生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

3月26日(日) 菜の花の浜離宮恩賜庭園へ

2006年03月27日 | 都内散歩
3月26日は、菜の花を目当てに浜離宮恩賜庭園に行ってきました。旧芝離宮恩賜庭園、増上寺、芝公園、愛宕神社にも足を伸ばしました。

浜離宮恩賜庭園は江戸時代の代表的な回遊式の大名庭園で、園内には潮入の池(海水を引き入れ、潮の満ち干で趣が変わる池で、海辺の庭園で一般的に用いられた)と二つの鴨場(鴨猟をする場所)があります。旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園などの池もかつては潮入の池でしたが、現在実際に海水が出入りしているのは浜離宮恩賜庭園のみです。

浜離宮恩賜庭園には30万本もの菜の花が一箇所にまとめて植えられています。菜の花は満開で、畑はさながら「黄色の絨毯」といった状態で最高でした。来園者の多くが菜の花畑の見事さに歓声を上げていました。浜離宮恩賜庭園へ一度来園したことがあるため、今回は簡単に園内を回りました。園内の桜は3~5分咲きでした。あと一週間もすれば満開の桜が楽しめることでしょう。

この日は「菜の花まつり」期間中とあって、江戸太神楽の実演を見ることができました。江戸太神楽は、獅子舞や傘回し(染之助・染太郎がやっていた、鞠やますなどを傘の上でまわす曲芸)など江戸時代から続く伝統芸能です。この日の演目は傘回し、コマを日本刀の刃の上や糸の上を移動させる曲芸、長竿の上に水の入ったコップを乗せて竿を親指や歯の上などにのせてバランスをとる曲芸でした。どれも見事な芸で驚きの連続でした。


旧芝離宮恩賜庭園は、現存する大名庭園で最古のものの一つです。浜離宮恩賜庭園に比べだいぶこじんまりしていますが、趣のある庭園です。ただ、庭園の外に目をやると、林立する高層ビルや隣の浜松町駅での電車の出入りが目障りでした。都会の庭園だから仕方の無いことなのでしょうが。

増上寺は、浄土宗の七大本山の一つで、徳川将軍家の菩提寺です。山門から大殿に到る参道に植えられた枝垂桜は満開で、写真を撮る参拝客が群がっていました。増上寺のそばの芝公園の桜は5分咲きというところでしたが、花見をする若者達を見かけました。

愛宕神社は、徳川家康が江戸の防災を祈願し火除けの神を祀るために建てたこじんまりとした神社で、標高26メートルの東京23区で最も高い愛宕山の上にあります。地上から神社の間には「出世の石段」と呼ばれる86段ある急勾配の石段がありますが、横着してエレベーターで上がりました。帰りは出世の石段を降りましたが、石段がほぼ垂直に見え、手すりにつかまりながら恐る恐る降りました。

愛宕山にはNHK放送博物館がありますが、営業時間に間に合わなかったので断念。愛宕神社から新橋駅まで歩き、電車に乗って帰途に着きました。




【浜離宮恩賜庭園】



菜の花畑。曇天のために鮮やかな菜の花の色をお伝えできないのが残念。




菜の花と高層ビル。




桜の木。




潮入の池。中央の中島の御茶屋では抹茶が有料で楽しめます。




潮入の池。




傘回し。傘にのっているのはますです。




水の入ったコップを載せた長い竿を歯で支えてバランスを取っています。お見事。



【旧芝離宮恩賜庭園】



園内。




園内。




高台からの眺め。




雪見灯籠。




西湖の堤。中国の杭州にある西湖の堤を模したもの。



【増上寺】



三門。




鐘楼堂と枝垂桜。




大殿。



【愛宕神社】



出世の石段。




本殿。




庭園の池。



【おまけ】



新橋駅近くにある堀商店本社ビル。堀商店は明治23年(1890)創業の老舗の錠前メーカーです。昭和7年(1932)に建てられた鉄筋コンクリート造4階建てのビルで、スクラッチタイル(引っかき傷をつけたタイル)張りの外壁と塔が印象的。登録有形文化財。




シックな入り口とショーウィンドウ。ショーウインドウには珍しい錠前や建具金物などが陳列されています。




彫刻が施された窓の区切り壁。


3月21日(火) 横浜・三渓園へ

2006年03月24日 | 都外散歩
3月21日、念願の横浜・根岸の三渓園に行ってきました。

三渓園は明治の実業家で芸術愛好家でもあった原三渓(本名 富太郎)が作り、明治39年(1906年)に一般公開された日本庭園です。広さは、17.5万㎡と東京ドームの面積の3倍強にも及び、とても散策しがいがあります。園内は緑豊かで、庭園が住宅地や工場地に囲まれていることをすっかり忘れさせてくれます。

園内には京都や鎌倉などから移築した重要文化財を含む歴史的建造物が配され、自然とよく調和してえもいえぬ風情を醸し出しています。園内にいると思わず京都か鎌倉にでもいるかのような錯覚を覚えます。私のお気に入りの建物は、三渓園のシンボルの三重塔と京都から移築した聴秋閣です。残念ながら旧矢箆原家住宅以外は、建物の内部へ入ることはできませんが、一部の建物は有料で茶会や句会などの催事会場として利用可能です。

桜、梅、藤、蓮など四季折々の草木が植えられた園内は、四季ごとに違った味わいがあります。私が訪れた日には、桜の開花にはまだ早く、梅や水仙が盛りを過ぎていました。あと一週間もすれば、園内は桜に彩られとても風情あることでしょう。ぜひ桜や蓮、紅葉の時期に再度来園したいと思います。

三渓園は今年で開園から100年を迎えます。関東大震災や第二次世界大戦の空襲で大被害を被ったこともありますが、ほぼ昔の姿を取り戻し現在まで人々に愛されてきました。今後もこのすばらしい三渓園が続いて欲しいと心から願うばかりです。


三渓園の後、立ち寄った横浜市電保存館は、明治37年(1904)から昭和47年(1972)までの約70年間横浜市民の足として活躍した市電の歴史を写真、映像、年表と実物資料を使って紹介しています。保存館の見どころは大正時代から市電廃止まで使用された7両の市電車両の実物展示です。車両は動きませんが、車内見学は可能です。こじんまりとして昔懐かしい市電車両を見るとなんとなくほっとします。市電に興味のある方は三渓園の帰りに立ち寄ってはいかがでしょうか。



【三渓園】



大池と三重塔。




三渓園のシンボル、旧燈明寺三重塔。康正3年(1457年)建築。京都・燈明寺から移築したもので、関東地方では最古の塔です。




三重塔へいく小道にある竹のトンネル。




梅と水仙。




旧東慶寺仏殿。「縁切り寺」で知られる鎌倉・東慶寺にあった仏殿。寛永11年(1634年)建築。




旧矢箆原家住宅。岐阜県白川郷にあった江戸時代の合掌造を移築。内部は公開されています。




薄墨桜。岐阜県から移植。旧燈明寺本堂の近くにあります。




臨春閣。紀州徳川家初代・頼宣が慶安2年(1649年)、和歌山・紀ノ川沿いに建てた夏の別荘を移築。




旧天瑞寺寿塔覆堂。豊臣秀吉が母の長寿を祝って天正19年(1591年)に京都・大徳寺に建てた寿塔の覆堂を移築。




天授院。鎌倉・建長寺近くの心平寺という廃寺に建てられていた地蔵堂を移築。慶安4(1561年)建築。




聴秋閣。京都・二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの建築。元和9年(1623年)建築。




小川。心地よい音を立てながら流れています。



【横浜市電保存館】



523号車。昭和3年(1928年)に購入され、昭和44年(1969年)廃車。おしゃれなデザインの車両です。




1104号車。昭和3年購入、市電全廃まで活躍しました。




1104号車内部。座席はクッションがきいていて座り心地よし。




1510号車。戦後の車両です。





1510号車の運転席。




10号車。大正2年(1913年)、本牧にあったキリンビール工場のビールを運ぶために製造された無蓋列車です。


3月19日(日) 京王線沿線花めぐり散歩

2006年03月20日 | 都内散歩
3月19日は、「和と洋の庭園で花を愛でる」をテーマに、「和」の京王百草園と「洋」の京王フローラルガーデン・アンジェを訪れました。

多摩丘陵の一角にある京王百草園は、江戸や明治の文人に愛された、落ち着いたたたずまいのこじんまりとした日本庭園。園内には800本の梅が植えられ梅の名所として知られています。満開の梅で庭園全体が白や紅色に彩られ見事でした。時々梅の花びらが風に吹かれて雪のようにちらちらと舞い風情がありました。朝10時過ぎに入園しましたが、都心から離れているせいか梅の名所の割には人が少なめでした。「梅の見納めか・・・」と梅の時期が過ぎ去るのを惜しみつつ梅を眺めながら二時間近く園内で過ごしました。


京王百草園の後、関東三不動の一つ、高幡不動に立ち寄りました。不動堂では護摩の儀式が行なわれていました。信心深くない私は、堂内に入らずに外から様子をうかがっていました。古典文学などに登場する護摩の儀式を実際に見るのは初めてでした。金色のきらびやかな装飾で飾られた暗い堂内で炎が赤々と激しく燃え上がる様子は非常に神秘的でした。境内では、梅が数本あり、満開でした。高幡不動はあじさいの時期が非常にすばらしいようですので、その時期に訪れてみたいと思います。


高幡不動の後は、西洋風庭園京王フローラルガーデン・アンジェへ。「京王フローラルガーデンでは木蓮が咲いている」と聞いていたので、先に行った京王百草園のように園内が色彩豊かな状態と勝手に妄想していました。期待に胸を膨らませいざ入園すると、園内はごく一部の木蓮と草花が花開いている状態で、色彩に乏しく閑散としていてがっかりしました。どうも来園の時期が早すぎたようです。冷たい強風に吹き付けられ寒さにうち震えながら園内を散策しました。庭園は、桜やバラの時期が美しいそうですのでまたそのころ来園しようと思います。



【京王百草園】



色とりどりの梅。




樹齢300年以上の寿昌梅。残念ながら花は半分近く散っていました。




松連庵と梅。茅葺きの松連庵の中は蕎麦屋になっています。




池のほとりの梅。




池のほとりの梅。




池のほとりの梅。




寒咲きあやめ。園内には、水仙、椿、さんしゅゆなどが咲いています。



【高幡不動】



仁王門。




不動堂。護摩の儀式が行われていました。




五重塔。境内では骨董市が開かれてました。




境内の梅。




土方歳三像。新撰組副長の土方は、高幡不動の地元、日野市の出身です。境内や門前のお店では新撰組のグッズが売られています。



【京王フローラルガーデン・アンジェ】



ポンド・ガーデン。池のほとりにはヴェルサイユ宮殿の庭園にある「愛の神殿」をモチーフにしたドームが建てられています。




ポンド・ガーデンのクロッカス。クロッカスは木蓮のあるマグノリア・ガーデンにも植えられています。




ウォール・ガーデン。レンガの壁に囲まれた庭には、果物や野菜が植えられています。




ウォール・ガーデンの入り口のセイヨウミザクラ。さくらんぼがなる木です。




マグノリア・ガーデン。マグノリアとは、こぶし・木蓮などの総称です。朱木蓮が咲いています。地面の白い花はクロッカス。




朱木蓮。




カナルサイド・ガーデンの白木蓮。




白木蓮。




カナルサイド・ガーデンのふきのとう。すっかりとうが立っています。




ゆきやなぎ。場所は忘れました。




ミモザ。ガーデニングショップにて。



3月10日(金) 鎌倉観梅散歩

2006年03月18日 | 都外散歩
3月10日に休みをとって、鎌倉へ梅を見に行きました。小雨が降り続き気温が低く散歩にはつらい日でしたが、観光客が少なく、晴れの日には味わえないしっとりとした雰囲気で梅を愛でることができたのでかえってよかったです。


最初に行ったのは北鎌倉の東慶寺。「駆け込み寺」「縁切り寺」として、夫に悩み離縁を望む女性達を救済してきた寺です。山門をくぐると、参道には7分咲きから満開の美しい梅の古木が連なっていました。甘い香りに包まれながらしばし観梅。

東慶寺近くの鎌倉五山第四位の寺、浄智寺は静かなたたずまいで、苔むした参道の階段と鐘楼のある中国風の山門が印象的でした。梅の他、ミツマタが咲いていました。

鎌倉駅西口から歩いて15分の浄光明寺でも梅が見ごろでした。近くの寿福寺は、尼将軍北条政子が夫源頼朝の供養のために創建された鎌倉五山第三位の寺。緑に覆われた静かな参道が美しかったです。本殿は残念ながら非公開。墓地には北条政子と源実朝の墓がありました。

二階堂にある瑞泉寺は、境内には四季の草木が植えられ、鎌倉随一の「花の寺」として知られています。私が訪れた時にも梅と水仙が咲き乱れ、まさに「花の寺」を実感。境内には白梅、紅梅、蝋梅、黄梅の古木があり、どれも7分咲きから満開。天気が悪い平日のため観光客が少なく、境内はほぼ貸しきり状態。「白・紅・黄」の色彩と苔むした古木の形の美しさと梅の甘い香りに酔いしれ、思わず一時間近く境内をぶらつきながら梅を見て過ごしてしまいました。ぜいたくな時間でした。「休みをとって瑞泉寺に来て良かった」と心から思いました。梅の時期にもそれ以外の時期にもぜひまた瑞泉寺を訪れてみたいです。
本堂の裏には、瑞泉寺開山で、京都の西芳寺・天龍寺庭園の作者でもある夢窓疎石作の庭園があります。山すそを削って池や滝、中の島、大きなやぐらを掘り出した庭園で、むき出しになった岩肌から厳しさが感じられました。

瑞泉寺を出て鎌倉宮に参拝後、海を見るのが大好きな私は、江ノ電に乗って七里ヶ浜へ向かいました。天気が悪く青い空と海は望めませんでしたが、海を前にして幸せ気分になりました。波の音を聞き海を眺めながら江ノ島方面に向かって浜辺を歩き、江ノ島駅近くの東京方面のモノレールに乗ってこの日鎌倉散歩を終えました。



【東慶寺】



参堂。




本堂。




梅。


【浄智寺】



山門と梅。




ミツマタ。




俳優・田中邦衛似の布袋尊。鎌倉七福神の一つです。


【浄光明寺】



梅。




梅。


【寿福寺】



参道。




北条政子の墓。


【瑞泉寺】



境内。中央の建物は本堂です。




本堂の前にある黄梅。




本堂のわきにあるしだれ紅梅と水仙。




境内の梅。




夢窓疎石作の庭園。




夢窓疎石作の庭園。




山門のそばの苔むしたつくばいと石仏。


【鎌倉宮】



拝殿。鎌倉宮には、鎌倉幕府打倒に生涯をかけた後醍醐天皇の皇子、護良親王がまつられています。




土牢。鎌倉幕府打倒後、足利尊氏と対立した護良親王はこの土牢に9ヶ月も幽閉されました。




おみくじ販売機。この機械に近づくと楽しげな音楽とともに獅子が踊りだします。見ていて楽しかったのでパチリ。


【海】



浜辺。遠くに江ノ島が見えます。




3月12日(日) 府中散歩

2006年03月14日 | 都内散歩
3月12日に、府中にあるサントリー武蔵野ビール工場と府中市郷土の森博物館に行って来ました。


最初にサントリー武蔵野ビール工場へ工場見学に行って来ました。京王線・JR南武線「分倍河原駅」から無料の送迎バスに乗り、5分で到着。工場見学者は若いカップルや家族連れ、中高年の夫婦などさまざまでした。工場見学は無料で、実際の製造現場は見せてくれませんでしたが、約45分間、係員が映像や展示されている機械を使ってビールの製造工程を詳しく説明してくれ、勉強になりました。

説明の後はお楽しみのビール(飲めない人はソフトドリンク)の試飲。見学者、特にお父さんの表情はうれしさでいっぱい。試飲は約15分と短時間でしたが、3月14日に新発売の「新モルツ」と発売中の「ザ・プレミアム・モルツ」をおつまみ付で試飲させてくれました。「新モルツ」は苦味が非常に少なくすいすい飲めるビールでおいしかったです。「ザ・プレミアム・モルツ」は「新モルツ」を飲んでアルコールが回った状態で飲んだため、正直味が良くわかりませんでした。係員のビールの注ぎ方が上手で、両ビールの泡が非常にやわらかくておいしかったです。

出入り口にはお土産コーナーがあり、当工場で製造した「ザ・プレミアム・モルツ」や、サントリーのオリジナルグッズや特製のおつまみなどが販売されていました。私は何も買いませんでしたが、お土産選びにはよいところだと思います。

工場見学では、ビールの製造過程が学べ、おまけに無料で試飲ができて充実した1時間を過ごせました。どの年代でも楽しめる内容ですので一度見学してみてはいかがでしょうか(見学の申し込み方法は、サントリー武蔵野ビール工場ホームページをご覧ください)。


サントリー武蔵野ビール工場から15分程度歩いて府中市郷土の森博物館に向かいました。府中市郷土の森博物館は、広々とした敷地に、府中の自然や歴史を紹介する展示館やプラネタリウム、復元建造物や梅園などが設置されたフィールドミュージアムです。

復元建造物は、全て府中市内にあったもので、昭和初期の尋常高等学校や、江戸・明治時代の商家や農家、大正時代の町役場など8棟が復元されています。建造物内には入ることができます。

梅園は園内の面積の半分以上を占める広さで、さまざまな種類の梅が数多く植えられています。花は、7分咲きから満開の状態でちょうど見ごろでした。先週行った湯島天神に比べ広さの割りに人が少ないので、じっくり梅の観賞や写真撮影をしたいという人には穴場だと思います。甘い香りに包まれながら、心ゆくまで梅を鑑賞することができて満足しました。来年の梅の時期にまた来たいと思いました。



【サントリー武蔵野ビール工場】



サントリー武蔵野ビール工場への無料送迎バス。




「ザ・プレミアム・モルツ」の試飲。飲みかけの写真で失礼。



【府中市郷土の森博物館】



旧府中町立府中尋常高等小学校校舎。昭和10年に建てられた2階建ての木造校舎で、昭和54年まで使用されていました。移築・復元されたのは校舎の中央部分です。




旧田中家住宅。田中家は幕末から明治時代にかけて甲州街道府中宿を代表する商家で、その住宅は明治天皇の休憩所や宿所として利用されたこともあります。




旧田中家住宅。




旧田中家住宅。




旧島田家住宅。島田家は旧甲州街道・府中新宿の商家です。住宅は明治21年に建てられたもので、店蔵部分が移築・復元されています。




旧河内家住宅。茅葺屋根の農家の母屋です。




旧府中町役場庁舎。大正10年に建てられた洋風の町役場建築です。東京都指定有形文化財で、大正時代の建築としては指定第一号です。




旧府中町役場庁舎の内部。




旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)。住宅は幕末から明治5年の間に建てられたと推定されています。明治5年に府中で最初の郵便取扱所となりました。




園内の菜の花。




梅園。




梅園。




梅園。