柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

母が残したエンディングノート

2019年05月29日 | 私の半径100メートル
8年間に父を亡くし、その数年後に母の終末希望を聞き取りました。

文字を書くのがすでに苦手になっていましたので

私が聞き取りをして書きとったのです。

その時に母の幼い頃や娘時代の話を聴きました。

父との出会い、結婚に至るまでの話、

当時の東京の様子など、私には新鮮な話です。


介護はどうして欲しいか

よく世話をしてくれていても息子夫婦に負担をかけるのは気が引けるようです。

かといって、京都在住の妹には無理です。

私とは喧嘩もするくらいぶつかり合いがありましたが、長女として頼ってくれたこともあり

結局、私の近くに来る結論になりましたが母にとってベストアンサーではなかったと思います。

もちろん私の主人にも遠慮があるので近くの老人ホームとしたわけですが

実際にはホーム入所は母の大きな抵抗にあいました。

それでも時間の経過は母の穏やかな日々を作りました。



親戚、友人はすでに亡くなっていますし、菩提寺が近いので葬儀は身近な人たちで。

相続は長男が財産管理をしてわかるようになっているから

とにかく仲良く平等に、と強く願っていました。

そして延命はしない、と言っていました。


そんなに細かいことまで、母の今後の想いを聴いたことがありませんでしたが

母を亡くしてみると

大切なことを聴けていたと感じます。


入院中に医師から「母が老衰に入っています」ときいたとき

兄弟が全員揃って無理な延命はしないと決めました。

「口から食べなくなり飲めなくなったら、そのままにしよう」という意見です。

それでも容態が変わるたびに何度も弟、妹に連絡を取り意思確認をし続けました。


母の終末希望の聴き取りをしなければ

きっと延命拒否も、子供にとって大きな迷いがあったと思います。

母のためのエンディングノートというより

後に遺る私達のためのエンディングノートでした。


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母の看取り

2019年05月23日 | 私の半径100メートル
5月15日 午後4時 
母を看取りました。

この数か月、母はよく寝ていました。
いつ行っても寝ていました。
声をかけると目覚めて会話をしたのはもうだいぶ前です。

だんだん目も開けなくなり、「お母さん」の声に
こっくり頷くとまた、寝てしまいます。

このころは母を眠り姫と呼んでいました。

3日に一度の目覚めが4日、5日に伸びていきました。

無理な延命はせずに口から食べることをお願いしていたので
寝ている時間が多いと食事もとらなくなります。

胆のう炎の痛みで入院していましたが
薬の投与で痛みはなくなっています、

水分補給の点滴はしていましたが、
血管から針が入らなくなったら、点滴もしないつもりでした。

15日の朝、病院の担当医師から意識がなく危険な状態と連絡をいただき
駆けつけました。

今までの眠り姫ではなく顎を上に向け
大きく下顎呼吸をしていました。

兄弟と私の子供達に連絡し、そばにつきます。
弟はどうしても到着が4時頃になりそうですし
妹は京都なのですぐには無理そうです。

孫2人が駆け付けてくれ、3人で見守りました。

首の下や肩や手や足をさすり
「心配しないでね」
「今まで有難う」
「お父さんと会えるね」
などと話しかけていました。

下顎呼吸は長く続きます。
午後3時半に弟が到着し、4時に静かに息を引き取りました。


ずっと付き添えた看取りは、母が初めてです。
苦しんでいる様子はなく
いびきでもかきそうな大きな呼吸をして
自分の存在を十分に示していきました。

92歳で、親戚中で一番の長生きです。

今、母名義の家に住んでいる私の娘が
「おばあちゃん、一緒にお家へ帰ろうね」と泣きながら話かけてくれました。

不思議なご縁のある子で
この娘は主人の母親の死後も1週間、見守ってくれ
私の母親の死後も4日間、見守ることになりました。