生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2009年10月25日(日)田町・品川散歩(その2)

2009年10月28日 | 都内散歩
その1はこちら

■玉鳳寺(おしろい地蔵)
美肌成就にご利益のある御化粧延命地蔵尊、通称「おしろい地蔵」は20以上の寺院があつまる、三田寺町の一角にある。おしろい地蔵は、昔、顔にアザがあったお寺の住職が傷ついたお地蔵様の顔におしろいを塗って祀ったところ、住職のアザが消えたと伝えられ、悩みのある部分と同じところに白粉を塗って祈願するようになったと言われる。


おしろい地蔵。ベビーパウダーで全身真っ白。管理人も顔に塗って美肌を祈願。ご利益があるかな?


美肌成就の他に無病息災、延命長寿にもご利益があるらしい。


■魚籃坂(ぎょらんざか)
坂の中腹に魚籃観音を安置した魚籃寺があるために名づけられた。




■伊皿子坂(いさらござか)
魚籃坂を上るとある坂で、明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたことから名づけられたと伝えられるが、大仏(おさらぎ)がなまってつけられたとも、いいさらふ〔意味不明〕が変化してつけられたとも言われている。




■大木戸跡
高輪の大木戸は、江戸の治安維持と交通規制のために江戸の入り口として宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置された。現在は海側の石垣のみ残る。江戸時代には大木戸は旅人やその送迎客で大変にぎわった。天和3年(1683)には高札場が現在の札の辻よりここに移された。




■泉岳寺
播州赤穂の城主浅野家の菩提寺。曹洞宗の寺院で、慶長17年(1612)に外神田に創建したが、寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失、現在地に移転。忠臣蔵ゆかりの寺で、浅野家代々の墓と主君のあだ討ちを果たした大石良雄以下46人の赤穂義士の墓や赤穂義士が吉良上野介の首を洗った首洗い井戸などがある。


中門。天保7年(1836)に再建。


山門。天保3年(1832)再建。二階部分には十六羅漢が安置され、一階部分の天井には銅彫大蟠龍がはめ込まれている。


本堂。昭和28年再建。旧本堂は第二次世界大戦の空襲で消失。


赤穂義士の墓。赤穂義士は元禄16年(1703)2月4日に切腹後、直ちにこの地に埋葬された。


大石内蔵助の墓。


主君の浅野長矩の墓。


首洗い井戸。討ち入りを果たした赤穂義士が吉良上野介の首をここで洗い、主君の墓前に供え報告した。


血染の梅と血染の石。浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられる梅と石。


大石内蔵助の銅像。


■大石良雄自刃の跡
大石内蔵助ら17人が切腹した跡(高輪1-16-25)から100メートル程度離れたところにある石碑。




■高輪消防署二本榎出張所
昭和8年に竣工したコンクリート造りの庁舎。出張所は海抜25メートルの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物はなく、東京湾を眼下に眺望できたことから、見る人により「岸壁上の灯台」とか「海原を行く軍艦」と評された。



2009年10月25日(日)田町・品川散歩(その1)

2009年10月25日 | 都内散歩
雨上がりの午後、図書館から借りた散歩ガイド本を手に散歩に出かけた。ガイド本のコースは田町駅を出発し、三田と高輪を散歩し、品川駅まで歩くというもの。一部コースを変更して歩いた。

【実際に歩いたコース】
田町駅→札の辻→薩摩蔵屋敷跡→芝浜跡→港区立郷土資料館→慶應義塾大学→綱町三井倶楽部→東京簡易保険事務センター→津國屋→玉鳳寺(おしろい地蔵)→魚らん坂→伊皿子坂→大木戸跡→泉岳寺→大石良雄自刃の跡→高輪消防署二本榎出張所→品川駅

高輪消防署二本榎出張所の後には、幕末にイギリス公使館がおかれた東禅寺と旧竹田宮邸だったグランドプリンスホテル高輪の貴賓館に立ち寄る予定だったが日が暮れたので断念した。


■札の辻
江戸時代の初めに高札場(幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所)があったことから札の辻と呼ばれた。高札場は天和3年(1683)に後で訪れる高輪の大木戸に移された。




■薩摩蔵屋敷跡
ここは、慶応4(1868)年3月14日、幕府の陸軍総裁・勝海舟が100万の江戸市民を戦火から守るために西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を取り決めた歴史的な場所だ。会見の記念碑が残る。


会見の記念碑。


勝・西郷の会見の様子を表す浮き彫り。


■芝浜跡
区立本芝公園のあたりは、芝浜と呼ばれた浜辺で、江戸時代には雑魚場(ざこば)と呼ばれる魚市場があった。落語の人情話「芝浜」の舞台となった場所でもある。


「芝濱噺子の碑」。本芝公園の隣の鹿嶋神社にある石碑。


公園内の、雑魚場があったことを示すために漁労具を掘り込んだ舟の彫刻。


公園そばの雑魚場架道橋。雑魚場の名が残っている。


■港区立郷土資料館
入場無料の郷土資料館。特別展「増上寺徳川家霊廟」では、徳川家の菩提寺の増上寺に造営された2代秀忠、6代家宣、7代家継の霊廟を取り上げ、造営の経緯や経過、境内の様子、造営後の運営のあり方等に関する資料を展示していた。
「さわれる展示室」では、本物のクジラの骨や縄文土器・民具などを実際に手で触ることができる。


建物の4階が郷土資料館。


特別展の宣伝の垂れ幕。


■慶應義塾大学
早稲田大学と並ぶ、国内トップレベルの私立大学。創立者は一万円札の肖像でおなじみの明治時代の思想家・教育者、福澤諭吉。


正門。


図書館旧館。国重要文化財。慶応義塾設立五十周年記念事業として明治45年(1912)に竣工した、煉瓦造のゴシック式洋風建築。設計は曾穪達蔵、中條精一郎が担当。


図書館入り口にある福澤諭吉の胸像。


三田演説館。国重要文化財。明治8(1875)に建てられた日本初の演説会堂。福澤諭吉もここでよく演説を行っていたそうだ。


正門の前から東京タワーが近く見える。


正門の隣の和菓子屋で売られている最中「学問のすすめ」。話のネタに買おうとしたが店が休業していた。


■綱町三井倶楽部
大正2年竣工の優雅な洋館。設計は鹿鳴館を設計した、イギリス人のジョサイア・コンドル。三井家の迎賓館として使われいたが、戦後は「米軍将校クラブ」として使用。昭和28年の返還後、会員制倶楽部として今に至る。
残念ながら敷地内には会員以外の立ち入り禁止。綱町三井倶楽部のホームページに建物や庭園の写真が掲載されているので興味のある方はどうぞ。




■東京簡易保険事務センター
綱町三井クラブの反対側にある、昭和4年(1929)年に旧逓信省簡易保険局として建てられた重厚な建築。




■津國屋
明治初期に酒屋として創業した趣のある木造の建物。古くから慶大生がお酒を買いに来る店として知られ福澤諭吉もひいきにしていたそう。現在は居酒屋として営業。




続きはその2へ。

2009年10月17日(土) 横須賀・浦賀~久里浜散歩

2009年10月18日 | 都外散歩
この日はある散歩イベントに参加して、横須賀市の浦賀と久里浜を歩いた。横須賀を散歩するのは初めてだった。知らない街を散歩するのは楽しい。


■浦賀ドック跡地
一世紀以上にわたり約1000隻にのぼる艦船を作りつづけたドックの跡地。明治30年(1897)浦賀船渠株式会社が創設され、2年後にはドライドックが建造、浦賀重工業株式会社を経て住友重機械工業株式会社となった。平成15年に閉鎖。




■八雲神社
もとは大谷山満宝院八雲堂という修験の寺で、明治以降神社に変わった。江戸時代に建てられた建物はそのままで、屋根に宝珠が乗る寺院型式のお堂建築となっている。お堂の中には修験の護摩壇が残っている。




■乗誓寺
浄土真宗の寺院で、親鸞の教えに帰依した了源が安貞元年(1227)平塚の地に阿弥陀堂を建てたのが始まりで、後に戦乱を逃れるために浦賀に移転、寛永14年(1637)から乗誓寺を名乗った。この寺の墓地には、江戸時代にこの地で盛んだった干鰯(鰯を油抜きして干したもので綿花の肥料になる)問屋の大店の墓が残る。




■顕正寺
天正元年(1573)に顕正坊日実大徳という僧が顕正庵を結んだことによって開かれたといわれる日蓮宗の寺院。墓地には、直木賞作家の山口瞳の墓がある。




■東耀稲荷
 天明2年(1782)の創建で食保命(うけもちのかみ)を祀る。古くは隣接する東耀山顕正寺の境内にあったため、東耀稲荷と呼ばれる。欄間(らんま)や格天井などには見事な彫刻が施されている。


鳥居の隣には懐かしい手押しポンプの井戸が。散歩中にこれ以外にも2つ見つけた。




■東林寺
浦賀奉行所の与力であった中島三郎助の墓がある。中島は嘉永6年(1853)のペリー来航の際に最初に黒船に乗り込み、黒船使節団との折衝に当たった人物。明治時代には幕臣としての遺志を貫き、函館で政府軍との戦いで息子と共に戦死した。




中島三郎助の墓。近くには戦死した2人の息子の墓もある。


■東叶神社
浦賀の港をはさんで、西叶神社と向かい合って立つ神社。祭神は応神天皇。社務所の裏には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断を前にこの井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられている。




勝海舟ゆかりの井戸。


社殿の前から対岸を望む。


■徳田屋跡
江戸時代から大正時代まで続いていた旅館の跡。吉田松陰や桂小五郎、浮世絵師の歌川広重が泊まった。石碑は吉田松陰は師の佐久間象山とペリ-来航時の対応策等についてこの旅館で議論したことを記念するもの。




■浦賀の渡し
ポンポン船の愛称で親しまれる。享保10年(1725)ごろから記録に登場する古い渡し船。かつては木造船だったが、現在は強化プラスチックの船。定員12名、料金は大人150円。対岸には数分で着く。


渡し船乗り場。




渡し船からの眺め。


■西叶神社
京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請したもので、平家が滅亡しその願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたと伝えられている。社殿は、天保13年(1842)に建造されたもの。社殿には230を超える彫刻が施されている(残念ながら見る暇がなかった)。




願いが叶いそうな絵馬。


■常福寺
文明年間(1469~1486) に創建され、浦賀に奉行所が移されてからは、浦賀における本陣(御用寺院)の役割を果たした。 「良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼尊霊位」と刻まれた位牌は、むし歯によく効くと評判を呼び 歯科医療の発達していない時代に、むし歯に悩む人々の信仰を集めた。




■船番所跡
享保6年(1721)に浦賀奉行所の出先機関の船番所が置かれた。船番所は船の関所で江戸に出入りをする船の乗務員や荷物の検査を厳しく行った。現在は公園として整備されている。






浦賀港引揚記念の碑。浦賀港は太平洋戦争終戦後の引揚指定港の一つで、南方や中国大陸からの約56万人の引揚者を受け入れた。


■ペリー公園
嘉永6年(1853年)に日本の開国を求めて来航したアメリカ海軍提督ペリーが久里浜海岸に上陸したことを記念する公園。石碑は明治34年(1901)に建てられた。碑文の「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の筆による。園内のペリー記念館内には、ペリー来航に関する歴史的資料や模型などを展示。




石碑。


ペリー記念館。


■くりはま花の国
首都圏有数の花の名所で、春にはポピーが、秋にはコスモスが楽しめる。園内にはハーブ園があり、収穫したハーブを入れた足湯が楽しめる。100万本のコスモスの花のじゅうたんを大変期待して訪れたが、先の台風18号の被害にあい、コスモス畑は残念なことになっていた。幸いイエローキャンパスという黄色いコスモスはなんとか咲いていた。春にポピーを見に訪れたい。


イエローキャンパスが咲いていた畑。




コスモス畑を見下ろす。ピンク色のじゅうたんが見られるものと思ってわくわくしていたのだが・・・


ゴジラが突如出現、観光客に襲い掛かる!・・・というのはうそで実は滑り台。


愛の鐘。この鐘を二人で鳴らすと良いことがあるらしい。


ハーブ園。


久里浜港を望む。


■今日のにゃんこ


くりはま花の国の愛の鐘のそばのベンチにいた猫。首輪がないので野良猫かと思い込んでいた。ベンチに寝転んでいたおじさんにとてもになついていたので不思議に思ったが、おじさんが猫に声をかけて起き上がって歩き出すと猫はもう一匹の猫とともにおじさんの後についていった。どうやら飼い猫でおじさんが散歩させているようだ。犬の散歩は毎日目にするが、猫の散歩は初めてだ。


2009年10月11日 神楽坂散歩(その2)

2009年10月12日 | 都内散歩
(その1はこちら)。


日本家屋を改装したギャラリー。


チーズとワインが楽しめるチーズバー。


チーズバーの隣の居酒屋。


居酒屋。


レストラン。


突如煙突出現。


フレンチレストラン。まるでフランス。


手作りの靴屋。


雑貨屋。


雑貨屋のディスプレイ。


まんじゅう屋。


人が一人やっと通れるほど細い路地。


その路地を抜けると隠れ家のようなバーが。昼間は抹茶が飲めるらしい。


「これぞ昭和」の喫茶店。


ぺこちゃん焼を扱う、不二家飯田橋神楽坂店。


東京理科大学近代科学資料館。建物は明治39年に建築された木造2階建校舎を復元したもの。


民家の庭先にたわわに実る柿。古めかしい一戸建ての民家なので住人は昔から住んでいる人なのだろう。場所が場所だけに固定資産税は高そうだ。


芳しい香りを漂わせる金木犀。

2009年10月11日 神楽坂散歩(その1)

2009年10月11日 | 都内散歩
この日はある散歩イベントに参加し、神楽坂を歩いてきた。

神楽坂は、趣のある料亭が立ち並ぶところもあれば、「ここはフランス?」と錯覚しそうなおしゃれなフレンチレストランが店を構えるところもあり、人がすれ違うのがやっとという路地裏に隠れ家的なバーがあれば、表通りに個性的なショップがあったりと様々な表情を見せる面白い街だ。こういう街を散歩するのは実に楽しい。個人的にまた散歩したい。


■東京大神宮(神楽坂ではないが・・・)
東京での伊勢神宮のよう拝殿として明治13年に日比谷に創建、昭和3年に現在地に遷る。日本で最初の神前結婚式を行った神社で、縁結びにご利益のある神社として名高い。


良縁を願う?参拝者の列。


やはり良縁を願う絵馬多し。


拝殿に向かう新郎新婦。末永くお幸せに!


■東京日仏学院
フランス政府の公式機関で、フランス語教育やフランス文化の紹介、図書やCD等の貸し出し等を行っている。美食の国らしく、雰囲気のよさそうなレストランもある。




フランス語の書籍を扱う本屋。


フレンチレストラン。結婚式で貸切だった。


■善国寺
文禄4年(1595)創建の日蓮宗の寺院で、度重なる火事に遭い、寛政4年(1792)年の火事により、現在地に移転。七福神のひとつ、毘沙門天を祀る。






■赤城神社
正安2年(1300)の創建で、群馬県の赤城神社の分霊を勧請。最初は早稲田鶴巻町にあったが、牛込に遷った後、弘治元年(1555年)に現在地に遷る。徳川幕府では江戸大社に列し牛込の総鎮守とした。現在、本殿、拝殿等の建て直しやホールやギャラリー等の施設の建築中のため、仮殿を参拝した。


参拝者入り口。


仮殿。


■兵庫横町
神楽坂らしさを残す石畳の路地。同じく神楽坂らしさを残すかくれんぼ横丁で写真を撮ろうとしたが、路地の片側が工事のためビニールに覆われていたので撮影を断念。


右手は料亭、左手の黒塀は作家たちが逗留して執筆活動を行った「ホン書き旅館」として知られる「和可菜」。




■ルグドゥノム・プション・リヨネ
散歩中に昼食を取ったフレンチレストラン。オーナーは美食の都リヨン出身で、都内ホテルでシェフを務めた後に独立。リヨンの郷土料理を提供。


フランスの街角を切り取ったような外観。


前菜のサラダ・リヨネーズ(リヨン風サラダ)。「軽い前菜だろう」とあなどってはいけない。焼ベーコンや半熟卵がごっそり入ったボリュームたっぷりのサラダだ。


本日の魚料理。焼いたイサキと野菜の入ったスープ。あっさりしていて食べやすい。


デザートはチョコレートムースのケーキとピスタチオのアイスクリーム。食べ応えのあるケーキでお腹も満足。


残りの写真はその2に掲載。