(その3はこちら)
■行人坂
目黒川に下る細くて長い坂。坂の名の由来は湯殿山の行者の大海法印が大日如来堂(現在の大圓寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったことから、といわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/ca/9ecfc2d9c5b15042df663def2aa9ade5.jpg)
■大圓寺
天台宗。江戸時代・元和年間(1615~1624)に湯殿山の行者の大海法印が建てた大日如来堂に始まる。振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火の一つ、明和9年(1772)の「行人坂火事」では、大圓寺が火元になったといわれ、江戸城内のやぐらも焼いたことから以後76年間も再建を許されなかった。八百屋お七の恋人の吉三(西運)ゆかりの寺でもあり、お七地蔵、西運上人像等が残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/00/2df75c36a1f47ee3f0f6f48c18bad20c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b8/dc02eb79fdd869098cbc4e013846bfc7.jpg)
石仏群。都文化財。行人坂火事の犠牲者供養のために建立されたと伝わる。五百羅漢像等の石仏が斜面に520体ほど並ぶ。石仏の多くが江戸時代・天明元年(1781)以降の造立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/97/bbd4421a31449bd4ddc3bc8cc6ba9fa2.jpg)
一体ずつ顔つきが異なるのが面白い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/0e/3c331fdf08712855e7b2bb5ef1952c6a.jpg)
国重要文化財・清涼寺式釈迦如来立像が安置されるお堂。像は鎌倉時代・建久4年(1193)の作。清涼寺式釈迦如来像は、平安時代・寛和2年(986)に奈良東大寺の僧、ちょう然が宋から持ち帰り京都・清涼寺に安置した釈迦像を模したもので鎌倉時代以降盛んに作られた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/1c/2801f0b3e0e726f02e404567dbe114c7.jpg)
とろけ地蔵。江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって出現。庶民の悩みを解消してくれるという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/45/3a317a553437b494b0206da0a223d47c.jpg)
行人坂敷石造道供養碑。施主は西運。碑文から、悪路で苦しむ人々を救うため、念仏行者達が人々から浄財の寄進を受け、行人坂に敷石の道を造り、その成就と往来安全を供養祈願したことが分かる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/6d/11ea22d50c88f8a9ad80923d94b65d27.jpg)
西運。
■東海寺
臨済宗。江戸時代・寛永15年(1683)に、三代将軍徳川家光が、沢庵のために建てた寺で、当時は157,000平米余りの広大な境内には数多くの塔頭があった。現在の東海寺は明治時代に塔頭の一つであった「玄性院」が寺名の名前を引き継いだもの。沢庵漬けが考案された地でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/81/0ab207c3d7c76134255cb941bb7047ab.jpg)
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■荏原神社
飛鳥時代・和銅2年(709)創建。品川宿の総鎮守だったがのちに目黒川を境に北品川宿の鎮守は品川神社となり、荏原神社は南品川宿の鎮守となった。現在の社殿は弘化元年(1844年)建造。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/59/fa4b3c1a2822778063d08e808e26f567.jpg)
■東品川海上公園
目黒川が天王洲南運河に注ぎ込む河川部に位置した公園。全体に芝生を張り、くじらをイメージした滑り台と運河沿いにボードウォークが設けてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a2/0e49d999db02ca89256dec23ea58933e.jpg)
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ボードウォーク。
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公園の対岸。
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チューリップ等の花壇。
■行人坂
目黒川に下る細くて長い坂。坂の名の由来は湯殿山の行者の大海法印が大日如来堂(現在の大圓寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったことから、といわれる。
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■大圓寺
天台宗。江戸時代・元和年間(1615~1624)に湯殿山の行者の大海法印が建てた大日如来堂に始まる。振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火の一つ、明和9年(1772)の「行人坂火事」では、大圓寺が火元になったといわれ、江戸城内のやぐらも焼いたことから以後76年間も再建を許されなかった。八百屋お七の恋人の吉三(西運)ゆかりの寺でもあり、お七地蔵、西運上人像等が残る。
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石仏群。都文化財。行人坂火事の犠牲者供養のために建立されたと伝わる。五百羅漢像等の石仏が斜面に520体ほど並ぶ。石仏の多くが江戸時代・天明元年(1781)以降の造立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/97/bbd4421a31449bd4ddc3bc8cc6ba9fa2.jpg)
一体ずつ顔つきが異なるのが面白い。
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国重要文化財・清涼寺式釈迦如来立像が安置されるお堂。像は鎌倉時代・建久4年(1193)の作。清涼寺式釈迦如来像は、平安時代・寛和2年(986)に奈良東大寺の僧、ちょう然が宋から持ち帰り京都・清涼寺に安置した釈迦像を模したもので鎌倉時代以降盛んに作られた。
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とろけ地蔵。江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって出現。庶民の悩みを解消してくれるという。
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行人坂敷石造道供養碑。施主は西運。碑文から、悪路で苦しむ人々を救うため、念仏行者達が人々から浄財の寄進を受け、行人坂に敷石の道を造り、その成就と往来安全を供養祈願したことが分かる。
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西運。
■東海寺
臨済宗。江戸時代・寛永15年(1683)に、三代将軍徳川家光が、沢庵のために建てた寺で、当時は157,000平米余りの広大な境内には数多くの塔頭があった。現在の東海寺は明治時代に塔頭の一つであった「玄性院」が寺名の名前を引き継いだもの。沢庵漬けが考案された地でもある。
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■荏原神社
飛鳥時代・和銅2年(709)創建。品川宿の総鎮守だったがのちに目黒川を境に北品川宿の鎮守は品川神社となり、荏原神社は南品川宿の鎮守となった。現在の社殿は弘化元年(1844年)建造。
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■東品川海上公園
目黒川が天王洲南運河に注ぎ込む河川部に位置した公園。全体に芝生を張り、くじらをイメージした滑り台と運河沿いにボードウォークが設けてある。
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ボードウォーク。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/b4/60318744f52f8a5998f124c50441a9f7.jpg)
公園の対岸。
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チューリップ等の花壇。