上州太田七福神めぐり続き。 玉巌寺(福禄寿)-永福寺(寿老人)-曹源寺(布袋人)ー受楽寺(大黒天)を回る。太田市の中心、
金山山麓に点在する七福神(七草寺)の四寺で約2時間のウオーキングク。
太田七福神の一つ福禄寿をまつる玉巌寺は14世紀の初め、世良田長楽寺を開山した名僧栄朝禅師の法弟が太田の金山東麓の景勝の地を選んで建立。
玉厳寺
「永福寺」は、金山城の鬼門に位置し金山城護城院とされている。寿命を司る寿老人が祀られている。
永福寺の山門を入って右側に、「名号角塔婆」がほぼ完全な形で残っており、高さ99㎝、幅26㎝で、台石・反花座上に造られています。2面には「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれ、他の2面には追刻があります。
日本三大さざえ堂の中で最大「曹源寺さざえ堂」太田七福神布袋尊。
さざえ堂とは、お堂の形式の呼称で正式には三匝堂という。 坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所の霊場の観音像のレプリカ合計100体が安置してある
お堂のことを百体観音堂というのだが、その中でも「入口から入ると一方通行の通路と階段を進む形になっており、ぐるぐる周りながら最上階を
経由してそのままぐるぐると降りてくると、同じ通路を通らずに入口とは反対側の出口から出てくる」という構造になっているお堂のことを、
その形態を模してさざえ堂と呼んでいる。
そこをひと巡りすればその全部を巡礼したのと同じご利益があるという実にコンビニエンスなところで、江戸本所の羅漢寺で安永年間に建てられたものが最初で、
その頃にはちょっとしたブームにもなっていたらしい。
さざえ堂は、今でも埼玉県児玉町、群馬県太田市、福島県会津若松市の3ヶ所に現存していて、そのいずれもが不思議な空間体験を与えてくれる建築。
新田氏の始祖、新田義重が京から迎えた養姫祥寿姫の菩提を弔宇ために建てたとある。百体の寄木造り観音像が安置されている。
「受楽寺」は、五穀豊穫、緒願成就など祈願する大黒天を祀っている。境内は狭いが全体的に美しい建物が印象的であった。
周りは閑静な住宅街、後は下り坂太田市の街並みを見ながら駅に向かった。
次回は金山城跡公園へ。
金山山麓に点在する七福神(七草寺)の四寺で約2時間のウオーキングク。
太田七福神の一つ福禄寿をまつる玉巌寺は14世紀の初め、世良田長楽寺を開山した名僧栄朝禅師の法弟が太田の金山東麓の景勝の地を選んで建立。
玉厳寺
「永福寺」は、金山城の鬼門に位置し金山城護城院とされている。寿命を司る寿老人が祀られている。
永福寺の山門を入って右側に、「名号角塔婆」がほぼ完全な形で残っており、高さ99㎝、幅26㎝で、台石・反花座上に造られています。2面には「南無阿弥陀佛」の六字名号が刻まれ、他の2面には追刻があります。
日本三大さざえ堂の中で最大「曹源寺さざえ堂」太田七福神布袋尊。
さざえ堂とは、お堂の形式の呼称で正式には三匝堂という。 坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所の霊場の観音像のレプリカ合計100体が安置してある
お堂のことを百体観音堂というのだが、その中でも「入口から入ると一方通行の通路と階段を進む形になっており、ぐるぐる周りながら最上階を
経由してそのままぐるぐると降りてくると、同じ通路を通らずに入口とは反対側の出口から出てくる」という構造になっているお堂のことを、
その形態を模してさざえ堂と呼んでいる。
そこをひと巡りすればその全部を巡礼したのと同じご利益があるという実にコンビニエンスなところで、江戸本所の羅漢寺で安永年間に建てられたものが最初で、
その頃にはちょっとしたブームにもなっていたらしい。
さざえ堂は、今でも埼玉県児玉町、群馬県太田市、福島県会津若松市の3ヶ所に現存していて、そのいずれもが不思議な空間体験を与えてくれる建築。
新田氏の始祖、新田義重が京から迎えた養姫祥寿姫の菩提を弔宇ために建てたとある。百体の寄木造り観音像が安置されている。
「受楽寺」は、五穀豊穫、緒願成就など祈願する大黒天を祀っている。境内は狭いが全体的に美しい建物が印象的であった。
周りは閑静な住宅街、後は下り坂太田市の街並みを見ながら駅に向かった。
次回は金山城跡公園へ。