syuの日記・気まま旅

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”織都”桐生の古き街並み

2011-04-05 | 気まま旅
桐生の織物の起こりは古く、奈良時代のはじめには絹織物を朝廷に献上し、江戸時代には「西の西陣、東の桐生」とうたわれ、織物の一大産地。
織物産業の繁栄を今に伝える町並みがいたるところに残り、のこぎり屋根の織物工場や土蔵造りの店舗など近代化遺産の宝庫となっている。

桐生川は、主に群馬県桐生市を流れる利根川水系渡良瀬川支流の一級河川。

群馬県桐生市梅田地区の最高峰である根本山に源を発し南へ流れ、忍山川、高沢川、黒川などを合わせ、栃木県足利市小俣町で渡良瀬川に合流する。
渡良瀬川は、上流にある足尾町の渡良瀬という地名に由来。この地名は日光を開山した勝道上人による命名。勝道上人が川を渡ろうとしたところ、
渡るのにちょうど良い浅瀬があったのでその場所を渡良瀬と名づけたという。

下流部は現在の江戸川の流路に近い川。江戸時代に治水と利水のために利根川と渡良瀬川を接続する工事が行われ、以後、利根川の支流となる。
これ以前は、利根川は渡良瀬川の西隣をほぼ平行して江戸湾に向けて流れており、渡良瀬川と利根川の河口は別々の場所にあった。

渡良瀬川
  

絹撚記念館は、糸の問屋街、糸屋通りにあり、桐生市指定重要文化財となっており、
絹撚記念館業務の他、文化財 保護課の事務室としても使用している。

  

桐生市役所の隣に、市民会館がある。大きな建物と宇宙空間へ迷い込んでしまったような建物、
繭をイメージした建物とのこと。市役所との境に、大木の桜並木通りで見事。

  


雷電神社は雷除け、雨乞い、5穀豊穣の神として荒戸五ケ村が雷電山に祭る神社。永禄二年(1559)に雷電神社が誕生した。

雷電神社鳥居
  



浄運寺(浄土宗)桐生市本町 開山は永禄元年(1558)霊誉玉念上人、開基は桐生城主 由良家の家臣であった堀越氏である。
玉念上人は新田郡の出身で信長の命によって安土宗論のときに浄土宗の代表として法論を戦った高僧。

レストラン「芭蕉」ば、55年ぶりに出てきた、棟方志功の壁画など展示されている。
このお店は小池魚心さんが1937年に開店した料理の店、この写真の通り、物凄いレベルのセルフビルドな建物で、
棟梁・大工とのすったもんだの結果生まれた、世紀の不思議空間。これまで多くの文人墨客も押し寄せ、なかなかの繁盛店。

浄運寺             天井の絵画              レストラン芭蕉 営業している
    



「桐生倶楽部」は明治33年9月に誕生。以来、文化活動の拠点として基盤を築いた。
  


織物参考館”紫”(ゆかり)は、織物の歴史、古い染織技術、文化、貴重な資料1200点余りを展示。 古器具、古織機等の保全、管理、
現在行なわれているまゆから糸をとり、染色して織り土げるまでのシステムを展示している。実際に活動している織物工場を解り易く見学できる。
目の前で縦糸と横糸が交わり織りだす数々の彩やかな織物が生まれていく様を見て、そこに桐生織物1,300年の歴史が実感。入館¥700
  


桐生市有鄰館は、往時の桐生新町の景観が残る本町二丁目にある。かつて酒・味噌・醤油を醸造し、保管していた江戸時代から
昭和時代にかけての11棟の蔵群が舞台や展示、演劇コンサート、イベントなど多目的に活用されている。
  


桐生西宮神社は、兵庫県西宮市のえびす宮総本社西宮本社の直系分社、参拝者は一人ゆっくりできた。
  

次回は桐生のシンボル水道山公園へ。