柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

写真を抱いて

2008年07月30日 | 悲しみのケア
私の住む地域でも、花火大会があります。
海の近くなので、ここでは海上から打ち上げます。

もう5年前の事ですが、釣り船をチャーターして
船から花火見物をしたことがありました。

屋形船ではないので、ゆったりとしたスペースはありませんが
屋根が無い分、花火は見やすいんです。
難点と言えば、打ち上げ場所の近くまで行けるので
花火を見上げる為、首がくたびれます。

この船に乗ったのは、当時いた葬儀社でお世話した遺族の方達です。

普段は、会社の中で「遺族の心を語る会」を開いていました。
遺族は、葬儀が終わってからが本当の悲しみを感じ出します。
普段の生活に、いるべき人がいない・・・これは未経験者には
想像出来ない、苦しみです。

特に、1人住まいになった方は、この苦難を乗り越えるのが大変なことなのです。
周囲に訴えても、時として慰めより傷つくことも多く
外に出るのが、怖くなる方もいます。

そんな方が、一番安心できるのは、同じ境遇の方達との触れ合いです。
そこで、月に1回、遺族の方が自由に集まれる会を開きました。

でも、誰でもすんなり参加できる訳ではないんです。
参加するにも勇気が要ります。
ですから時折、食事会とか散策の会とか趣向を変えて開きます。
花火大会にも、初めての方が多く参加されました。

釣り船に乗るのが始めての人、親子で参加した人、お孫さんを連れてきた人
ペット連れの人。

港までは汗を拭き拭ききましたが、
海の上は、しばらくすると夜風が冷たく感じ
潮風のせいか、髪も肌もベタベタになりました。

隅田川の花火と違って、花火の周りに星も見えます。
ロマンティックな花火でした。

船から下り、皆さんと話をしたら、いろんな言葉が出てきました。

「久しぶりに楽しい時間を過ごしました」
「隣の方と、お互いの話をしたんですよ。
 そしたら、同じような苦労をされててチョット安心しました」
「実は、主人の写真を持ってきて、胸に抱いて一緒に花火を見たんです。
 きっと、喜んでます」
「花火を見てたら、この空に母もいるんだなって思えてきて
 母と話しをした気分です」

そんな言葉を残して、皆さんが帰っていきました。

花火はパッと咲いて、漆黒の中に吸い込まれていきます。
見ている人によって、それは色々な効果を生むようです。

遺族の方との花火見物は、やった甲斐がありました。
良かった。

帰り道に気が付きました。
船上では、髪も肌も塩気でベタベタだったのに
上陸したら、それがなくなってたんです。
どうしてなのでしょうか?
不思議でした。

隅田川花火

2008年07月29日 | 私の半径100メートル
7月26日は隅田川の花火大会でした。

実家が隅田川のすぐ近くで
屋上から、打ち上げ台が見えるんです。
これはチョット、見ものですよ。

筏の上に花火が並べられ、船で引かれてきます。

実家では、朝から準備が大変でイスを屋上に出したり
ビニールシートを敷いておいたり
大きなバケツに飲物を冷やしたり、おつまみを揃えたり
トイレを開放できるようにしたり・・・

毎年、60~100人くらいの方が花火見物に見えます。
商売上の関係者や友人、知人で、毎年の常連さんもかなりいますね。


隅田川の近くの家では、ほとんどが実家と同じ状態です。
商業地域なので、小さいけどビルがひしめいている所です。
どこのビルも屋上は人、人、人で一杯です。

道路では、ビルの間から見える花火を地面に座って見ている
大勢の人で一杯。屋台も結構出てます。

隅田川を取り囲む道路は車を規制して入って来れず
場所取りが出来なかった、花火見物の人々は
道路に留まらず、一方通行に流れるように決められています。

花火見物も楽じゃないですよ。

デモね、それでも老若男女、皆、楽しそうです。
浴衣の人も年々多くなってますね。

打ち上げ台に近いと、花火の着火から見えるんですよ。
これは醍醐味がある。
それと、音がすごい!
両サイドにビルが立ち並んでるので反響してね。

今年が風の向きの影響もあって
破裂した火薬の粉や、紙くずがどっさり飛んできました。

一時間、2会場で2万発打ち上げて終わるんですけど
ビルの上から見ている人は、最後が楽しみなんです。

打ち上げが終了した筏に、花火師が上がってくるんですよ。
ペンライト持って。

それで、両岸のビルの見物客にペンライトを振るんです。
見物客は花火師に拍手を送るんですね。
両方で、アリガトウ!アリガトウ!ってね。
ちょっとした、感動ものです。

最近では、見物客の方もペンライト用意している人達もいて
今年はビル全体がペンライトだらけのところもありました。

私も、長年、花火を見ていますけど
途中、部屋に入ってしまっても
このラストシーンだけは、絶対見たいところです。

お客様をお見送りして、屋上を片付けてゴミを出すんですけど
道路は各家からでたゴミと、路上の見物客のゴミでものすごい量が
あふれています。

でも、この日だけは、清掃車が一晩中かけて
全てのゴミを片付けてくれます。

このパワーも大した物です。

80を超えた両親は、毎年「大変だから、今年は誰も呼ばないのよ」と
言いながら、毎年同じ支度をしています。
毎年準備や片付をしてくれる親戚、知人がいて両親をサポートしてくれます。

今年の花火も終わりました。




柩の釘打ちは、しません

2008年07月25日 | お葬式
まだ、8歳だった私が鮮明に覚えているシーンがあります。
「ここへおいで」と呼ばれ手に小石を持たされました。
「ここを石で叩いて」と言われ、板の上を叩きました。
「違う、違う、この釘の上を叩いて」
言われた通りにして、その後を何人もの人が同じように釘を叩いていました。
確か、私が一番最初に呼ばれた気がします。
12歳で亡くなった、従姉のお葬式でした。

今、思えば棺に釘を打っていたのですね。
柩の中の従姉の顔は覚えて無いのに
小石を持たされたことだけはハッキリ思い出せるのです。
最近は柩の蓋に釘打ちをしなくなりましたが
地域によっては、この慣習がしっかり残っている所もあります。

昔は柩の作りも雑で、その上、墓地まで葬列を組んで、柩を担いでいきました。
途中で蓋が外れぬように、遺体を落さぬように釘を打ったといわれています、
又、その昔、死は恐ろしい悪霊の仕業と考えられた事もあり
悪霊を閉じ込めてしまう為の釘うちでもあったようです。

現在の柩はとてもよく出来ています。
蓋もしっかりと閉まります。
火葬場へ向うのも人の手ではなく、霊柩車で送ります。
その為、蓋を釘で打つ必要がなくなりました。

それに釘を打つ音は、遺族には故人を閉じ込めてしまう冷たい音に聞こえます。
事実、遺族には釘打ちが無いほうが歓迎されています。



私にはもう1つ釘打ちの嫌な思い出があるのです。
葬儀の仕事を始めて間もない頃です。
まだ、パートのオバちゃんだった頃、ある漁村で葬儀がありました。
そこの葬儀は、葬儀屋さんだけでなく、タクシーの運転手さんとか
バスの運転手さんたちも、葬儀の担い手として手伝っています。
「任せておきな!」の乗りで手馴れた感じでした。

出棺が迫り、柩に釘を打つ時に事件は起きました。
柩が良質になった分だけ、蓋の材質も硬くなっており
おまけに蓋の角が少し傾斜がついています。
釘が打ちにくい状況です。
当時は、前もって釘を打ち易いようにキリで穴を開けておいたりしたのですが
その日は、タクシーの運転手さんが「俺がやってやるよ」と前に進みました。

思い切り叩いた釘は、跳ねて飛んでしまったのです。
それも、遺族の娘さんの額に飛んでいきました。
すぐに葬儀担当者は駆け寄ってお詫びしていました。
幸いにして、怪我はありませんでしたが
一瞬、その場は凍りつきました。

喪主さんは何も言わずに出棺されましたが
後で担当者はお叱りを受けたようです。
喪主さんも、地元出身のタクシーの運転手さんを
知っていたので、大事にはならなかったようです。

葬儀の仕事を他業種の人に任せるような事はすべきではありませんし
そういう、いい加減な仲良し関係は仕事の責任も曖昧にします。
多分このタクシーの運転手さんは、喪主や釘が当たった遺族の娘さんに
謝罪もしなかったと思います。

こんな事件はこれが最初で、最後でしたが。
その後、柩の釘うちが無くなって、ホッとしました。

出棺の時、少しの距離でも親族が柩を持ちますね。
これは、昔の墓地へ行く葬列の名残です。

それともう1つ、棺と言う字と柩という字がありますが
遺体が入ると柩という字を使います。
だから、霊柩車と書くのです。

と調べましたが、もし違っていたらどなたか訂正してください。


喪服もおしゃれに

2008年07月23日 | 喪服もおしゃれに
本日はポンポンダリアさんのご要望により喪服についてお話しましょう。
と言っても、葬式のマナーに書いてあるような内容ではありません。
私が「いいなー」と考えてる喪服の話しです。

喪服を探すには「フォーマルドレス」の売り場にいきますか?
そこなら、沢山ありますね。オールシーズン型が多いでしょう。
実際には、夏に着ればかなり暑いし、真冬は寒い。
日本のように四季がハッキリしているとオールシーズンは
チョット無理があるでしょ。

私は仕事柄と言う訳でなく、元々、黒っぽい服が好みなので
お葬式に行くのには、そのまま行けちゃうんです。
あえて、喪服として買ってないんです。

それに、会葬者として行くなら黒にこだわりません。
グレーでも紺でも気にせず出かけます。

例えばグレーのジャケットに黒のスカーフを巻いたりして
それらしく装います。

便利なのが黒のコサージですね。
これをつけるだけで、喪に服しているように見えます。

夏に黒のパンツに黒以外のタンクトップを着ていても
黒の薄く透けてるジャケットを羽織ればとてもステキな喪服になります。
これも便利です。

もう一点、優れものがあります。
黒のレースの手袋です。
特に夏、半そでの時は手に持つだけでも、それ様に見えます。

だから、出先からでも気にせずお葬式には伺います。
但しアクセサリーは外します。

男性も、同じように考えて大丈夫じゃないですか。
ジャケットに黒のシャツとか
ポケットチーフを黒にするとか。

ただ、間違えやすいマナーを紹介しておきます。
男性が普通のスーツに黒の腕章をつけて参列する人がいますが
あれは、親族がつけるための腕章なんです。会葬者がつけてはダメです。

よく「通夜は急な知らせで駆けつけるのだから喪服でなくても構わない」
と言いますが、告別式も同じだと思うんです。
仕事の途中で、葬式に出る人も多いでしょう。
時間を割いてでもお別れに来た「気持ち」が大切なはず。
洋服は黒にこだわらなくても大丈夫です。

私は、親族用として
夏には黒のレースのワンピース(ノースリーブで涼しい)
真冬には黒のアルパカのスーツ(驚くほど温かいです)を用意してます。
両方とも普通の洋服売り場で買いました。
だから、普段にも愛用しています。

「喪服は何年ぶりかで着た」と言う方が多いんです。
「確か、喪服はあったぞ!」って思って、当日着たらピチピチ。
自分が太った事をすっかり忘れてる。

ボタンがとれてたり、裾がほつれていたり・・・よくある事ナンですよ。
気をつけましょうね。

最後に「黒のネクタイが見つからない」と困ったら
駅の売店に行くと売ってますヨ!!!


遺品になった写真はどうします?

2008年07月20日 | 葬儀後の相談いろいろ
机の中を整理していたら、写真が出てきました。

数年前に乗った、北斗星の食堂車です。
やっぱり雰囲気があります。

シーズンオフだったので、食堂車で食事した乗客は
3組しかいませんでした。
ディナーは懐石膳かフランス料理
モーニングも和食か洋食を選べました。

食事の後は、ロビー室があってそこで他の乗客とおしゃべりタイム。
シャワー室もついてました。
北海道の帰りに利用しましたが、良かったですね。


写真って、見ているとすぐにその時の気分を思い出すから、不思議ですね。
でも、整理するのは中々大変です。

今、亡くなった伯母の家を片付けていますが
珍しい写真が出てきて、つい見入ってしまいます。
古い町並みや、暮らしぶり。
そして伯母や母の少女時代。
戦争中で、全てが不幸な時代だったと思うのですが
写真の中の少女達は、若くて、華やいでいます。
きっと、厳しい境遇の中でも、夢見る頃だったのでしょう。

この写真、全部取っておくわけにもいかず
一体どうしたら良いのやら?
処分するには、惜しい気もしますが・・・・
もう、母や伯母のことを知る人も
私達兄弟とその子供達だけになってしまいます。

写真を撮るときは、記念にと多数の写真を残しますが
自分がいなくなったら、後の人は山と残された写真を前に
どうした物かと悩むのでしょうね。

その点デジカメなら、データーごと処分できて
いいのかもしれません。

私達は、やたらと物を残してきましたが
今や、気軽に処分できる事は
大事なのかもしれません。




夜更けの手紙

2008年07月19日 | sibatanoriko?
手紙書きますか?

最近はメールや電話が多いけど
私、よく手紙を書きます。

前は、電話を手に持ってるのに
何でわざわざメールするのか?解らなかった。

相手が電話に出なくても、留守電に入れればいいじゃないってね。
ところが、メールしか出ない人がいて
(これ、うちの娘。時々腹が立つ。私が死んでも電話通じないんじゃないの?
葬式終わって、駆けつけてくるかも)
メールし始めたら、確かに便利。

多分、若い子と違う意味で。

相手の話し聞かずに用件だけ伝えられるから
都合が良い。
電話すると、長くなっちゃうでしょう。
用件だけじゃ切り難いし。

若者は、メールでも、電話と同じように
相槌打ったり、すぐ返信しなきゃいけないと聞きましたが・・・

それも、苦労なことですね。
結構、気にするんだ、そういうこと!

それでね、手紙ですけど。
久しぶりだと、電話より中身の濃い話しが書けたりするんですよ。
時間かかっても、相手を電話口で待たす訳じゃないし
目の前にいる訳でもないから。

読み返せば、表現の悪い所も直せるしね。

口だと、私なんか、ストレートに言いすぎたり
この先言わんとこう・・と思っても
つい、口が滑ってしまったり。

その点、手紙はいいですね。

今夜は久しぶりに手紙を書いて
夜が更けました。

カタログギフトって、欲しい物ある?

2008年07月17日 | 香典返し、返礼品
結婚式の引き出物に、定番になっているのがカタログギフト。
結構、厚いんですね。
葬儀でも、香典のお返しにこれが使われています。

初めの頃は、物珍しくて選ぶのが楽しかったけど
最近では、欲しい品物が無くて困ってます。
皆さんはどうですか?

お祝いを頂いて、お返しをするのは
日本の礼儀文化なのでしょうが
お返しを支度するほうも、困り果て
頂くほうも、困り果てでは
お返しをする意味がないような気がしますね。

本来、人に贈り物をするのは楽しい物です。
「これなら、きっと喜んでくれる」とか
「これは持ってなかったはず」とか
「ビックリして、面白がってくれそう」とか
「ご家族の誰かが使えそう」とか
そんな気持ちで、品物を選ぶ時は、こちらもワクワクしますよね。

カタログギフトって
「あなたのお好きな物をどうぞ!」という主旨ですが
同じようなカタログギフトが、年に何回も重なるとチョットうんざりしますね。

カタログギフトでも内容が違う品揃えだと
選びようもあると思うんですが。

食品重視とか、下着専門とか、お花だけとか・・・ね。

今までは、食器があって、イオンテリアの小物があって、カバン類があって
ナイトウェアー、お風呂の小物類、時計、アクセサリーみたいなのがほとんど。

時計と言っても、価格がなんとなく分ると「これって、大丈夫?」と思ったりネ。

その価格に見合った良い物でいいんじゃないかしら?
2500円の時計より、2500円分の洗剤やお米のほうが良かったりして。
最近、感激したのは、「この店のエステ1回分」とか「この店の食事5000円分」、そんなカタログがありました。
ただし、利用地域が限られますけど。

何でもそうなんですけど
「これはステキ」と流行っても、せいぜい2~3年くらいしか喜ばれない。
その先は、もう一工夫が大事よね。

私、常々感じるのですが
お客様は「これが欲しい!!」とは中々言わない物です。

売る側が「こんなのどうですか?」と言ってくれないとね。

商品を見て「それが欲しい」と言って貰えた時、初めてお客様のニーズに応えたことになる。
お客様のニーズを仕掛けるのは、売り手側ですね。




夫婦とは、親子とは

2008年07月15日 | 私の半径100メートル
母親と喧嘩をしました。
もう3週間くらい前になります。

大変なわがままで、少し痴呆になりかけている父との二人暮らし。
若い頃から、父親の言動には苦労してきた母です。

母は体には幾つもの病気を抱えていますが
ヘルパーさんの助けを借り、日常の生活は出来ています。
そして、頭はさえきってますが、心が弱ってきました

口うるさい父の小言に、それも少し訳がわからなくなった
非情な小言に、しっかり者の母が参っています。

母が涙ぐんで訴える姿に、私が本気で答えて、喧嘩になりました。

「一緒に住む?」
「ここから、離れる訳にはいかないよ」
「じゃあ、お父さんが悪い時はプチ家出しちゃえば?」
「出来るわけ無いでしょう」
「お父さんの事、子供達全員で怒ろうか?」
「そんなことしたら、後が大変よ」
「ずっとそうやって、お父さんを怒らせないようにしていたから
 わがままになっちゃったのよ。もうお母さんも年なんだから
 我慢ばかりしで。子供は皆、味方になるから」

こんな会話の繰り返しで結局、最後に
「一緒に住んでいないあんたには、分らないわよ」という
母のセリフを聞いて帰ってきました。


確かに、そうなんですけど。
ただ、「しょうがないね」と聞いていればよかったのでしょうが。

年老いた両親が2人で暮らしてる事実に
娘としては、良心の呵責もあり
つい、解決策を口走ってしまうのです。

気になりつつ、その後電話もしませんでした。

いえ、本当は10日くらい前に一度電話をしましたが
其の時の母の様子が
「まだ、怒ってます」という口ぶりだったんです。
「こりゃ、ダメだわ」と、今日まで連絡をいれてません。

それで、今夜又、電話を入れました。
「あんた、元気なの?」
いつもの母の声でした。

親子の特権ですね。
どうやら、ご機嫌は治ったようです。

いつもより、饒舌になっています。
長い電話をしてしまいました。

「じゃあね、元気でね」
母の明るい声で電話は切れました。


夫婦のあり方は、傍では変えようがありません。
2人が作り上げてしまった物です。


世間には、ウットリするほど
仲の良いご夫婦がいます。

出来れば、穏やか夫婦関係でありたいと思いますが
我家を省みても
難しい事、この上ないです。

30年後に、わが子も、同じ悩みを持つかも知れません。

そうです!歴史は繰り返されるのです。

子供たちよ。今から覚悟して!



ホームレス中学生  見ました

2008年07月13日 | 悲しみのケア
今まで、テレビ見てました。
「ホームレス中学生」です。

ベストセラーになった本は読んでないので
このドラマで初めて内容がわかりました。

このドラマ見ていて、何回も涙が出ました。
年とったせいでしょうかね。
それぞれの立場が解って、気持ちを感じてしまいます。

このドラマの中で、裕は11歳の時に
亡くしたお母さんの死を受け入れることが出来なくて
泣くことをしなかった。
母親の死を認めたくないから
泣いてはいけないと思っていた。

中学生になって、友人のお母さんの葬式の席で
友人の泣いている姿を見て、泣くまいとしていた自分も涙を流します。
親切にしてくれた友人の母親の死によって
自分の母親の死を再確認出来たんですね。

それから、堰を切ったように母親のとの思い出があふれ出て
何度も涙を流しています。

母親を亡くして以来、初めてどっぷりと
悲しみにくれることが出来た時間。
この時間はとても重要な時間で
大切な人を亡くした時、どうしても通らなければならない
時間だと思います。

この時間は「グリーフワーク」と呼ばれています。
「どうして、死んじゃったの」
「僕を残して死んだの」
「僕がいけない子だったの」
「死ぬ人が何で僕のお母さんなの」
「死んだらお母さんにあえるかな」

何もする気が起きず、全てが無駄に見え
誰にも訴えられず、食欲もなく、寝られず
そんな時間を過ごす事が、大切な人を亡くした時に
与えられる時間だと言われています。
だから「グリーフワーク=喪の仕事」と呼ばれているんです。

この時間の中で、少しずつ諦めが持てるようになるのですが
悲しみがこれで終わる訳ではないんです。

辛苦だけでなく、幸せだった事や楽しかった事も思い出してきて
「いい人だった」「感謝している」の気持ちも持てるようになる。
家族を亡くした私の友人は「悲しみはあるけど、悲しみの質が変わってきた」と
表現していました。

子供って、恐ろしく感性が鋭くて
大人が感じないような事を考えるんです。
自分が悲しむことを家族に悟られないようにしたり。
自分が悲しむ家族を救わなくてはと考えたり。

健気なんです。

このドラマの中でも
お兄ちゃんやお姉ちゃんも裕と変わらぬ悲しみを抱えたはず。
そして、お父さんもです。

家族の中で亡くした人の話が出来ない時間があるんです。
話すのが辛くて、相手の悲しみが察せられて
その話しをお互いが避ける時間です。
お互いに話を避けて、10年後初めて当時の話をした家族もいます。

これも遺族の方の話ですが
「怪我をするとそこが痛いでしょう。
お互いに怪我をしていると、抱き合う事も痛くて出来ないでしょう。
そういう状態なのよ、家族は。」

時間が薬とは好く言ったものです。
でも、これは「結果そうなった」事であって
他人がこれを言って慰めると、返って傷つけてしまいます。


このドラマの兄弟はすごい兄弟でしたね。
皆、辛いはずなのに思いあっている。
ドラマだから、いい事しか演じてないかもしれないけど
でも、大筋はきっとこうなんでしょうね。

解る気がします。
この兄弟、「有難う」の気持ちが一杯ある。

人に向けた感謝もさることながら
裕は一月暮らした公園を去るとき
黙ってお辞儀をしてましたね。

エライ!!!
見習わなくっちゃ。



葬儀の新人さんへ

2008年07月10日 | 葬祭スタッフ
葬儀の仕事って難しいようで、簡単なようで

解りにくい言い方ですが、本音です。

私は普通の主婦から、パートで葬儀社に勤めました
葬儀の仕事が入らないときに、「自治会を廻ってみましょう」って提案して
葬儀社の営業を始めました
お葬式が入ると、制服着て会葬者の案内や、親族のお世話をしてましたが
それも、誰に教わったのでもなく、こうしたら来た方が便利と考えて

数年後に葬儀社のリ-ダーになりますが
驚くことに「葬儀の担当したことない!」
仕事仲間で唯一の経験者は派遣会社経験2年の人だけ
後は、アシスタントと素人だけの葬儀社だったんです

でも、勉強しながら覚えていきました
宗教儀式は導師の方に教わり
葬儀概論(葬儀用参考書みたいな物)を見たり
「葬儀」「フーネラルビジネス」という業界紙を端から端まで読みつくしたり
葬儀の写真を見ると、花の飾りつけ、看板の書き方、社葬の流し方、神前の供物はどんな物を使うのかなんて、調べつくしました

本はどれもアンダーラインだらけ

葬儀社を任されて、確か2ヶ月目にキリスト教の葬儀が入り
ドキドキで教会の役員さんに聞きまくりでした
初めは、心配されたけど、その後はスゴーく信頼していただきました

3ヶ月目に1000人の葬儀が入り、やるっきゃないと乗り切りました
長い行列が出来、力不足で、近所に迷惑かけた所には
すぐに挨拶に出向きました
確か20件くらいお菓子持って廻りましたね

導師が来るたびに、「お教えください」って頭下げて色々教えていただきました
1年後には、どこの導師にも褒めていただける担当者に全員がなりました

ある神道の葬儀で宮司さんが通夜祭(通夜)と葬場祭(告別式)で違う方が見えたことがありました
前夜祭にいらした方が神前の飾りつけ(米、塩、酒、野菜、魚、乾物等)を指示してくださったのですが、葬場祭にいらした宮司さんは、飾りつけを見て「こんな事も知らない馬鹿な葬儀や」と親族の人に話してました
ナンだ!こいつ!って心の中で叫びましたけど・・・
その後、宮司さんによって、それぞれ飾り方が違うことが解ってきました

お寺さんも、キリスト教も新興宗教も皆、導師によって指示が違います

同じ県でも、地域によっても違います
葬儀の習慣も違います


初めは宗教儀式の準備に不安がありましたが、それ以外の対応はどこの葬儀社よりも自信があったので、大した問題もなくやって来れました

大切なのは、宗教儀式なら導師がやりやすい場を作ることです
そして、遺族や親族、会葬者に出来る限りの気遣いをすることです
きれいな案内というよりは、優しくプロとしてのサポートがある案内です
そして、故人や遺族の為の(その人の為の)葬儀をすることです

そのための工夫なら、前代未聞って事でもOKなのです
このブログを呼んでくれてる新米の葬儀屋さんがいたら
参考にしてみてください

ただ、何年たっても「惰性」と「天狗」になってはダメですよ





蒲郡、エステと弘法大師がグー!

2008年07月07日 | sibatanoriko?
愛知県蒲郡に東洋一大きい弘法大師像があるんです
小高い山の上に約19mの弘法大師がおりました

安産祈願で有名らしく、手には赤ちゃん(と言うか小さなお坊さんのように見えますが)を載せています

お顔がすごく親しみやすく、どこかで逢ったような風貌でした


蒲郡ってどこだか知ってますか?

私も行くまで、知らなかった
愛知の皆さん、すみません
愛知県はクワガタのツノのように渥美半島と知多半島が両方から出てますよね
そのほぼ真ん中あたりが蒲郡(がまごおり)です
とっても良い所でした

1泊で、ゆっくり出来て、変わったこと出来る所
この条件でみ~つけた!!となったのが蒲郡で~す

日本最大級のタラソテラピー施設「テルムマランラグーナ」がいいんですヨー
スポーツジム張りの運動量があるプール、多種多様なエステがあり
ホテルはすごくゆったり
廊下もラウンジも部屋も無駄なスペースがたっぷり

食事はカロリー控えめで野菜多め
館内はミネラルウォータのみ、しかも飲み放題

部屋には日本茶、ハーブティーとミネラルウォータしかない
「コーヒー飲みたい」と少し欲求不満

それでも目の前のヨットハーバーから吹く風の気持ちよいこと

プールとエステで程よく疲れて夜はグッスリでした

娘と、妹との3人の旅行
たまには、いいですね

何で、「テルムマランラグーナ」の写真が無いかって?
あまりにグータラ出来て、撮るの忘れてた

弘法大師の足元に私はいません
あっカメラ!と思い出し、急いで写真撮ってます






夜中の事件

2008年07月05日 | 私の半径100メートル
皆さん、こんばんわ
午前1時です

前回コメントくださいと書きましたが
コメント貰うのって難しいものですね

でも、身内以外のコメントがいただけて
すごく嬉しかったです
有難うございました

2日前の夜中
うちの前で、事件があったみたいなんです

深夜3時過ぎ、うちの犬、トラが吠え出し
何事かと?主人が窓を少し明けて見たら
うちの前の道で、警察の鑑識らしき人が
地面にシートをかけて、蛍光ライトみたいなので
その上を撫で回してたんです

側には警察官がいて、ウロウロしてたら鑑識の人に
「あっ、そこ踏まないでください」とか言われてるんです
暫く、色々な捜査らしきものをして
最後に若い女の子が泣きながら現場に立たされて
写真撮っていたんですって

一体、なにがあったんでしょう?

主人は気になってその様子を
窓の隙間からじっと見ていたらしいです

うちの前の道、6mしかないんですけど
警察の人、主人に気付かなかったんでしょうか?
細めに明けた窓から覗く男も怪しい感じですよね

私は目が覚めましたが、主人に現場検証は任せて寝てました

しかし、うちのトラが吠えたのはその捜査の時だけなんですね
きっとその前に事件が起きたはずなんですが
その時は吠えてない

変ですね、
それでね、鑑識の人は数人いたらしいけど、皆、女性だったんです
テレビドラマの科捜研みたい

今朝になって主人は、引ったくり?ひき逃げ?痴漢?
と推理死ながら、沢口靖子みたいな科捜研の女性にすっかり関心

それでね、昨日の夜中もトラが吠え出したので
今度は私が窓を少し開けてみたら
若い男の子が3人
その現場で自転車止めて大きな声で話してる

結構大きな声で
しかもその1人は地べたにうつぶせに寝て
地面を撫で回してる
車が走ってきて仲間が「マジ、危ないぞ、起きろよ」
と怒鳴ってもその子は寝たまま地面に頬ずりしてる

私の推理は彼らが昨日事件を起こし
気になって現場に戻ってきた・・・なんてね
変なことが続き、変な想像も続きます

今夜は何が起こるでしょうか??????

提案します 「故人や遺族と触れ合う葬式」

2008年07月02日 | お葬式
お葬式って、通夜に来る人の方が多いのはご存知ですか?

通夜に100人の会葬者が見えると、翌日の葬儀、告別式は
30人位の方しか見えないのが最近の傾向です。

故人の知人友人は、葬儀、告別式に参列してお別れをするのが一般的
通夜は遺族、親族の為の物でした。

告別という、本来のお別れの場には1/3の人しか見えません。

男女を問わず、年齢を問わず、多くの人が仕事をするようになった現代では
仕事が終わっって通夜の会葬に来る人が多くなってしまったのです。


デモネ、告別式なら、花を棺に入れる時に故人と対面することが出来ますが
通夜では、故人の顔を見ることも出来ず
ただ「焼香をするだけ」の為に来ているような物です。

また、通夜でも告別式でも、現状では遺族に声を掛けることも出来ません。


コレじゃ【お葬式=焼香】という形式重視のお葬式ですね。


 そこで私は提案します!!
●会葬に来た方が、故人のお顔が見れるように
●会葬に来た方が、遺族と言葉が交わせるように
 そんなお通夜にしませんか!!


そこで ① 通夜の日は、5時に遺族、親族が集まって
      お寺様に、通夜の読経をしていただきます

    ② 読経が終了したら、お寺様は退席されます
      この時、お帰りいただいても、その場にご一緒されても
      構いません

    ③ 棺を焼香台のそばに置き蓋を開けておきます
      遺族、親族は自由に会場を動けるようにしておきます

    ④ 6時に会葬者が見えたら、先ず焼香をしていただき
      棺の中の故人と対面してもらいます
      その後、遺族や親族は会場のあちらこちらで
      会葬者にご挨拶をしたり、生前の故人の様子などを
      お話ししていただきます
      そうする事により、どんな方がお参りに来てくれたかよく解ります
      お寺様にも思い出話に加わっていただいてもいいですね

    ⑤ 会食を用意するなら、その場でも、別の部屋でもいいですね
      遺族や親族が、会葬者に直接、会食をお薦めすることも出来ます
      ふれあい重視で、会食が無くてもいいかもしれません

    ⑥ 対面やご挨拶が終わった方から、三々五々解散をしていただきます
      場合によっては、遺族や親族が出口までお見送りすることも出来ます


翌日の、葬儀、告別式は通常な流れになりますが、通夜で十分に告別の意味合いは
なされていますので、少数の参列でも寂しさは違うと思います

こんな通夜の方法はどうでしょうか?



通夜の開式時間を1時間早めるだけで、こんな中身の濃いお葬式が出来ますし
故人を送る本来の意味があると思いませんか?

葬儀社や、お寺様の中には「そんな、告別の状態なら通夜とは呼べない」
という方がいるかも知れません。

名詞にこだわるなら、何か別のネーミングをしてください。

いかがでしょう。

私、コレを広めたいんだけど
皆さん、良いとか、ダメとか、何かコメントくださいな。

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そこに書いてくださいネ。
      



ご近所つきあい

2008年07月01日 | 私の半径100メートル
我家の前に住んでいるおじちゃんと、おばちゃんの話
結婚してここに住み着いてから、ずっとお世話になっています

2人とも70代ですが、子供がいないお宅なので
家の子供達は、なめるように可愛がってもらいました

おじちゃんは昔、K電鉄の鉄道マン、息子が歩けるようになると
電車に乗せて散歩に出かけます


小さい子は記憶力が驚くほどあり、親や周りの大人は
「この子は天才か」とよく勘違いする物です
おじちゃんも息子に大きな勘違いをしたようです

おじちゃんは模造紙にK電鉄の駅名を並べ、息子に教え、
4歳前にはすべての駅名が漢字で読め、始発駅から終点駅まで言える程
教育してくれました

突然、知らない歌を歌いだし、「何!何よ、その歌?」
なんとK電鉄の社歌でした
普通、歌わないでしょう、社歌なんて


ある日息子と出かけ山手線に乗ると
「お母さん、この電車はK線と同じ匂いがするね」と言うのです
「えっ!電車って匂いが違うの?」とビックリ
「電車は、みんな違う匂いがするよ」だって

そのうち、おじちゃんの家の模造紙は変えられました
やがて、息子の口から般若信教が・・・

今は、駅名も般若信教も言えないです

娘も、息子と同様に可愛がってもらい
いつもおじちゃんの膝の中にいました
子供達のご飯茶碗とお箸が前の家にも用意されてたんです

そのおじちゃんは、お酒の飲みすぎで糖尿病が悪化して
今では、視力が落ちよく見ることが出来ません

おばちゃんはいつまでも若くてきれいな人で
おじちゃんの世話に大変な毎日です

息子も娘も今は独立して我家にはいませんが
帰ってくると、必ず前の家に顔をみせに行きます

娘は父の日と母の日にはいつも2つずつプレゼントを用意して
我家と前の家に届けてくれます

そして、後日におじちゃんとおばちゃんから
2倍以上のお返しを頂いてます

今はお互い2人世帯なので、野菜やお菓子やお惣菜が毎日のように
前の家と我家を往復しています

子供達を立派に育てくれたおばちゃんは
我家の甲斐犬「とら」にぞっこんで
「あんたは何てやさしい子なの」と撫で回し
「とら」に大きな愛情を注いでくれています

こんな、ステキなご近所に、恵まれているんです