柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

葬儀社の勉強会

2008年09月30日 | 葬祭スタッフ
この季節は葬儀社の勉強会に呼ばれることが多い時期です。

葬儀社は年中無休なので、全員で勉強するのはとても難しいのですが
友引か友引の前日に参加できる人だけ集まります。

そこで私は講演をしたり
ロールプレイを交えての研修をします。

ある葬儀社では、変わった試みの勉強会をしています。
一定の条件を設定して、各営業所ごとに実演をして
競い合います。

2年続けて、同様の勉強会をしていますが
今年の演目は
*葬儀の打ちあわせ
*ナレーション
*癒しのコーナー作り
でした。

5箇所の営業所から
それぞれの代表者を選び
当日、全員の前で腕を競い合います。

日常やりなれている実務とはいえ
大勢の見ている前で演じるのは大変なことです。

今年は、葬儀の打ち合わせの演目で
珍しい人が代表者に選ばれていました。

葬儀の実務担当者ではない人が
葬儀打合せをしたのです。

確かに初めて語る言葉には流暢さはありませんが
語る内容がなかなかいいのです。

この人を見ていて
人の適正を発見するの事の重要さを感じました。

話しが重くないのです。
へんにかしこまったり、丁寧すぎることがないのです。

十人十色といいますが
この人の、明るめで柔らかい感じは
緊張気味の遺族には受入れ易いかも知れない・・・

そんな風に感じられました。

ナレーションのも癒しのコーナーも
去年より数段よくなっています。

この発表会形式だと
準備は大変だったと思いますが
参加している社員も楽しそうなんです。


この葬儀社には数回、伺ってますが
真剣に勉強会の効果をあげようと
熟慮している管理側の真剣さが感じられます。

会社を育てるのは
やはりトップサイドの姿勢ですね。

仕事とはいえ
楽しい時間を頂きました。

なんか、変ですよ

2008年09月27日 | 
前にも書いたことですが、電車の中で
子供たちが当たり前のように、一人前分の席に座っています。

子供連れで乗ってきた保護者は
席があれば、まず子供を座らせ
自分は立っています。

3歳を過ぎたら
10分や20分くらいは
子供を立たせておかないと。

席が開いてたら
保護者が座って、その前に子供を立たせて
お話ししながら、立つことに慣らせたり
我慢することを教えないと。

「すわりたいよー」っていう子が多いこと。
保護者も「早く座りなさい」なんて言ってる。

未就学児は乗車券を買っていませんよね。
座らせるにしても、親の膝の上が当たり前なんですけどね。

先日も、私の前で「座りたい」が始まりました。
お母さんは、駅に着くたびに席を探してましたけど
空席はなかったんです。
私も、子供に譲る気はありません。

そのうち、お母さんが子供に
アメをあげたんです。
その子は、包装されているアメを落としました。

「あっ、拾っちゃダメ。汚いでしょ。」とお母さんが
言って、又、新しいアメをあげました。

その子は二つ目も落しちゃったんです。
「床に落としたアメは汚いから、拾っちゃダメなの」
お母さんは又、同じ事を言いました。

床にはアメが転がったまま。

??????
なんか変ですよね。

落としたアメを食べない・・・これはその人の
判断でいいと思うけど
その前に、拾わないんですかね?

誰かか、踏んだら迷惑ですよね。
床にゴミ?を落としてそのまま・・・

私には理解できませんでした。
子供に、床に落した物は汚いので
食べてはいけない。
でも、ゆかにゴミは落としてもいいのよ

そういうことなんですね。


その後、行った場所で車椅子の女性を見かけました。
まだ若い方なのに、大変だと思いました。
若い男性が車椅子を押していました。

あるイベントが行なわれていましたが
遅れて入ってきたその車椅子の女性を気遣って
場所を譲った人がいました。
しかし、その女性は
笑顔ひとつ、会釈1つ、お礼すら言いませんでした。

まるで、譲ってもらったのが当たり前のような態度に見えます。

えー。
これもなんか変。

人に親切を頂いたらお礼を伝えるのは
普通じゃないんでしょうか?

ヤレヤレ。
外に出ると、変なことが目に付くんですよ。

でも以前なら、
もっと、腹を立ててたところですが
最近は嘆くほうが先に来ちゃって。
年をとったって事ですかね。


「家族葬?」 葬儀屋さんとお客さんに一言!

2008年09月26日 | 家族葬
仕事の関係で各地へ行かせていただきますが
どちらでも葬儀の規模が小さくなって来ました。

家族葬が多くなった・・・というよりは
普通の葬儀が小さくなっているんですね。

特別にお断りしなくても
会葬者の数は減ってきています。

もちろん、家族+限定した知り合い、の葬儀も定着しています。

家族葬の普及は驚くほど早いです。

葬祭ホールの普及とは比べ物にならない位、早いです。

今は「人数が少ない葬儀」…これが家族葬の特徴になっていますが
世間の要望が多いということは
葬儀社に「家族葬のメニュー」が多様に取り揃えられれば
お客様の選択もそこに行くはずです。

ところが、家族葬といえば価格が安い、とか
小さな花祭壇とか
棺周りの花飾り…などが特徴になっています。

家族だけで葬式をしたい
 そこには「 自分たちの葬式をしたい 」
という意識があるのでは???

小さい葬儀ができますよ!
祭壇なくてもいいですよ!

それだけじゃ、この先不安です。

葬祭ホールが軒並みできた時も
ホールがある事だけに頼っていませんでした?

もう少し、葬儀の内容メニューを取りそろえませんか?



以上は葬儀社さんへのメッセージです。


************************


さて、ここからはお客様の立場の皆様へのメッセージです。



家族だけで送ってね。と希望されるあなたへ

確かに家族だけでいいのかも知れませんが
あなたと生きてきた時間を共有した人はいませんか?

一緒に、悩んでくれたり
励ましてくれたり
特に女性は、そういうお友達作りが上手です。

その方たちにも
お別れの時間を分けてあげてください。

人は死んだ姿を見るからこそ
別れを実感できる・・・・
これは、長年、葬儀の場にいた私の持論ですが。

太古の昔から、人は死ぬと葬式をしてきたのは
きっと、あきらめる為だと思います。

死ぬ人より、実は生きて残る人に
葬儀が必要なんですね。
あきらめるキッカケをもらえないと辛いじゃないですか。
ただ、悲しんでいるだけじゃ・・・

家族葬の言葉ジリだけをとらえないでくださいね。

義理や形式だけの葬儀からの反省でできた言葉が
家族葬だと思うので


あまりに家族葬、家族葬の声がきこえるので
一言、言わせてもらいました。


生まれなかった赤ちゃんからのメッセージ

2008年09月25日 | 不思議
新宿の三越アルコットにある「ジュンク堂書店」で
『池川明×326(ナカムラミツル)トークショウ&サイン会』がありました
「ごめんね、ありがとう」(326著)
「ママ、さようなら。ありがとう」(池川明著)
の出版記念のイベントでした。

ナカムラミツルさん?って知らなかったんですが
ポップアーティストで「19」というバンドのメンバーもしていたらしく

皆さんのほうが、よく知っているかも。


ナカムラミツルさんは4年ほど前に
「いつも見てるよ。がんばってるのしってるよ」
「パパとママをえらんでボクはうまれてきたんだ」
等の赤ちゃんの本を書いています

その後
池川先生と対談する機会があり
胎内記憶を始めて知ったそうです。

池川先生はその内容が
まるで胎内記憶の事と同じなのに驚いて
「ぜひ、流産や死産の赤ちゃんの事を書いて欲しい」と
依頼したそうです

そして、4年後に
生まれてくることが出来なかった赤ちゃんから届いたメッセージ
「ごめんね ありがとう」が完成しました。

物語になっていますが
読んでて涙が自然と流れてきます。
作者自身も泣いたそうです
あかちゃんの一途なママ、パパへの愛がいじらしくて。

偶然にも時を同じくして
池川先生も流産、死産、中絶の赤ちゃんの本を書きました。

という事で
2人してのトークショウになったのです。

池川先生から胎内記憶の説明があり
「きっとこの会場にも、お子さんが胎内記憶を持っている人が
いるはずです」と質問すると
50人くらいの人(大半はナカムラさんのファンで若い女の子でした
残念ながら、池川先生のファンは私の他に2人くらいで、若くないです)
の中に1人、いました。

その方は、6歳くらいの坊やと来ていましたが
「この子が記憶を持っています。
私の結婚式を雲の上から見ていて
私をママに選んでくれたと言ってます」という話しでした。

残念ながら坊やに質問しても
照れて、何も答えませんでしたけど。

ママのお腹に宿っても
亡くなる赤ちゃんは、初めから
自分で生まれないことを決めてきているそうです。

チョット来てみたけど、ママ達に親になる準備が出来ていないとか
妊娠して、流産して、ママ達に命の大切さを教えに来た。とか
ママのおなかに病気があることを妊娠したことによって気付かせたとか
夫婦仲が悪いので、流産してパパにママへのいたわりを教えに来たとか。

そんな話しが二つの本に書かれています。

だから、赤ちゃんを亡くしても
それはママのせいじゃない。
赤ちゃんが自分で決めた事だそうです。

赤ちゃんがママに残したメッセージは何か?
大人として考えなくてはね。

赤ちゃんは生まれることが出来なくっても
ママのお腹に宿れたことだけでも「ありがとう」と言ってるそうです。
「嬉しい」そうです。
パパには「招いてくれて、ありがとう」と言ってるそうです。

赤ちゃんて、全て、人の為に尽くしてくれるんですね。
私達、大人より、よっぽど大きい存在です。

多くの方がこの赤ちゃんの思いを知ってくれたら
ママになったとき、お腹の赤ちゃんと心を通わせることが出来るし
生まれてからの子育ても楽しく出来る。
育児放棄や虐待も防げる。
いい子供が育てば
今より、ずっといい世の中が出来るはずです。


私も、そんな気がします。
この本、読んでみませんか?

寝ずの番

2008年09月23日 | お葬式
このところ、映画づいていて、昨夜も、お葬式の映画を見ました。

「寝ずの番」という映画です。

落語の師匠が亡くなって、家族や弟子が密葬をするんです。
通夜の晩に、みんなが師匠との思い出話をするんですけど
それが、抱腹絶倒の話しばかり。
おかみさんは、「今夜は無礼講よ」

そのうちに弟子で師匠の長男の発案で「この際、落語にある死人のカンカン踊りを
師匠の体で、実感しよう。知らないで、話すのと、知って話すのじゃえらい違いだ」ということに。

三味線を弾き、唄い、師匠の体を抱き起こして、肩を組み
手を添えて、カンカン踊りのごとく足を上げたり、宙に浮かしたり。

初めはクタクタの師匠の体が
皆と踊るうちに
ところどころで、目は開けるわ、うっすら笑うわで
しまいには、一緒に足まで上げる大騒ぎ。

踊りつかれて、師匠に抱きついた一番弟子が
涙を流して「師匠~!」って泣き叫ぶ。


イヤー、こんなに故人も送る人も
いい別れが出来るなんて。

葬儀社は要らないね~。と感心しました。

実はね、この映画は師匠が危篤の所から始まるんですが
一番弟子が師匠の最後の望みを聞き出して
弟子達が、「てんやわんやの大騒ぎ」になるんです。

いかにも落語家らしい落ちがあるんですけど・・・
私からはチョット説明しにくい。
どうぞ、映画を見てください。
面白いです。

師匠の通夜だけでなく
その後、一番弟子
おかみさんと続いて亡くなり
その都度、皆で通夜の「寝ずの番」をするんです。

それぞれの縁の話が出て
その場に故人が生き返ってくるような気がする。
家族や、周りの人が傍観者じゃないんです。
参加者なんですよ、一緒に送ってるの。
いいですね。
昔の通夜はこうだったんでしょうか?

いまの葬式は、ひょっとしたら違うかもしれませんね。
もっと、それぞれの別れ方を重視したほうがいいような気がします。

この映画は
俳優の津川雅彦が
マキノ雅彦として、初めて取った作品です。

面白かったです。

とりあえず、バナナダイエット?

2008年09月20日 | 私の半径100メートル
スーパーのバナナが消えた。

昨日、テレビでやってたでしょう。
ドリームプレス社「女芸人が次々とやせるのはどうして?」
の番組見ました?

4時間もですよ。
私もチラチラ見てましたけど。

レコーディングダイエット(食事内容をメモする)
バナナダイエット
加圧式ダイエット
食べ合わせダイエット
ウォーキングダイエット
コアリズムダイエット
リンパマッサージダイエット
自転車ダイエット

とにかく、全員が体重減、体脂肪減、サイズダウンと
効果が出ているんです。

この中で一番簡単なのが
バナナダイエットです。

朝食をバナナにする
何本食べてもよいが水とバナナだけ
昼と夜は普通の食事。
寝る前の4時間は食べてはいけない。
簡単でしょう。

実はね、バナナダイエットを実践した先生が番組に出てましたが
近所の先生なんですよ。

整形外科の先生で、評判がよくって
すさまじく、患者さんが押し寄せてくるお医者様です。
朝6時頃から並んでます。

私も以前診察を受けたことがありますが
そのときにも先生は
「朝はバナナだけにして御覧なさい。確実に体重が落ちますよ」って言ってました

そのときは、バナナ食べなかったけど
昨日の森久美子を見ていたら
今朝はバナナ食べました。

という訳で、明日のバナナを買いにスーパーへいったら
バナナの売り場が空っぽでした。

そこへ店員さんが台車でバナナを運んできたのですが
置くと同時に手が伸び始めて・・・
すごいですね。
テレビって!

私もバナナ買って来ました。
いつまで続くでしょうか???



「おくりびと」の続きの続き

2008年09月20日 | 葬祭スタッフ
病院では死が迫ってくると、家族に「心の準備」を伝えます。

家族は覚悟はしていても、一途の望みを抱いていたり
「まだ大丈夫」と死を先延ばしに考える傾向があります。

「今日は調子が良かったのに」
「大丈夫そうだから、病院から帰ってきたら」
「今夜はもってくれると思ったのに」
・・・そんな言葉が家族から聞かれます。

考えてみてください。
一緒に過した家族の一員が死ぬのです。

これは人生の中で起きる重大事件です。

「死ぬことが解っていて、覚悟をしてましたから」とおっしゃいますが
心の中で、大きなショックを受けているのです。
そして、そのことをご自身は気がついてません。

人が死ぬと、やるべき事が次々と押し寄せてくるので
気が張り詰めているのです。

その時に接するのが葬儀社や納棺師なのです。
遺族の不安や苛立ちは、チョットしたきっかけで表出してきます。

今した話を聞いてないと言ったり、勘違いをされたりします。
又、大切な家族の死を認める「葬儀」の打ち合わせに腹立たしさを感じて
何かと突っかかってくる方や、猜疑心しかない方もいます。

家族を亡くした心情を考えれば当然の事なんです。

「おくりびと」の映画にも、そういう場面はたくさん出てきます。

葬儀に携わる人間は、その事をわきまえて遺族と接しなくてはなりません。

遺族の方々の怒りや猜疑心は大抵はその場だけの物です。
打ち合わせが終わった時点、
通夜が終わった時点
火葬が終わった時点
葬儀が終わった時点
次々と、遺族の様子が変わってきます。

苛立ちや疑いも薄らいできます。
いえ、信頼さえ感じられます。

心をこめて葬儀を行なったのであれば、そういう流れが普通です。

葬儀が終わっても、葬儀社が信頼できない、腹立たしいようなら
よほど、葬儀社の対応が悪かったのではないかと思います。

「おくりびと」の主人公も最後に遺族からかけられる言葉に
救われていたはずです。

どんなに困難なことでも、嫌な思いをしても
最後に感謝の言葉を頂いたり、喜んだ様子を見ると苦労が報われます。

仕事に誇りも持てるし、遣り甲斐も出ています。


しかし、もっくんはイイ!
見事に美しい納棺師でした。
周りの俳優も適役でした!
「おくりびと」を見て、涙が何度も溢れてきました。
周りでも、鼻をすする音がすごかったです。

あなたも、泣いてみませんか?


おくりびとの続き

2008年09月19日 | 葬祭スタッフ
私は葬儀にプライドを持っていました・・・
確かにそうですが、以前の世間の反応はやっぱり映画と同じです。

マンションの管理人のおじいさんから
「葬儀社なんて、嫌な商売しているね」
 「そうですか?でも死は皆通る道でしょう」
「そうだけど、人の死を待ってる商売じゃないか」

葬儀の打ち合わせを終えて帰ろうとしたら
「どんなご事情があるのか知らないけど、貴方みたいな方が
 なんで、こんな仕事をなさってるの?」と喪主さんから言われました。

「へぇ~。そんな風に思っているんだ」
別に気に障ることも無く、単にそう感じました。

デモネ、葬儀が終わった後、この喪主さんは
「何で貴方がこの仕事をしているのか、解りました。
 家の娘もこういう仕事がしたいと言ってます」って話してくれました。

実は、実際に家族を亡くして
葬儀社の仕事に触れて「こんな仕事がしたい」と考える人は沢山います。

葬儀スタッフの募集をするでしょう。
意外と多いんですよ。面接に来る人が。

その時、「どうしてこの仕事を選んだの?」
と必ず訊く事にしてるんですけど
一番多いのが「家族を亡くした時、葬儀屋さんがとてもよくしてくれた」です。

時々「ひどい葬儀屋だったので、いい葬儀をしたいと思って」という人もいます。

想像で考えるのと実際の体験で
こんなにイメージが変わる職業も珍しいかもしれませんね。
「おくりびと」の主人公もそうでしたね。

デモネ、私の体験では
故人の為、遺族の為に一所懸命努力や勉強してきたら
世間の目を変えるのは、とても簡単でした。

「家の嫁になってくれませんか?」とか
「君、独身かね?家の娘と結婚しないか」とか
結構ありましたよ。

それから、まけろ、まけろの一点張りだった喪主が
式後に事務所によって
「こんなに良くしてくれるとは思わなかった
 まけろと言った自分が恥ずかしい。あの事は忘れてくれ」って
涙が出るようなことを言ってくれたんです。

やっぱり人はちゃんと見極めてくれます。
「おくりびと」でも納棺師を嫌がって家出していた妻も
夫の仕事を見極めて納得していくんです。

最近新聞やテレビを賑わしている
嘘で固めて商売している人や
人の金でいい思いして知らんふりの人も
世間は見極め始めてますよね。

お天道様やご先祖様が許してくれませんよ!

映画 おくりびと

2008年09月17日 | 葬祭スタッフ
納棺師。
今や、有名な言葉になってしまいました。

亡くなった方を、きれいに身支度して柩に納める専門職です。
葬儀屋さんとは違います。

「おくりびと」って、いい響きですね。
納棺師だけでなく、葬儀社も霊柩車の方も火葬場の方も
同じように「おくりびと」だと思います。

封切り日に映画「おくりびと」を見てきました。

もう粗筋は、皆さんご存知だと思います。

ひょんなことで納棺の会社に入ってしまった主人公が
「この仕事は普通じゃない。人に言える仕事じゃない
 いつ辞めようか・・・」と悶々としているのです。

事実、友人からは「もっとマシな仕事につけ」と言われるし
娘の死の原因になった青年に親戚は
「この人みてぇな、仕事をして償っていくのか」と
遺体の側で納棺している主人公を指差して怒鳴りつけます。
5分遅れて到着した家では喪主から「あんたら死んだ人間相手に稼いでいるんだろう」と暴言が浴びせられます。

そして主人公も「こんな仕事」と思っているから妻にも言えないでいるんです。

でも、納棺会社の社長の仕事を見ていくうちに
変わっていく遺体に感激し始める
それは自分だけでなく、そこにいる人全員が感じ始めるんです。

主人公は自分の心がいつしか変わっていくのに気付き・・・。

そんな話しです。




私が、15年前に葬儀の世界に足を踏みいれた時も
確かに同じような、雰囲気が周囲にありました。

ただ、私は主人公と違ってこの仕事を特別な物とは
思ってなかったので、イヤとは感じなかったんです。

それどころか、やればやるほど奥が深くって。
勉強も努力もしたつもりなので
プライドを持っていました。

へんな言い方ですけど
胸張って、葬儀をしていました。

この映画見て
久しぶりに、その感覚を思い出しました。








返礼品を考える

2008年09月15日 | 香典返し、返礼品
お葬式に行くと、必ず礼状と会葬礼品(タオルなど)と香典返しを頂いてきます。

私もお葬式に行く度に、頂いてきます。
正直、「これはタオル」と思うと開けずにいることもしばしば。
だって、使いたくないのが、沢山あるんです。
見ると、葬儀のお返しだな・・・ってわかるんです。

もう皆さん、お返しの金額を大体ご存知です。

会葬に行くと通夜でも告別式でも必ずくださるのがハガキと一緒の会葬礼品。
400円~1000円位。
一番の多いのは500円前後。

これの主流は、ハンカチタオルです。
それも色つき(ブルー系、が多いかな)
柄つき(チェックが一番多いかな)

あのネ。
スーパーやデパートで500円のハンカチタオルを見てごらんなさい。
もっと質がいいから!

とにかく、10回葬式があれば9回は頂くのが安めのタオル。


どうでもいいけど、他の商品はないのでしょうか????????????


所によっては
通夜は食べて無くなる物
告別式は後に残る物
なんて習慣のようにいっている地域もありますが
返礼品の歴史は葬儀社が作った歴史です。

どんな決まりもないのに。

香典の即返し(香典のお返しをその場で貰うこと)は
お茶か海苔かコーヒーかタオルか。

これって
喪主の選びたい物ではない、と思いますけど。

葬儀社にそれしかないから選んでる。

それに、金額よりずっと安い中身。
誰が見ても割高だと解る。

何でこんな商売しているんでしょう。

葬儀費用はスリム化して、祭壇さえない葬式もあるというのに。

返礼品の安物、ぼったくりはそのまま。

お客さんを馬鹿にしちゃいけませんよ。

今に、返礼品気に入らないから葬儀社変える、とか
返礼品持込にする、とか
そんな動きが出てきたら、どうするんでしょう。

すでに結婚式はそうなっているでしょう。
今や、持込料なんて取られないそうです。

この時代に「葬儀は突然の出来事なので品物の準備が間に合いません」
なんて、言い訳は言ってられませんよ。

もっと良心的に
欲しい商品を
適正価格で用意しないと。

「当葬儀社では、お客様のお好きな返礼品を選んで持ち込めます」
そういう葬儀社が出てきたら、急に風向き変わりますよ。

葬儀社さん、返礼業者さん
もっと、返礼品を考えてくださ~い。

隣の会話は「無宗教と散骨」

2008年09月15日 | 自由葬・無宗教葬
今日、出先でこんな会話が耳に入ってきました。


「知らせがあったから、急いで伺ったら無宗教だったのよ
 お線香も無くて。家族だけでしたのね。
 あれって、どうなの?宗教が無くても成仏するのかしら?」
「やっぱり、宗教は必要なんじゃないの。
 成仏できない人がいるってきくじゃない」
「そうよね。散骨するって」
「でも散骨だって、手続きが色々大変なんでしょ。」
「死んだ時の写真がパソコンの中にあってね、きれいで
 安らかな顔してたのよ」

どうやら、友人の身内の方が亡くなったようです。
亡くなる前の看病の大変さとか
外国に縁のある人らしく、その国にお墓があるとか
話していました。

最近は、宗教離れが激しい・・・と言われてますが
多くの方は、この方達と同じように
宗教の必要性を感じるのかもしれません。

実際に家族が亡くなると
一度もお寺に行ったことが無い人でも
「お寺さんに御願いします」が、まだ多いのが現実です。

宗教の力で成仏できるかどうかは、私にはわかりません。

ただ経験上感じるのは、宗教式だとあの世に無事に送った気がして
残った人達が「役目を果たした」と安心するのではないでしょうか。

「葬儀すら挙げられない人達は成仏できないの?」と問われれば
答えに詰まります。

どんな暮らしでもどんな状況でも
正直に、真面目に生きた人
人の為に日々を過した人は成仏できないのか?
そんな疑問がわいてきます。

でも遺族にとっては、宗教との関わりがとても助けになると私は感じています。

無宗教でも、「遺族が故人をどうやって見送るのか」
その意味がはっきり解っている葬儀は
仏教葬儀と同じような満足感を感じる物です。

ただ、宗教が嫌い、お金がかかる、面倒だ
そんな、理由の無宗教は「やっつけ仕事」のようで
私はイヤなんですけど。


遺骨を全部散骨するのも、チョット抵抗があります。
「死んだら、すぐにその人を忘れてしまう」
なんて考えられないので、少しだけでも残して欲しい。

そんなことを思いながら、お隣で話す会話を聞いていました。

ちなみに、散骨は現在のところ
どこに申請する必要もありません。

法律で示されている事は
遺骨を2ミリ以下の粉状にすること
周りに迷惑の掛からない場所に撒く
などの節度を持って行なう・・ということです。









遺言書は仲良しの秘訣

2008年09月12日 | 遺言書を作る時
子供のいない友人がご主人に遺言を書いてもらった・・・
という話、覚えてますか?

自筆でラブレターのようなステキな遺言を便箋に書いて
封筒に入れ仏壇の中にしまっていました。

ご主人の死後、全財産を妻に贈るという内容です。

子供がいない場合は、ご主人の親や兄弟にも相続の権利がある。
妻の老後の資金は減ってしまいます。
場合によっては、家や土地を売って、兄弟に相続しなくてはならないことも
ありえます。

そこで、威力を発揮するのが遺言書ですが
自分で書いたものは、正確さに欠け遺言と見なされない場合があります。

友人はそれを知って、すぐに公正証書の遺言書を作る手続きをとりました。
そして、今日遺言書は出来上がりました。

ご主人が外出が出来ない体なので
公証役場の方が自宅まで来てくれて
出来上がった遺言書の内容確認をしました。

どこから突っつかれても、問題ない状態で遺言書は書かれていました。
これなら、トラブルは起きないと思います。

この遺言書作成に必要な手続きをしたのは、司法書士の先生です。
わたしの信頼できる仕事のパートナーです。

彼女の打合せは
若いけど、とても優しくて、頼りがいがあるんです。

手前味噌かもしれないけど
どうして私の周りにいる人は、こうも良い人ばかりなのかしら?
「幾つになっても未熟者」には自然といいサポーターがつくのかも。

そして、彼女と私が遺言書作成の証人になりサインをしました。

出来上がった遺言書は公証役場に本書が保管され
写しが友人の手元に残ります。

万が一、火事になったり、泥棒に持っていかれても大丈夫。
又、テレビドラマのようですが
故意に書き換えられても、本書があるので間違いは起こりません。

遺言書に書かれている項目や財産の額によって
料金が違ってきますが
10万円前後位~でしょうか。

いつもは、ご紹介だけが多いのですが
今回は友人だったので
事の流れを一部始終見ることが出来、大変勉強になりました。

皆さんは
知らないでしょうが、相続時のいざこざは、
大なり小なりですが、ほぼ100%あります。

連れ合いが死んだ後
残った方が、子供に財産をとられて
肩身の狭い想いをしている・・・
そんな人は、周りを見渡せば必ずいるでしょう。

今の世の中なら
夫が死んだら、財産は妻が相続し子供にはさせない。
妻が死んで初めて子供に相続される。
この形が、いいのかもしれません。

そうすれば、子供は残った親を大事にします。

それには遺言書が一番です。
末永く、皆が仲良しでいる為の知恵です。

なんか、悲しい気もしますけど。
やっぱり、もめるよりイイ。

お世話になったお店が閉じました

2008年09月11日 | 私の半径100メートル
この1ヶ月ばかり、駅前のお店が閉まっています。
夏休みかな?と思っていたのですが
いつまでたっても、シャッターは開きません。

そのうちに、噂で閉店したらしいと聞こえてきました。

洋服屋さんでした。
ジーパンが主流のお店です。

ご主人がいつも店先に立っています。
聞けば、万引きが多いとの事でした。
中学生が数人でやってきて
わいわい騒いでいるかと思うと、1人が万引きをするんですって。

だから、ご主人が店先にいつも立っているのです。
ご主人は少しおでこが広く、目がまん丸で後ろに手を組んで
ニコニコしながら立っているおじさんです。
私が前を通っても「今日は暑いですね」なんて声をかけてくれます。

私が以前、勤めていた葬儀社は
駅を降りてそのお店の前を通り過ぎ
信号を渡った先にありました。

駅を降りた会葬者の方は、駅前からは見えない葬儀社に来るとき
店先に立っているおじさんに道を尋ねる人が多いのです。

ご主人は、いつも丁寧に葬儀社を案内してくれました。
おじさんが留守の時はおばさんが代わりに店先に立ち
道案内もおばさんの役目になります。

おばさんは気さくな方なので
喪服を着た人がウロウロしているだけでも
声をかけてくれるようになりました。

おばさんはとても器用な人。着物の端切れから
猫や蛙を作って、知り合いにあげているのを見て
「遺族の形見の着物や洋服から、小物を作ってもらえないか?」と
聞いてみたら、快く引き受けてくれました。

それからは、年に1回の斎場見学会では
そのオバサンの作品コーナーが出来ました。
犬、猫、ウサギ、猿、等小さな動物達
ティッシュ入れ、扇子袋、お手玉、バックなどが
可愛く並べられ、いつも人気のコーナーになりました。

日本中の商店街が、シャッターだらけになっているそうです。
私も、各地に行きますが、本当にその通り

駅前でありながら
店を閉じるような時代なのですね。

この御夫妻のお陰で
駅から来る人の不安は、どれほど無くなったでしょう。
親切な対応をしてもらえて、
私達もどれほど、安心できたことか。

駅から帰るたびに、シャッターを横目にして
そのお店を通り過ぎます。

「涼しくなりましたね」って心の中で言ってます。
おじさん、おばさん長いことありがとうございました。

オリジナル本 が作れます

2008年09月10日 | 私の半径100メートル
今、ホームページの準備にチョット動き回ってます。

このホームページでは、いろいろな物を紹介するつもりです。
葬儀に関係する物だけでなく、もっと幅広い物にしたいんです。

でも、必須条件は【私が納得して、気に入った物】です。

その中に、オリジナル本があります。

先だって、そこの社長と逢って、色々おしゃべりをしてきました。

この会社は手軽に「オリジナル本や写真集」を作ってくれます。
それも1冊から。
価格も驚くほど安い。
もちろん、素材や内容によるけど1万円でおつりがくるものもあります。

何冊か見せていただきましたが
その中の1冊は
お母さんを亡くした1人娘さんが、お母さんへの想いを本にしたものです。

若い頃のお母さんの写真。その横に書かれた娘さんのコメント
「バトミントンでもやっているのでしょうか?」
結婚して、子供が生まれ、成長の写真と共に娘さんの思い出話が一杯

やがて孫が出来、おばあちゃんとしての溺愛ぶり。

闘病の様子。
最後に救急車で運ばれたお母さんの様子。

着替えをさせていた看護婦さんでさえ気付かなかった
静かな死。

ベットの横で着替えを見ていた娘さんだけが死を悟った。
「あの、もう母は死んでませんか?」

写真の合間にそんな文章が書かれていました。

社長は出来上がった本は個人情報の塊。
だから、絶対にサンプルにはしません・・・と言い切りました。

そう、これは社長のお母さんの本でした。

誰の為でもない、自分のための思い出本。
残したい写真はこの本に集められました。

古くなっていく物はやがて捨てられますが
この一冊だけあれば、お母さんを感じられる気がします。

本の目的は色々で
嫁ぐ日に両親へ残す本
生まれた赤ちゃんに「待っていたよ」と伝える本
自分の孫へのメッセージ本などなど、

余命、残り少ない人からの依頼は
長男と長女への母からのメッセージでした。

依頼を受けた翌日に亡くなったそうです。
出来上がった本を見たお子さんからは
感謝の手紙が届き、今でも時折便りがあるそうです。

ご主人には本を残していません。
「まだ、先の人生があるはず。本を残したら邪魔になる」と考えられたそうです。

家族だけでされる葬式。
一周忌に故人の本を親戚に配る方もいるそうです。

本の作り方、見当がつかない。
文章だって書けない。

でも、お話しさえ伺えたら
その想いを書き上げる手伝いをしてくださいます。

思い出やメッセージがあれば、ちゃんと本が出来るんです。

今、私は考えてます。
亡くなった伯母の片付をして見つけた写真。
1人暮らしだった伯母の思い出を
姉を亡くした母の為に、本にしてあげようと。

そして、1年前にお父さんを亡くし
1年後のその日に、赤ちゃんを産んだ知人の娘さんの為に
赤ちゃんへのメッセージ本をプレゼントしようかな・・・と

写真が10枚以上あれば出来るそうです。

このステキな本、私のホームページで提案します。
ホームページの出来上がりは、まだ先ですが・・・


きれいな故人に触ってください

2008年09月09日 | ご遺体のケア
前回の続きです。

ご遺体の体の中は、感染症の危険があると、お話ししましたが
きちんと処置すれば、大丈夫なんです。

簡単に言えば
「遺体から漏れた、体液や血液や尿や便等を素手で触ってはいけない」
ということです。

そういうものが無ければ、体や顔や手に触れても大丈夫なんですよ。

ご遺族が安心して故人に触れることが出来るように
葬儀社の人は、きちんとご遺体の処置をしないといけないのです。

体液や血液が体の外に出ないように
殺菌剤を使って、しっかり詰物をする、事が重要になります。

又、自然な容貌を作るためには
口の中に含み綿をしたり
落ち込んだ瞼が開かないようにしたりするのです

ご遺族が故人の顔や手をさすれるように
頬ずりできるように。
生前の面影が残るように。

その為に、葬儀社の人は
きちんと手袋やマスクやエプロンを着け
遺体の隅々まで手を抜かずに処置をして差し上げるのが
仕事なのです。


きれいになったお体なら
触ってあげてください。

亡くなったばかりの時は、まだ温かくて柔らかいんです。
そう、まるで寝ているようです。

時間が経ってくると
冷たくなり、体に硬直が起こります。

髯や爪が伸びたように感じますが
皮膚の細胞が乾燥して縮んでくるのです。

お布団から、柩に納められ
やがて火葬場で荼毘にふされます。

遺骨になったのを見て
「もう、この人は生き返ってこない、戻ってくる体が無くなった」

そう思った時に、遺族は
最初の諦めをつけるのだ・・・・

私はそう思っています。

出棺する時は心が乱れていても
遺骨を抱いて帰ってきた遺族は
皆、気が抜けたような
ホッとしたような表情をしています。

亡くなった人の体に触れて、その変化を感じる事は
死を自然に受け入れることなんですね、きっと。

その大事な状況を作るのは
葬儀社の人の努力が必要なんです。

葬儀社の人は、自分にも、ご遺族にも、安全を確保してあげることですね。