syuの日記・気まま旅

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武蔵国分尼寺跡

2011-04-27 | syu散歩
「西国分寺駅」は史跡が周囲に多数ある。今回は駅周辺のウオーキング。3回に分けて取り上げる。
東京 - 高尾間の中央線の駅では最も新しい西国分寺駅。武蔵野線開通に伴い、乗り換えの便を図るために設置された。
1973年 武蔵野線開通と同時に開業。1987年 国鉄分割民営化により出来た武蔵野線は、1990年から京葉線直通で東京駅への乗り入れを開始したため
中央線・武蔵野線双方に別ルートの東京行きが存在する。西国分寺駅からスタート。

武蔵野台地南西部、段丘の間には、国分寺崖線と呼ばれる崖が走る。湧水の多い崖線付近は、先土器、(縄文時代)の遺跡が多く出土している。
武蔵国分寺建立の地で、当時の姿が偲ばれる。江戸に入り新田開発され農村地帯となる。昭和30年に入り、東京のベットタウンとして都市化が進んだ。



「伝鎌倉街道」鎌倉上道と呼ばれ、群馬の上野と、信濃に向かう主要道路であった。現在国分寺崖線を切り通した120m程の道
が残り、
12世紀に幕府が開設され相模国鎌倉と結んでいた当時の雰囲気が感じられる。

      

黒鐘公園は、2009年開園。 国分寺崖線の南、遺跡地帯に位置する黒鐘公園は、 国分尼寺跡と伝鎌倉街道に隣接し ている。
公園内の池は、水量がだいぶ減りましたが崖線からの湧水でできている。
桜の名所としても知られ、高低差のある地形を利用されている。面積は、12,528㎡ある。

  


「武蔵国分尼寺跡」は、
JR武蔵野線西側に広がっており、国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定。史跡指定地は、公有地化と整備事業を終え、国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園。  
尼寺伽藍の中枢部を構成する中門・金堂・尼坊など主要建物や区画施設である掘立柱塀を、埋没保存されているその位置で建物平面などを復元的に表示。

尼坊は柱位置が判明し、新たに石を配置してある。 このほか、中門と金堂の間で発見された幢竿遺構(儀式などの際、周囲を荘厳するための旗などを掲げる柱跡)もある。
金堂では、版築という大陸伝来の工法で、周囲より一段と高く築かれた基壇の土層断面標本を観察できる施設がある。
尼坊の北側一帯の平坦部には、尼寺関連の遺構群が埋没していると考えられ保存したまま、広場としいる。
さらに北側の崖線には、伝鎌倉街道の切通しが貫通しが残り、その西側に中世の伝祥応寺跡、東側に塚跡がある。


「伝祥応寺跡」は鎌倉時代末期に立てられた 寺跡
    

東山道は都と各国府を結ぶ古代交通路である七道の1つで、武蔵路は武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)で、古代道路跡として学術上価値が高いものです。



東山道武蔵路の西に「国分尼寺」があった。

  

現在、国分寺市歴史公園で、金堂の礎や塀を見る事が出来る。

  

国分寺は、741年聖武天皇が、国ごとに建てた官寺、僧寺を金光明四天王護国の寺とし、奈良の東大寺を総国分寺、尼寺を法華滅罪の寺、法華寺を総国分寺とした。

尼寺跡にある土台の石
    

8世紀の国内は、餓死、千害、地震など災害、疫病で人々は苦しんでいた時代。朝廷は、仏教の力を借りていた。

    

全国の国分寺の中でも規模が大きく、歴史的にも重要、国指定史跡に指定されている。


  


武蔵野線ガードを潜り国分寺・跡へ