生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2011年4月10日 目黒川花見散歩イベント主催(その4)

2011年04月23日 | 都内散歩イベント主催
(その3はこちら


■行人坂
目黒川に下る細くて長い坂。坂の名の由来は湯殿山の行者の大海法印が大日如来堂(現在の大圓寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったことから、といわれる。




■大圓寺
天台宗。江戸時代・元和年間(1615~1624)に湯殿山の行者の大海法印が建てた大日如来堂に始まる。振袖火事、車町火事と並ぶ江戸三大火の一つ、明和9年(1772)の「行人坂火事」では、大圓寺が火元になったといわれ、江戸城内のやぐらも焼いたことから以後76年間も再建を許されなかった。八百屋お七の恋人の吉三(西運)ゆかりの寺でもあり、お七地蔵、西運上人像等が残る。




石仏群。都文化財。行人坂火事の犠牲者供養のために建立されたと伝わる。五百羅漢像等の石仏が斜面に520体ほど並ぶ。石仏の多くが江戸時代・天明元年(1781)以降の造立。


一体ずつ顔つきが異なるのが面白い。


国重要文化財・清涼寺式釈迦如来立像が安置されるお堂。像は鎌倉時代・建久4年(1193)の作。清涼寺式釈迦如来像は、平安時代・寛和2年(986)に奈良東大寺の僧、ちょう然が宋から持ち帰り京都・清涼寺に安置した釈迦像を模したもので鎌倉時代以降盛んに作られた。


とろけ地蔵。江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって出現。庶民の悩みを解消してくれるという。


行人坂敷石造道供養碑。施主は西運。碑文から、悪路で苦しむ人々を救うため、念仏行者達が人々から浄財の寄進を受け、行人坂に敷石の道を造り、その成就と往来安全を供養祈願したことが分かる。


西運。


■東海寺
臨済宗。江戸時代・寛永15年(1683)に、三代将軍徳川家光が、沢庵のために建てた寺で、当時は157,000平米余りの広大な境内には数多くの塔頭があった。現在の東海寺は明治時代に塔頭の一つであった「玄性院」が寺名の名前を引き継いだもの。沢庵漬けが考案された地でもある。








■荏原神社
飛鳥時代・和銅2年(709)創建。品川宿の総鎮守だったがのちに目黒川を境に北品川宿の鎮守は品川神社となり、荏原神社は南品川宿の鎮守となった。現在の社殿は弘化元年(1844年)建造。




■東品川海上公園
目黒川が天王洲南運河に注ぎ込む河川部に位置した公園。全体に芝生を張り、くじらをイメージした滑り台と運河沿いにボードウォークが設けてある。






ボードウォーク。


公園の対岸。


チューリップ等の花壇。


2011年4月10日 目黒川花見散歩イベント主催(その3)

2011年04月20日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら


■中目黒公園
目黒区立公園。「みんなの花壇」や「いきもの池」など、四季折々の花や生き物が見られる施設や、自然環境の学習、園芸講座や相談が受けられる「花とみどりの学習館」がある。






桜の木の下から空を見上げる。


■川の資料館
目黒川の歴史や自然、総合的な治水対策等をパネル展示や資料で紹介する施設で、常駐の解説員が案内。






ベランダから撮影。


資料館の前の広場では目黒区の友好都市、宮城県気仙沼市の支援イベントが行われていた。


広場にある「清流の復活」の碑。


■正覚寺
江戸時代・元和5年(1619)創建。日蓮宗。仙台藩伊達家と関係が深く、仙台藩三代藩主伊達綱宗の側室で、有名な「伊達騒動」が題材となった浄瑠璃・歌舞伎「伽羅先代萩」の「政岡」のモデルといわれている三沢初子の墓と銅像がある。






三沢初子像。


■中目黒八幡神社
創建年代不明。旧中目黒村の鎮守。江戸時代から伝承されている十二座神楽が9月の例大祭に神楽殿で奉納される。境内は古木が茂り、泉が湧き出る。






境内には巨木が残る。


泉。イベント当日には近所に在住と思われるお年寄りが泉の水をペットボトルに汲んでいた。


国歌「君が代」に登場するさざれ石。


■めぐろ歴史資料館
平成20年(2008)、目黒区立中学校の校舎を利用して開館。常設展示スペースと企画展示スペースがあり目黒の歴史を分かりやすく紹介する施設。






目黒新富士の胎内洞窟の一部を再現。


資料館入り口にあった昔懐かしい円筒形の郵便ポスト。

2011年4月10日 目黒川花見散歩イベント主催(その2)

2011年04月13日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら


■菅刈公園
西郷隆盛の弟で明治時代の政治家・軍人の西郷従道の邸宅と庭園があった場所で、庭園は「東都一の名園」とうたわれ、明治22年(1889)には明治天皇の行幸があった。戦後は旧国鉄の職員住宅として使用された。平成9年(1997)の発掘調査により庭園の遺構が判明、かつての庭園の一部の池や滝が復元されている。園内には西郷家関係の資料室が併設。




満開の桜。背後にある建物は和館で資料室を併設。


枝垂桜が見事。


大島桜も満開。


庭園。


明治天皇行幸記念碑。

       
■西郷山公園
西郷従道の邸宅の敷地の北東部分にあたり、この地一帯は「西郷山」と親しまれてきた。園内の台地からは眺めがよく、冬の晴れた日には富士山も望める。西郷従道のゆかりの地であることから、西郷の出身地の鹿児島県と県内の市町から記念樹が寄贈されている。






花桃も見事。


台地は花見の場所取りのビニールシートに覆われていた。


台地からの眺め。


■旧朝倉家住宅
国重要文化財。主屋は東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎氏によって、大正8年(1919)に建てられた木造二階建の和風建築。土蔵は主屋と同じごろに建てられた鉄筋コンクリート・木造二階建て。東京中心部に残る関東大震災以前に遡る数少ない大正期の和風住宅として、また都市化が急速に進んでいた周縁部に営まれた住宅として、近代の和風住宅の展開を知る上で重要な住宅、との評価を受けている。


主屋。


応接間。


広間。


広間の違い棚。


中庭。


杉の間。


洋間。


創建当時の姿に復原された車庫。




斜面を利用した回遊式庭園。




土蔵。

2011年4月10日 目黒川花見散歩イベント主催(その1)

2011年04月11日 | 都内散歩イベント主催
この日は池尻大橋駅から天王洲アイル駅まで桜を見ながら目黒川沿いを歩くイベントを主催した。参加者は管理人も含め9名で、男性5名、女性4名で、うち初参加の方が3名(参加者の皆様、ありがとうございました)。

天気がよく、暖かくて花見散歩日和。気持ちよく歩けた。
目黒川の桜は、一部散り始めているのもあったが満開の木が多かった。
桜の開花にあわせてイベントを設定するのは難しいが、ちょうどよいときに開催できたので運がよかった。

個人的には初めての目黒川花見散歩でしたが、とてもよかった。
管理人は川沿いの桜を見ながら歩くのが好きなので、また桜の時期が来たら目黒川沿いを歩いてみようと思う。

目黒川以外の立ち寄り場所で印象に残ったのは、旧朝倉家住宅。
和風住宅にいると落ち着く。
窓を開け放って畳の上で昼寝したり、縁側に座ってのんびりと庭を見ながらお茶を飲んでみたい。

あとは川の資料館。
目黒川や上下水道等の話はとても勉強になった。


【コース】
池尻大橋駅→目黒川→菅刈公園→西郷山公園→目黒川→旧朝倉家住宅→中目黒公園→川の資料館→正覚寺→中目黒八幡神社→めぐろ歴史資料館→目黒川→行人坂→大圓寺→目黒川→東海寺→荏原神社→目黒川→東品川海上公園→天王洲アイル駅


(写真の大部分は下見時に撮影。桜の写真はイベント当日に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■目黒川
世田谷区池尻から、目黒区を流れ品川区東品川で東京湾にそそぐ延長約8kmの二級河川。目黒川上流は昭和の始め頃まではかんがいの水源として、下流は運河として利用されていたが都市化の進展と共に水質の悪化や水量の減少が発生。平成7年(1995)に東京都の清流復活事業により清流が復活。
川沿いの桜並木(約830本)は、都内の桜の名所として名高い。


当日は桜の美しさに魅せられたあまり管理人の職務を放棄して写真を取りまくる・・・(苦笑)。













川沿いの広場で福島第一原発事故の風評被害に苦しむ茨城県の物産展が行われていた。新鮮な野菜が安い値段で売られていた。元茨城県民としては少しでも買って役に立ちたかったが、道半ばなので断念。
















枝垂桜が植えられている場所もあった。














桃の花も満開。