生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2013年1月3日 奥州街道徒歩の旅3(鍋掛宿~白河宿)

2014年04月30日 | 奥州街道徒歩の旅
奥州街道徒歩の旅3日目。

鍋掛十文字バス停より、幕府の道中奉行が管轄した奥州街道の終点の女石追分まで30キロ強歩いた。
黒磯駅から鍋掛十文字を通る始発バスに乗るため前日は宇都宮に宿泊した。
歩いた宿場は、鍋掛宿、越堀宿、芦野宿、白坂宿、白河宿。
青空の見える好天だったが、福島県に近いためか雪が常にちらつきとても寒かった。


越堀宿の芦野宿の間には復元された寺子一里塚と当時の姿で残っている夫婦石一里塚があった。
芦野宿には、「芦野宿」と書かれたのぼりや当時の屋号を掲げた石灯篭、明治天皇行在所記念碑があった。
芦野宿を抜け、謡曲の題材に取り上げられ、芭蕉や蕪村も訪れた遊行柳に寄り道した。

白坂宿に向かう途中、板屋一里塚が両側に残っていた。
近年坂の傾斜を緩くする工事で坂が削られたため一里塚がはるかに高い場所にあった。

国道294号線沿いには関東最北端の泉田一里塚が片側だけ残っていた。
一里塚のそばのベンチでお昼休憩とした。
鍋掛宿から白坂宿を越えるまでは、食事できる場所や食べ物を購入できる場所がほとんどなかった。
雪がちらつく中、冷たい水と持参したパンをかじった。
ううっ、寒い・・・。


国道294号線をひたすら歩くと栃木県と福島県の県境、江戸時代では下野国と陸奥国の国境にたどり着いた。
県境には境の明神があった。
県境を挟んで栃木県側には玉津島神社が、福島県側には住吉神社が鎮座。
両方にお参りした。
いよいよみちのく突入。


白坂宿には、戊辰戦争の白河口の戦いで亡くなった大垣藩士戦士之碑があった。
白河宿に至るまでには長州藩士や会津藩士の墓、終点の女石追分のそばには仙台藩士の戦没碑や墓、と戊辰戦争関係の遺跡があった。
今の静かなたたずまいからは、かつて戦場だったことが感じられない。

白河宿に近くなると江戸時代や明治時代の建物が複数残っていた。
建物には「歴史的風致形成建造物」の説明板があった。
古い建物が残っているのはうれしい。

白河宿の本陣跡には説明板のみあった。
脇本陣は説明板によると、通行人が立ち入りができない場所に当時の座敷蔵が残っているとのことだった。


白河宿を抜け、阿武隈川を越え、歩道側に雪の積もった坂道をこわごわと降りると会津街道との分岐点の女石追分に到着。
幕府の道中奉行が管轄したのはここまでで、この先は各藩が管轄した。
追分には標識や説明板もなかった。
ここで歩くのをやめる人もいることだしその手のものが欲しいところ。

最初は女石追分まで歩いたら奥州街道歩きをやめるつもりだったが、すっかり心変わりし終点の三厩を目指すことにした。
冬の街道歩きはつらいので春に再開することに決めた。


■写真一覧

その1
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その2
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