この日は東海道散歩の7回目。藤沢駅から平塚駅まで東海道沿いを歩いた。参加者は管理人も含め10名で、男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。
今回歩いたコースは普段よりも長かったので歩きがいがあった。立ち寄り場所が少なく地味なコースだったが、藤沢宿では、明治頃のものと思われる店蔵と江戸時代の袖蔵の内部を見せていただくといううれしいハプニングがあった。どちらも立派な建物だった。建物の維持は大変だろうが、今後も残ってほしいものだ。
南湖では下見では全く見えなかった左富士のシルエットがうっすらと見えた。本当に左富士だった。ここからくっきりとした富士山を見てみたいものだ。
次回の東海道散歩はコミュで初めての2日連続開催で、平塚宿~大磯宿~小田原宿を歩く予定。管理人の体力が持つか心配もあるが、なんとかやり遂げたい。
【コース】
藤沢駅→蒔田本陣跡→常光寺→永勝寺→荘厳寺→妙善寺→伝源義経首洗井戸→白旗神社→上方見付跡→養命寺→おしゃれ地蔵→耕余塾跡→四谷不動・大山の鳥居→ 一里塚跡→上正寺→牡丹餅立場跡→茅ヶ崎一里塚→南湖の左富士→鶴嶺神社(紹介のみ)→旧相模川橋脚→馬入川→馬入一里塚跡→平塚駅
(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■藤沢宿
日本橋から12里18町(49.0キロメートル)の距離にあった江戸から6番目の宿場。前の宿場の戸塚宿から2里(約7.9キロメートル)、次の宿場の平塚宿へは3里18町(約13.7キロメートル)あった。
天保14年(1843)の記録によると人口4,089人、家数919軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒。
藤沢は鎌倉時代から時宗総本山、遊行寺の門前町として栄えており、慶長6年(1601)の宿場の成立でさらに発展した。門前町としてはもちろんのこと、江の島や大山への分岐点としても賑わった。
明治頃のものと思われる店蔵。外観を眺めたり写真を撮っていたら、建物の近くで掃き掃除をしていたこの家の奥さんに声をかけられ店蔵と江戸時代の袖蔵の内部を特別に見せていただいた。
奥さんの話では、終戦の数日前に軍より機密書類を渡され全て焼却処分にするよう命じられたので全て処分したところ、戦後突然米軍がやってきて建物内を隅々まで捜索された、とのことだった。
■蒔田本陣跡
本陣は勅使や、公家、大名、幕府の公用旅行者などが宿泊・休憩するための施設。藤沢宿には1軒のみ。
■常光寺
寛元3年(1245)創建の浄土宗の寺院。
阿弥陀如来像。もと鎌倉扇ヶ谷の阿弥陀如来堂にあったものを移したという。
庚申塔2基。向かって右が万治2年(1659)、左が寛文9年(1669)年に造立。
野口米次郎の墓碑。彫刻家として有名なイサム・ノグチの父で詩人。墓碑のデザインはイサム・ノグチ。
寺林。境内の一部、約7900平米の緑地。「かながわの名木100選」に選ばれた高さ25メートル、幹周り5メートル、樹齢約300年のカヤ、遊行寺の大いちょうに次ぐ太さのいちょう等巨木が集まる。
■永勝寺
浄土真宗の寺院。もとは親鸞聖人の東国遊行時に北条氏が鎌倉に建てた一向堂というお堂だったが、下倉田(現在の横浜市戸塚区)移った後、藤沢に移転。
飯盛女の墓。食売旅籠「小松屋」の墓域にある39基の墓で、うち38基が宝暦11年(1761)~享和元年(1801)に建てられたもの。
墓石には飯盛女の戒名と「施主 小松屋源蔵」の文字が刻まれる。
飯盛女は、旅人に給仕をする名目でおいた遊女で、年季奉公で売られてきた。多くが年季の明ける前に体を壊して亡くなったが、遺体は墓に入れてもらえず打ち捨てられることが多く、このように供養された者は少ない。
■荘厳寺
元暦元年(1184)創建の真言宗の寺院。藤沢宿で最も古い寺院の一つ。
■妙善寺
永正元年(1504)創建の日蓮宗の寺院。本陣職を務めた蒔田家の墓がある。
■伝源義経首洗井戸
源義経の首が洗われたと伝わる井戸。源義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていたが、文治5年(1189)に藤原泰衡の裏切りで、衣川の館で自害した。平泉から鎌倉に送られた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたが、首は潮にのって境川を遡り白旗神社付近に漂着した。村人がこの首をすくいあげ、この井戸で洗い清めたという伝説が残る。
■白旗神社
祭神は、寒川比古命と源義経。はじめは相模国一の宮寒川神社を勧請したものであったが、首実検の後に捨てられた源義経と弁慶の首が境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着したことが源頼朝に伝わると、頼朝は義経を白旗明神としてこの地に祀るよう指示し、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。
社殿の写真を撮るのを忘れた・・・
江ノ島弁才天道標。杉山検校が「参詣者が道に迷わないように」との祈念から建てたと伝えられる。元は48基あったと伝えられるが現在10基が残存。道標には「ゑのしま道」「一切衆生」「二世安楽」と刻まれる。
■上方見付跡
宿場の京都(上方)側の出入口跡。
今回歩いたコースは普段よりも長かったので歩きがいがあった。立ち寄り場所が少なく地味なコースだったが、藤沢宿では、明治頃のものと思われる店蔵と江戸時代の袖蔵の内部を見せていただくといううれしいハプニングがあった。どちらも立派な建物だった。建物の維持は大変だろうが、今後も残ってほしいものだ。
南湖では下見では全く見えなかった左富士のシルエットがうっすらと見えた。本当に左富士だった。ここからくっきりとした富士山を見てみたいものだ。
次回の東海道散歩はコミュで初めての2日連続開催で、平塚宿~大磯宿~小田原宿を歩く予定。管理人の体力が持つか心配もあるが、なんとかやり遂げたい。
【コース】
藤沢駅→蒔田本陣跡→常光寺→永勝寺→荘厳寺→妙善寺→伝源義経首洗井戸→白旗神社→上方見付跡→養命寺→おしゃれ地蔵→耕余塾跡→四谷不動・大山の鳥居→ 一里塚跡→上正寺→牡丹餅立場跡→茅ヶ崎一里塚→南湖の左富士→鶴嶺神社(紹介のみ)→旧相模川橋脚→馬入川→馬入一里塚跡→平塚駅
(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■藤沢宿
日本橋から12里18町(49.0キロメートル)の距離にあった江戸から6番目の宿場。前の宿場の戸塚宿から2里(約7.9キロメートル)、次の宿場の平塚宿へは3里18町(約13.7キロメートル)あった。
天保14年(1843)の記録によると人口4,089人、家数919軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒。
藤沢は鎌倉時代から時宗総本山、遊行寺の門前町として栄えており、慶長6年(1601)の宿場の成立でさらに発展した。門前町としてはもちろんのこと、江の島や大山への分岐点としても賑わった。
明治頃のものと思われる店蔵。外観を眺めたり写真を撮っていたら、建物の近くで掃き掃除をしていたこの家の奥さんに声をかけられ店蔵と江戸時代の袖蔵の内部を特別に見せていただいた。
奥さんの話では、終戦の数日前に軍より機密書類を渡され全て焼却処分にするよう命じられたので全て処分したところ、戦後突然米軍がやってきて建物内を隅々まで捜索された、とのことだった。
■蒔田本陣跡
本陣は勅使や、公家、大名、幕府の公用旅行者などが宿泊・休憩するための施設。藤沢宿には1軒のみ。
■常光寺
寛元3年(1245)創建の浄土宗の寺院。
阿弥陀如来像。もと鎌倉扇ヶ谷の阿弥陀如来堂にあったものを移したという。
庚申塔2基。向かって右が万治2年(1659)、左が寛文9年(1669)年に造立。
野口米次郎の墓碑。彫刻家として有名なイサム・ノグチの父で詩人。墓碑のデザインはイサム・ノグチ。
寺林。境内の一部、約7900平米の緑地。「かながわの名木100選」に選ばれた高さ25メートル、幹周り5メートル、樹齢約300年のカヤ、遊行寺の大いちょうに次ぐ太さのいちょう等巨木が集まる。
■永勝寺
浄土真宗の寺院。もとは親鸞聖人の東国遊行時に北条氏が鎌倉に建てた一向堂というお堂だったが、下倉田(現在の横浜市戸塚区)移った後、藤沢に移転。
飯盛女の墓。食売旅籠「小松屋」の墓域にある39基の墓で、うち38基が宝暦11年(1761)~享和元年(1801)に建てられたもの。
墓石には飯盛女の戒名と「施主 小松屋源蔵」の文字が刻まれる。
飯盛女は、旅人に給仕をする名目でおいた遊女で、年季奉公で売られてきた。多くが年季の明ける前に体を壊して亡くなったが、遺体は墓に入れてもらえず打ち捨てられることが多く、このように供養された者は少ない。
■荘厳寺
元暦元年(1184)創建の真言宗の寺院。藤沢宿で最も古い寺院の一つ。
■妙善寺
永正元年(1504)創建の日蓮宗の寺院。本陣職を務めた蒔田家の墓がある。
■伝源義経首洗井戸
源義経の首が洗われたと伝わる井戸。源義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていたが、文治5年(1189)に藤原泰衡の裏切りで、衣川の館で自害した。平泉から鎌倉に送られた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたが、首は潮にのって境川を遡り白旗神社付近に漂着した。村人がこの首をすくいあげ、この井戸で洗い清めたという伝説が残る。
■白旗神社
祭神は、寒川比古命と源義経。はじめは相模国一の宮寒川神社を勧請したものであったが、首実検の後に捨てられた源義経と弁慶の首が境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着したことが源頼朝に伝わると、頼朝は義経を白旗明神としてこの地に祀るよう指示し、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。
社殿の写真を撮るのを忘れた・・・
江ノ島弁才天道標。杉山検校が「参詣者が道に迷わないように」との祈念から建てたと伝えられる。元は48基あったと伝えられるが現在10基が残存。道標には「ゑのしま道」「一切衆生」「二世安楽」と刻まれる。
■上方見付跡
宿場の京都(上方)側の出入口跡。