少してしまいました。
死亡診断書で亡くなったことは理解していても、姿があるうちは「寝ているみたい」と誰もが思うものです。
不思議なことですが、その姿を見ながら家族は口には出さずとも、心で話しかけているのです。
「穏やかな顔でよかった、もう苦しくないね」「今まで有難う」「早すぎるよ」
この時間があるからこそ十分なお別れができると、私は葬儀現場で学びました。

遺族が葬儀社に集まる時間は通夜式の2時間前が多いでしょうか。
葬儀会場に入れば担当者や宗教者との打ち合わせがあり納棺に立ち会うこともあります。たまに集まる人たちへの挨拶はこの時間に行われ、式後の会食が済めば、ご遺体と別れて家に戻る家族がほとんど。
葬儀告別式の集合時間は1時間前でしょう。移動が多く時間に左右される行程なので、喪主と葬儀担当者との打ち合わせはこの時間に行います。
あっという間ですね。
「会葬者がいなければ気遣いがない」という声も聞こえますが、今の葬儀社は遺族に負担がないように、会葬者の対応はすべてかかわってくれているのです。遺族は控室と式場を移動するのみと言ってもいいでしょう。それほど手厚い対応をする葬儀社が増えてきました。
従来の葬式では「悲しむ時間すら持てない」「葬式では遺族はしっかり悲しんでほしい」ともよく言われますね。
故人を送る立場にある喪主や遺族は、故人をしっかりと送ることが自分の役目であるという潜在的意識があります。
ご主人を亡くし喪主が悲しみに浸ることができる場合もありますが、自分の代わりに葬儀社や他の人への対応を代行してくれる人物がいる場合です。
葬儀社はたとえ小さな出来事でも喪主の了解を得ずに事を運ぶことはありません。

ではどうしたら故人と良い別れができるのでしょうか。
故人の姿を見れる、存在を感じる時間を持つ。「死んだけどまだここにいるよね」
故人のために自分ができることを探す。気づく。「好きだったお菓子買ってこよう」「愛犬の写真を入れてあげよう」

火葬が終わり遺骨になると、故人との距離は一挙に広がり諦めも感じます。
心に残る悲嘆はその後長く続く場合がありますが「よい別れ」ができるとそれも軽減されるのを私は遺族会の実施で知ることができました。

そのためには直葬であろうと、家族葬であろうと、従来の葬儀であろうと形式には関係ないのです。
葬儀の日程を急がない
通夜後は一緒に過ごす、など周囲が騒がしくない中で故人の姿を見る時間を増やすことだと思います。

葬式にかかわる人は、形式や規模、費用を問題視するだけでなく、本来の「人との絆」を見失いでほしいのです。
でもこのことは残念ですが気づきにくいことなんです。




家族葬を考える 何故、家族の死を秘密にするのか

2023年03月02日 | お葬式
「家族葬」というネーミングは家族だけで行う葬儀というイメージを植え付けています。
「葬儀はいらない、とまでは考えないがそこに家族以外の人が立ち会う必要はない」という考え方を持つ人が増えました。
人が亡くなると訃報を出し、親戚を集め、故人や家族が関わった人達に知らせるという葬式が長年行われていましたが、今はそれぞれの考えで葬式の選択ができるようになりました。 「火葬のみ」「一日葬」「家族葬」「従来の葬式」「無宗教葬」そして「お別れ会」も定着しつつありますね。

弔い方がどんな形であってもいいと思いますが、最近では家族の死を知らせずに葬儀を終えるご家庭が増えたことが気になります。
長年、住み暮らした地域にも親しかった友人にも「死」を秘密にする必要があるのでしょうか。
「知らせれば気遣いをさせるから」
「家族だけで送るから」
「聞かれたら伝えればよい」
「喪中はがきを出すから」
と、いろいろな声が聞こえます。

中には介護施設で亡くなり、自宅に戻ることなく葬儀を終えてしまう場合もあります。
独居の高齢者が亡くなり、ご遺族にとってその地域と縁が無くなるからと黙って葬式を終える場合もあります。
病院で亡くなくなると葬儀会館に安置するご家庭も多くなり、ご近所では死の気配さえわかり辛くなっています。

人は人生を送る中で人や地域と関わることなく暮らすことはできません。
「世間に世話など受けていない」とおっしゃる方もいますが、そこにその方の存在がある限り周囲と無関係で暮らすことは不可能でしょう。
最近では独居高齢者を地域ぐるみで見守りをしていることもあります。
声には出さずとも「具合が悪そう」「顔が見えない」「窓が閉まったまま」などと気にしているご近所はいるものです。
例え言葉を交わす機会がないとしても、その存在を知っていれば火事や地震が起きれば、ご近所の人たちは安否確認をしてくれるはずです。
人は誰かに支えられ、誰かを支えて暮らしていくものだと思いませんか。

訃報はごく親しい人に告げれば、自然と伝わるべきところには届きます。
もし、家族だけの葬儀を望むのであればその旨を伝えればいいのです。
反対に「家族葬だけど、もしよかったらお別れに来てね」と声をかけるのも喜ばれるものです。
「お隣のおばあちゃんが亡くなったみたいよ」とご近所が気が付いても当のご家族が話さない限り、曖昧な判断しかできずに困ります。

人は必ず死にます。
死は人に言えないほど隠すべきことなのでしょうか。
死因に問題があって秘密にするなどの事情がないのであれば、せめて隣人や付き合いがあった人や、属している自治会には家族の死を知らせる必要があるのではないでしょうか。