(その1はこちら)
■玉川神社
室町時代・文亀年間(1501~04)、世田谷城主吉良氏が勧請したと伝わる旧等々力村の鎮守。
■満願寺
室町時代・文明2年(1470)、世田谷城主吉良氏の創建と伝わる真言宗智山派の寺院。
細井広沢墓。国指定史跡。細井広沢は江戸・元禄時代に、豊かな学識により柳沢吉保に重用され、著名な名筆家として知られた。歴代天皇陵の修復にも尽力。
駐車場のいちょう。
■等々力渓谷
国分寺崖線の南端に位置する約1キロメートルの東京23区内唯一の渓谷。谷沢川が国分寺崖線に侵食してできた渓谷で、深さが10メートル程あり、渓谷の斜面には武蔵野の代表的な樹木のケヤキ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどが繁り、渓谷の至る所から水が湧き出ている。
■等々力不動
瀧轟山明王院といい、真言宗智山派の満願寺の別院。不動堂の本尊は、平安時代後期に真言宗中興の祖、興教大師が山城国(京都府)より移したとされる。
不動堂。
不動の滝。古来より滝に打たれて行をする人々が各地から訪れた滝。今は水量が少ないが、昔は豊富で、滝のとどろく音が「等々力」の地名の由来となったと言われる。
■玉川神社
室町時代・文亀年間(1501~04)、世田谷城主吉良氏が勧請したと伝わる旧等々力村の鎮守。
■満願寺
室町時代・文明2年(1470)、世田谷城主吉良氏の創建と伝わる真言宗智山派の寺院。
細井広沢墓。国指定史跡。細井広沢は江戸・元禄時代に、豊かな学識により柳沢吉保に重用され、著名な名筆家として知られた。歴代天皇陵の修復にも尽力。
駐車場のいちょう。
■等々力渓谷
国分寺崖線の南端に位置する約1キロメートルの東京23区内唯一の渓谷。谷沢川が国分寺崖線に侵食してできた渓谷で、深さが10メートル程あり、渓谷の斜面には武蔵野の代表的な樹木のケヤキ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどが繁り、渓谷の至る所から水が湧き出ている。
■等々力不動
瀧轟山明王院といい、真言宗智山派の満願寺の別院。不動堂の本尊は、平安時代後期に真言宗中興の祖、興教大師が山城国(京都府)より移したとされる。
不動堂。
不動の滝。古来より滝に打たれて行をする人々が各地から訪れた滝。今は水量が少ないが、昔は豊富で、滝のとどろく音が「等々力」の地名の由来となったと言われる。