生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2012年12月23日 奥州街道徒歩の旅2(喜連川宿~大田原宿)

2013年08月27日 | 奥州街道徒歩の旅
奥州街道徒歩の旅2日目は、喜連川本町バス停から鍋掛十文字まで30キロ程度歩いた後、街道から外れ黒磯駅駅まで追加で4キロ程度歩いた。
歩いた宿場は、喜連川宿、佐久山宿、大田原宿。


喜連川本町バス停下車後、街道を外れて江戸時代に造られた用水路の御用堀を見に行った。
御用堀のある一角は、昔の面影を残した落ち着いたたたずまいだった。

宿内には、大正時代の旧喜連川興業銀行や明治時代の旧喜連川郵便局の建物、古民家が残っていた。
本陣跡は、街の駅本陣という観光施設で、建物が大正時代の旧喜連川警察署だった。
街道から復元された喜連川城の大手門が見えた。


大田原市に入ると、源平の戦いの一つ、屋島の戦いで平家の扇の的を弓で射落とした那須与一の出身地とあって、ところどころ「那須与一の里」「与一の里」と書かれた表示を見かけた。
マンホールのふたには馬に乗って海に入り、弓を弾く那須与一が描かれていた。

佐久山宿では、宿場の名残となるものがなく「旧奥州道中 佐久山宿下町」と刻んだ石碑が宿場だったことを示していた。
「運用膏」と書かれた古い吊るし看板を下げた、かつて薬屋だったと思われる民家もあった。

大田原宿では「旧奥州道中」の石碑がところどころに設置されていた。
宿場の中心部にある金灯籠ポケット公園には、江戸時代に建てられ戦時中に供出し姿を消した金灯籠が、有志により再現されていた。
公園には、奥の細道の黒羽に向かう途中の描写を刻んだ石碑も置かれていた。
かつて芭蕉が歩いた道を歩んでいると思うと感慨深かった。


大田原宿から鍋掛十文字までの街道沿いには、街道の名残を残すものとして片側の塚が残った中田原一里塚、奥州街道と棚倉街道の追分にあった道標、道路拡張工事等により片側の塚のみ移動された鍋掛一里塚があった。

鍋掛に向かう途中の田園地帯を進んでいるあたりで徐々に日が傾いてきた。
八幡太郎義家のゆかりの葛籠石、愛馬蹄跡を残す石がある樋沢神社に到着したころにはあたりは薄暗かった。
このあたりの街道沿いは民家が少ないので、日が暮れてから一人で歩くのは心細くなる。

鍋掛十文字には黒磯駅行きのバス停があったが、16時台で最終バスが出たので駅まで歩いた。


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2012年12月16日 奥州街道徒歩の旅1(宇都宮追分~喜連川宿)

2013年08月25日 | 奥州街道徒歩の旅
いよいよ五街道で唯一未踏破の奥州街道に挑戦。

1日目は宇都宮にある日光街道との追分から喜連川本町バス亭まで25キロ程度歩いた。
歩いた宿場は、白沢宿、氏家宿、喜連川宿。

始発電車に乗り宇都宮駅で下車、バスで追分まで移動した。
早朝のせいか人通りは少なかった。
色あせた追分の表示板の写真を撮った後、歩き始めた。

商店街を抜け、幸橋を渡ると街道の向こう側に国重要文化財の旧篠原家住宅が現れた。
以前建物内を見学したことを思い出した。


白沢宿は、静かで落ち着いた街並みだった。
街道の両脇に用水が流れ、ところどころで水車が回り、民家には旧屋号が掲げられていた。
かつての本陣は住宅になっていた。
子孫の方がお住まいのようだ。
宿場には江戸時代の公衆トイレ跡があった。
とても珍しかった。


白沢宿を出た後、道を間違え30分程度時間を無駄にした。


氏家宿に向かう途中、勝山公園で昼食をとった。
公園は、もともとは鎌倉時代末期に築かれ慶長2年(1597)に廃城した勝山城があった場所。
崖の上の公園からは鬼怒川や日光連山がよく見えた。

氏家宿を抜けると、江戸時代・享保8年(1723)の五十里洪水の跡を残す門や、明治時代に建てられ明治天皇の休憩所となった瀧澤家住宅があった。


国道293号線から分かれ旧道に入るころには空がオレンジ色に染まり太陽が沈みつつあった。
旧道の途中にある早乙女温泉のそばに差し掛かると、強い硫黄臭が漂い、黄色の温泉が流れていた。
後で調べたところ、早乙女温泉は源泉かけ流しの温泉で、泉質がよく、温泉好きの間では大変評判がよかった。
帰りの交通の便が良ければ入浴したかった。

先に進むと奥州街道古道が現れた。
舗装道だが往時の面影を残した道だった。
薄暗くなっていたので一人で歩くのは少し心細かった。


氏家宿に着いたころはすっかり日が落ちていた。
喜連川本町のバス停の近くのラーメン屋でラーメンを食べて氏家駅行きの最終バスを待った。

地方ではバスの本数が少ないことが多く、1本逃してしまうと大変なことになる。
最終バスでは私ともう一人の乗客のみ、とさみしい限り。
この状態では、バス路線を維持していくのはとても難しい・・・。


■写真一覧

その1
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その2
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