エンディングノートには、「葬式の時に呼ぶ名簿」や「相続人の範囲」を示すために親戚の項目があります。
最近では家族葬が主流になってきたので益々、親族が一堂に会する機会が減りました。
葬儀の現場では親戚の結束が固い家のお葬式を担当すると、悲しみより和やかさを強く感じることがありました。
反対に親戚付き合いを疎まれる方が多いのも確かですね。
親族は心強い味方にも、手ごわい敵にもなります。
私が「エンディングノートの書き方セミナー」でよくお伝えすることは、親戚の項目には名前や間柄だけに使うのではなく親戚との付き合い方も付け加えることです。
例えば、
子供が知らない過去の出来事があるかもしれません。
子どもが困ったとき、親戚の誰を頼ったらいいのか、また誰に近づいてはいけないのか。
「このおじさんにはお金を貸してはダメ」「お酒を飲ましてはダメ」とか。
あなたが長い時間をかけて得た親戚との付き合い方も「子供に相続できる貴重な情報」です。
亡くなる方が高齢になると、兄弟やご親戚も当然高齢者が増えます。
相続時に、長年付き合いがなく住所も家族状況もわからないと事が前に進まなくなります。
結婚式は招待者のみが集まりますが、お葬式は情報が流れて予期せぬ人も来ることがあり、見知らぬ親戚を知る機会でもあります。
参列者名簿は最新の住所や電話番号がわかり、参列できなかった親戚が香典を託すことも多々ありますよね。そこにも連絡先が書かれています。
疎ましい関係でも相続人の範疇なら声をかけることも必要かもしれません。
私の体験ですが、義母の葬儀の後の会食時に全員に自己紹介をお願いしたことがあります。
家族からは「そんな面倒くさいことをするな」とブーインが出ましたが
長年疎遠で顔もわからずにいた人が判明したり、故人との意外な間柄や昔話を聞かせてもらい感激したり
姪が離婚して新しい家族になっていて驚いだり、興味溢れる会食時間となりました。
その後はあちらこちらで新たに挨拶が始まり「おの叔母さんは今どうしてるの」などの情報が交わされました。
知らないままの集まりであるなら義理の参列になりますが、関係がわかるだけで隣席との会話も成り立ち居心地の悪さもなくなります。
私はこんな機会は「故人の無意識の配慮」ではないかと感じますが、いかがですか?