足利学校足利市は、以前取り上げているが、足利氏のゆかりの史跡にもう一度触れて見たかった。
特に室町幕府を開いた足利氏の鑁阿寺・足利学校跡は、東武伊勢崎線「足利市駅」近くである。
足利市は、渡良瀬川の清流や緑なす山並みが、東の小京都と呼ばれ、文化遺産も数多く残されている。
室町時代の始まり(1336~1573年)、室町時代は現在の栃木県足利市出身の足利尊氏が、指導的立場にあった後醍醐天皇を奈良・吉野山中に追放したことに始まる。
これは、後醍醐天皇が確立した建武の新政が朝廷・公家中心であり源平以降築き上げてきた武士の主張に対して冷遇されたために憤慨したのが理由とされる。
追放した後醍醐天皇とは別に京都に同じ天皇家でも系統違いの光明天皇(北朝)を立て、将軍宣下をいただき後に幕府を開いたことから始まる。
「室町」時代の呼び名は、三代将軍足利義満が、京都の室町に御所(花の御所)を開いたことによる。
足利尊氏立像
足利学校は、平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府。
下野国足利庄五箇郷村(現栃木県足利市)にあったが、明治初期にはほとんど建物があるだけになっており、明治5年(1872年)に廃校になった。
1990年に方丈や庭園が復元され、公開された。今日では足利市の生涯学習のよすがとして[要出典]、足利市教育委員会によって管理されている。
近代足利の発展に寄与した松村家。江戸・明治・大正・昭和期の松村家に伝わる調度品や生活用品などが見学できる。
足利出身の横田千之助司法大臣を初めとする政治家・文化人・学者などの資料を紹介している。入館料¥300
足利市の街並み 松村記念館
鑁阿寺は、正しくは、「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺」で、源姓足利氏の居館でもあった。1196年足利義兼が開基。
大御堂、一切経堂、鐘楼、多宝塔、本尊大日如来など国の重要文化財がおおい。また市民から「大日様」として親しまれている。
足利一族の発祥の地で、鎌倉時代の武家屋敷としての面影を強く留めている。防御のために作られた水堀や土塁が残っている。
室町幕府初代将軍、「足利尊氏・高氏」 1305-58 執権北条氏専制強い、源氏再興を考える。後醍醐天皇に鞍替え倒幕に旗揚げし、六波羅探題を攻め滅ぼす。
鎌倉に進撃しあ「新田義貞」軍に4歳の嫡男を参加させている。
入京したが北畠軍に敗れ九州へ逃げた。態勢を立て直し、東上、入京上皇の弟光明天皇を即位させ「建武式目」を発し幕府を開く。尊氏は、争乱の中、病死している。天皇の名「尊治」の尊を賜り「尊氏」と改名。
鑁阿寺山門 本堂
足利義詮 1330-67二代将軍。尊氏の嫡男、幼時から尊氏と参戦していた将軍、足利直義、直冬と共に新田義貞軍と鎌倉幕府を攻めている。
次回は足利市続き。
特に室町幕府を開いた足利氏の鑁阿寺・足利学校跡は、東武伊勢崎線「足利市駅」近くである。
足利市は、渡良瀬川の清流や緑なす山並みが、東の小京都と呼ばれ、文化遺産も数多く残されている。
室町時代の始まり(1336~1573年)、室町時代は現在の栃木県足利市出身の足利尊氏が、指導的立場にあった後醍醐天皇を奈良・吉野山中に追放したことに始まる。
これは、後醍醐天皇が確立した建武の新政が朝廷・公家中心であり源平以降築き上げてきた武士の主張に対して冷遇されたために憤慨したのが理由とされる。
追放した後醍醐天皇とは別に京都に同じ天皇家でも系統違いの光明天皇(北朝)を立て、将軍宣下をいただき後に幕府を開いたことから始まる。
「室町」時代の呼び名は、三代将軍足利義満が、京都の室町に御所(花の御所)を開いたことによる。
足利尊氏立像
足利学校は、平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府。
下野国足利庄五箇郷村(現栃木県足利市)にあったが、明治初期にはほとんど建物があるだけになっており、明治5年(1872年)に廃校になった。
1990年に方丈や庭園が復元され、公開された。今日では足利市の生涯学習のよすがとして[要出典]、足利市教育委員会によって管理されている。
近代足利の発展に寄与した松村家。江戸・明治・大正・昭和期の松村家に伝わる調度品や生活用品などが見学できる。
足利出身の横田千之助司法大臣を初めとする政治家・文化人・学者などの資料を紹介している。入館料¥300
足利市の街並み 松村記念館
鑁阿寺は、正しくは、「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺」で、源姓足利氏の居館でもあった。1196年足利義兼が開基。
大御堂、一切経堂、鐘楼、多宝塔、本尊大日如来など国の重要文化財がおおい。また市民から「大日様」として親しまれている。
足利一族の発祥の地で、鎌倉時代の武家屋敷としての面影を強く留めている。防御のために作られた水堀や土塁が残っている。
室町幕府初代将軍、「足利尊氏・高氏」 1305-58 執権北条氏専制強い、源氏再興を考える。後醍醐天皇に鞍替え倒幕に旗揚げし、六波羅探題を攻め滅ぼす。
鎌倉に進撃しあ「新田義貞」軍に4歳の嫡男を参加させている。
入京したが北畠軍に敗れ九州へ逃げた。態勢を立て直し、東上、入京上皇の弟光明天皇を即位させ「建武式目」を発し幕府を開く。尊氏は、争乱の中、病死している。天皇の名「尊治」の尊を賜り「尊氏」と改名。
鑁阿寺山門 本堂
足利義詮 1330-67二代将軍。尊氏の嫡男、幼時から尊氏と参戦していた将軍、足利直義、直冬と共に新田義貞軍と鎌倉幕府を攻めている。
次回は足利市続き。