伊豆半島西海岸をまわる。東名高速沼津ICから伊豆長岡、修善寺、土肥、堂ヶ島、松崎と旅をした。
西海岸は鉄道がない。修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線が走っている。車でないとなかなか来られない。
伊豆長岡にある江川邸は代官の屋敷をそのままの形で今に伝え、国から重要文化財に指定されている。建物でとくに目をひくのは、力学的に組まれた屋根裏の構造。
その他日蓮上人の火伏の札が屋根裏のいただきに納められていたり、立木をそのまま利用した生柱などがある。
江川太郎左衛門(坦庵)は、洋学にくわしく、海防の必要性を早くから叫び、沿岸測量、品川台場構築、砲術指南、大砲鋳造、種痘、パン製造など文武両道にたけた人。

広い門前

土間とかまど 木製の扇風機 米などを量るじょうご

江川太郎左衛門は、反射炉ばかりでなく、数々の偉業を成し遂げていた。これは、日本で初めてパンを作った彼をたたえた記念碑である。
ユ-モラスな形の碑で、とてもおもしろい。
ほかにも、教育熱心の彼の私塾は後の韮山高校になり、また、種痘にも熱心に取り組んで、住民を天然痘の流行から救ったとのこと。
庭の蔵 パンの記念碑

近くに本立寺 江川太郎左衛門の像

1857年(安政4)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。
1853年(嘉永6)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。ほぼ完全な形で残り、管理されているのは全国でもここだけ。
4基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で125段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。
天井に熱を反射させて一つに集中し、金属を溶かす構造。ここで鋳造された大砲は品川台場に配備された。
反射炉のそばにはレストラン
反射炉

次回は修善寺。
西海岸は鉄道がない。修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線が走っている。車でないとなかなか来られない。
伊豆長岡にある江川邸は代官の屋敷をそのままの形で今に伝え、国から重要文化財に指定されている。建物でとくに目をひくのは、力学的に組まれた屋根裏の構造。
その他日蓮上人の火伏の札が屋根裏のいただきに納められていたり、立木をそのまま利用した生柱などがある。
江川太郎左衛門(坦庵)は、洋学にくわしく、海防の必要性を早くから叫び、沿岸測量、品川台場構築、砲術指南、大砲鋳造、種痘、パン製造など文武両道にたけた人。


広い門前

土間とかまど 木製の扇風機 米などを量るじょうご



江川太郎左衛門は、反射炉ばかりでなく、数々の偉業を成し遂げていた。これは、日本で初めてパンを作った彼をたたえた記念碑である。
ユ-モラスな形の碑で、とてもおもしろい。
ほかにも、教育熱心の彼の私塾は後の韮山高校になり、また、種痘にも熱心に取り組んで、住民を天然痘の流行から救ったとのこと。
庭の蔵 パンの記念碑


近くに本立寺 江川太郎左衛門の像


1857年(安政4)、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍の進言で建設された鉄製大砲を鋳造するための炉。
1853年(嘉永6)のペリー来航、欧米各国のアジア進出に対抗するため、軍備の近代化を目的として建設された。ほぼ完全な形で残り、管理されているのは全国でもここだけ。
4基の反射炉の外側は伊豆石、煙突部分は3段構造で125段のレンガが積まれ、煙突を含め高さは約16m。内側は耐火レンガのアーチ積み。
天井に熱を反射させて一つに集中し、金属を溶かす構造。ここで鋳造された大砲は品川台場に配備された。
反射炉のそばにはレストラン

反射炉

次回は修善寺。