武蔵国分寺が「全国の国分寺」の中でも最大の規模であったが、何故武蔵国分寺はそれほどの規模であったのか。
現在の首都である東京があるから、武蔵国は特別な存在なのだと1300年前の人が考えるわけもない、
しかし東国に置いては奈良時代でも,武蔵国は中心的な存在であったことは想像がつく。
現在の国分寺境内の東にある「真姿の池」は、府中街道とほぼ同じ道筋となる東山道で、
鎌倉街道の宿場であった現在の恋ヶ窪。湧水がある。
所々に湧水が
「都立武蔵国分寺公園」
この公園は、旧国鉄の「中央鉄道学園」跡地を取得し、また郵政省の戸建て宿舎跡地等を換地して用地の確保がなされた。
公園を含む周辺地域は、埋蔵文化財包蔵地に指定されており、発掘された土器や矢じり等から、
先土器時代より生活の拠点として環境条件が備わっていたことがうかがえる。
この公園の北側地区には、直径160mの円形芝生広場があり、災害時の避難広場としての機能の他、
既存の樹木を中心とした植栽や透水性舗装園路等雨水の地下浸透を図り、湧水の涵養に寄与した整備がなされている。
南側地区は、国分寺崖線の保全と水源涵養を図る「保全ゾーン」であり樹木を有効に利用した樹林広場となっている。
また、この地区の南側に隣接する国分寺緑地には「お鷹の道」や「真姿の池」があり、周辺はハケと言われる
湧水群となっていて、日本名水百選に選ばれている。また、崖線下には、国指定の「武蔵国分寺」の遺跡があります。
このように、この公園は、環境を保全、活用し、周辺に残る国分寺崖線や雑木林と調和を図り、
文化的、歴史的遺産に配慮するとともに防災機能を備えた総合公園です。
開園年月日 平成14年。開園面積 108,839.26m2で拡張計画もある。
緑一杯の園内、 遊歩道も整備され親子蓮れが多かった
入口から広い池になっている
「一葉松」は、
武将・畠山重忠と傾城・夙妻太夫 との悲運の恋に由来している松、夙妻太夫の死を哀れんだ里の人々が墓標として植えた松。
不思議な一本葉の松で、夙妻太夫の一途な思いの現れとも云われ、いつしか「一葉松」(ひとはまつ)と呼ばれるようになった。
言い伝えの一葉松はすでに枯れて、現在 、枝を植継いだ松が東福寺内の本堂・事務所にむかう階段横に数本植えられており、
中央の若い松が三代目の一葉松。
東福寺本堂
畠山重忠(1164-1205)鎌倉武士、頼朝上洛時先陣を切る。平家追討戦で武功を挙げる。重忠の2度目の妻は、
北条時政の娘、最期は北条義時に討たれ畠山一族は全滅する。
国分寺市恋ヶ窪の湧水
「姿見の池」緑地公園は、鎌倉街道の宿場であった恋ヶ窪にあり、湧水が集まり池になった公園。
宿場の遊女が朝夕に自分の姿を映して見ていたことから「姿見の池」と呼ばれた。大岡昇平の「武蔵野夫人」の舞台にもなっている。
次回は、吉祥寺へ。