「国府台」千葉県市川市 江戸川に面する地区、かって下総国府が置かれていた。
源頼朝より下総の守護に任ぜられた千葉氏の守護所が置かれていたと伝わり、下総台地の西南端に位置する要害の地で、
戦国時代には、太田道灌により城が築かれた。
1538年と64年に安房里見氏と小田原の北条氏の「国府台合戦」の場となり、一時北条氏の支配下にあった。
その後、豊臣秀吉による征伐後は、家康の支配を受け、以降幕府領、寺社領となった。
国府台には、古木の桜が多く名所となり、近くには「里見公園」がある。
「国府神社」は、私鉄京成電鉄「国府台」駅から、松戸方面の坂を登る途中にある。
国府神社 神社から江戸川方面


「弘法寺」は、千葉県市川市にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は真間山。塔頭が四院ある(安国院、玄授院、龍泉院、亀井院)。
奈良時代の天平9年に行基によって真間山求法寺として創建されたと伝えられ、弘仁13年の空海の来訪を機に名を真間山弘法寺と改めたとされている。
寺に掲げられた「真間山」の額は空海の真筆とされている。
元慶5年には天台宗に改められる。鎌倉時代の建治2年、当時の住持了性が日常との相論に敗れて寺を譲る。
翌年、日常の養子・日頂により日蓮宗に改められたという。この時寺名も真間山弘法寺になった。
以後、下総中山の法華経寺とともに日蓮宗の拠点となった。戦国期には、日与が弘法寺の近くに手児奈霊堂を建立している。
太田道灌は寺内に茶室を寄贈し、徳川光圀や徳川吉宗も親しく参詣したと伝えられている。
しだれ桜 市川真間方面を見る


弘法寺境内



「弘法寺のしだれ桜」
風情ある参道と長い階段を上がると、見事なしだれ桜が目にはいる。境内には水原秋桜子、富安風生、小林一茶などの句碑がある。
伏姫桜と呼ばれる樹齢推定400年のしだれ桜は、普通の桜と違って咲き始めが早く、咲いている期間も短い。(4/7の撮影)

「千葉商科大学」は、
昭和2(1927)年、 文学博士遠藤隆吉氏により、東京巣鴨に財団法人巣鴨学園を創設し、巣鴨高等商業学校設立させた伝統校。
近代的な校舎に沿って、大木の桜並木がある。弘法寺に隣接している。
創設者・遠藤隆吉の教育理念、
教育の要は、人の大なるを知り、人をしてその大なる所以の者を知らしむるに在り。また人に接するの第一義なり。
『人を教育しようとする者は、人間の偉大さを知ることが第一である。教育者としては、心から学生を愛し、人間として尊敬しなければならない。
また、学生に、自分は大きな才能を持つ者であることを自覚させなければならない』という理念を表してる。
創立から78年、CUCは遠藤隆吉の理念を受け継ぎ、一人ひとりの学生を見つめた「実学」教育を進めていますと聞く。
千葉商科大学正面 校庭


校舎 桜並木


国府台は終わり。