御坂峠から137号線を下黒駒北で右折、釈迦堂へ行く右手高台に古文書が残されている「広厳院」がある。
広厳院は曹洞宗の古刹で、武田信昌から信縄、信虎、信玄、勝頼に至る5代に渡る土地寄進状のほか、江戸時代初期に至る古文書が残されている。
戦国時代から江戸時代に至る甲斐国の歴史を知る重要な資料となっている。
広厳院の入り口 桜が満開
境内
鐘楼
「慈眼寺」は笛吹市国道20号線を少し入ったところに、桃の花咲く中にある。
真言宗の名刹。武運長久の祈願所として武田家の保護を受け伽藍が整えられたが、1582年に織田信長の兵火により焼失。
武田家滅亡の折には勝頼父子および夫人の寿像、信玄の宝剣など遺品を勝頼からゆだねられた。本堂、鐘楼は江戸時代初期の再建で、桃山様式を残している。
現在改築中。
山門の前の桜が見事
桃と桜
広厳院は曹洞宗の古刹で、武田信昌から信縄、信虎、信玄、勝頼に至る5代に渡る土地寄進状のほか、江戸時代初期に至る古文書が残されている。
戦国時代から江戸時代に至る甲斐国の歴史を知る重要な資料となっている。
広厳院の入り口 桜が満開
境内
鐘楼
「慈眼寺」は笛吹市国道20号線を少し入ったところに、桃の花咲く中にある。
真言宗の名刹。武運長久の祈願所として武田家の保護を受け伽藍が整えられたが、1582年に織田信長の兵火により焼失。
武田家滅亡の折には勝頼父子および夫人の寿像、信玄の宝剣など遺品を勝頼からゆだねられた。本堂、鐘楼は江戸時代初期の再建で、桃山様式を残している。
現在改築中。
山門の前の桜が見事
桃と桜