生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2012年4月28日 中山道徒歩の旅5(坂本宿~沓掛宿)

2012年09月27日 | 中山道徒歩の旅
今回は5月の連休を利用しての中山道歩き。
1日目のこの日は西松井田駅から中軽井沢駅までの約25キロ。
歩いた宿場は、坂本宿、軽井沢宿、沓掛宿。


約1か月ぶりの中山道歩き。
だいぶ暖かくなり街道歩きにはちょうど良い時期になった。
この日の天気は晴れ。
中山道の最初の難所、碓氷峠越えにはふさわしい天気。
満開の菜の花や桃、八重桜や枝垂桜を見ながら楽しく歩いた。

江戸時代の建物の五料の茶屋本陣に寄り道した。
端午の節句を控え、室内には鎧兜や武者人形が飾られていた。

横川駅にたどり着く前に猿数匹を目撃。

横川駅周辺には、碓氷峠鉄道文化むらや、近代化遺産のめがね橋や丸山変電所跡、旧信越本線跡のアプトの道といった鉄道関係の見どころが多いが今回は素通り。
後で遊びに行きたい。
4大関所の一つ、碓氷関所跡には、復元された東門と小さな資料館があったのみで、東海道の箱根や新居の関所に比べて地味だった。


いよいよ碓氷峠越え。
横川駅あたりの標高が400メートル未満、碓氷峠の頂上の熊野神社の標高が約1200メートルと800メートル以上標高差がある。
東海道には碓氷峠並みに標高差があり、1000メートルを超える難所がなかったので峠越えを果たせるか不安になった。

最初の30~40分が急坂が続いた。
覗からは坂本宿がよく見えた。
急坂が終わるとだらだらと平坦な道が続き、時折上り坂が現れた。
標高が高いため、花や新緑がまぶしい地上と違って、新緑にはまだ早く荒涼としていた。
歩いている人はあまりいなかった。

「熊出没注意」の看板が現れる度にドキリとし、手持ちの熊よけ鈴を激しく鳴らす。
峠道の脇の険しい谷を見ながら、「ここから落ちたら助からないだろうな・・・」「盗賊に襲われ谷に落とされたら誰も気がつかないだろうな・・・」と悪い想像を巡らせながら歩いた。
途中で中山道ウォーカーの間では話題の廃自動車を見かけた。
車が通るのが困難な道にどうやって車を捨てたんだろう・・・と疑問がわいた。

歩き疲れたころにまた急坂が登場。
疲れたころに急な上り坂とは容赦ない・・・。
人がすれ違うのが難しい熊笹の茂る坂もあった。


やっとのことで熊野神社のある集落に到着。
人気のほとんどない場所をずっと歩いてきたので人のにおいがする場所はほっとする。
神社の周辺には力餅を商う茶店が何軒かあった。
群馬県と長野県の県境にある熊野神社では、群馬県の熊野神社と長野県の熊野皇大神社が隣り合っていて賽銭箱も別々に置かれていた。
こういう神社は初めてだったので面白かった。

熊野神社の後は下り坂が中心の道。
道が細く急な下り坂もあったので慎重に歩く。


お店が立ち並びこぎれいな服装の観光客が歩く軽井沢は今まで通過してきた場所とは別世界。
宿場の面影を残す場所が皆無に近かった。
「中山道軽井沢宿」の石碑がなければ、宿場だったことが全くわからない。
商店街から離れると、別荘や高級そうな宿泊施設を見かけた。
夏場に軽井沢の別荘で過ごす人達がうらやましくなった。


■写真一覧

その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/199817/tn

その2
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その1
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2012年4月1日 中山道徒歩の旅4(倉賀野宿~松井田宿)

2012年09月24日 | 中山道徒歩の旅
この日は、倉賀野駅から西松井田駅まで25キロ程度中山道を歩いた。
歩いた宿場は倉賀野宿、高崎宿、板鼻宿、安中宿、松井田宿。

この日は天気がよく気持ちよく歩けた。
街道のあちこちで例年より開花の遅い梅の花が満開になっていてとてもきれいだった。
妙義山等の山々が近くに見えてきてだいぶ遠くまで来たと感じた。

江戸時代の面影を残すものとしては、藤塚の一里塚、上豊岡の茶屋本陣、和宮が宿泊した板鼻本陣跡、旧安中藩郡奉行役宅、旧安中藩武家長屋、原市杉並木があった。
中山道歩きをしている者にとっては多少なりとも面影が残っているのはうれしい。


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2012年2月19日 中山道徒歩の旅3(深谷宿~倉賀野宿)

2012年09月23日 | 中山道徒歩の旅
この日は籠原駅から倉賀野駅まで32、3キロ程度歩いた。
歩いた宿場は深谷宿、本庄宿、新町宿、倉賀野宿。

深谷宿では造り酒屋等の古い建物をいくつか見かけた。
中山道から外れるが、深谷駅を見に行った。
駅舎は赤煉瓦造りの東京駅を模した外観で立派。
縦書きの駅名標が掲げられ、明治の雰囲気が感じられてよかった。

本庄宿は中山道の宿場では最大規模の宿場の一つで大変賑わっていたが、宿場の面影がほとんど感じられなかったのが残念。
宿場の面影を偲ばせるものは本庄市立歴史民俗資料館にあった田村本陣の門ぐらい。

神流川を渡り、埼玉県から群馬県に入った。
武州路から上州路へ。
武州路は長かったが、ほとんど坂がなく平坦な道だったので楽だった。
楽なのは今のうちだけで碓氷峠から険しい道に・・・。

新町宿、倉賀野宿も宿場の面影がほとんど残っていなかった。
新町宿を出てから立派な白壁と土蔵を備えた屋敷があった。
日が暮れてしまい写真撮影をあきらめたが、後で調べたら国登録文化財だった。
フラッシュをたいて撮影しておけばよかったと今になって後悔。

倉賀野に中山道と日光例幣使街道の追分があった。
いずれ日光例幣使街道も歩いてみたい。


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2012年2月19日 中山道徒歩の旅2(上尾宿~熊谷宿)

2012年09月21日 | 中山道徒歩の旅
この日は上尾駅から籠原駅まで中山道を歩いた。
歩いた宿場は上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿。
歩いた距離は33~34キロメートル程度か。

桶川宿、鴻巣宿には宿場の風情が感じられる古い建物が残っていたのがよかった。
江戸時代の旅籠の姿をとどめる桶川宿の武村旅館が気になった。
鴻巣宿では雛人形の産地でひな祭りの前とあって商店街の店先や街頭に雛人形が飾られていた。
観光案内所で、鴻巣市役所で日本一高いピラミッドひな壇が飾られるイベントが行われていることを知った。
興味があったが時間がなかったのであきらめた。

鴻巣宿と熊谷宿は16キロ程度離れていたので歩くのがつらかった。
熊谷堤では風が強く吹きつけてきて歩きにくかった。
風がなければ見晴らしがよく気持ちよく歩ける場所なのに・・・。

熊谷宿では宿場の名残が感じられるものがあまりなかった。

上尾駅を出発したのが朝7時前で、籠原駅に着いたのは夜7時ごろ。
もっと早く籠原駅に着くかと思ったが寄り道したり、休憩するとどうしても時間がかかってしまう。
日が暮れる前に目的地にたどり着けるようにしたい。



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2012年2月19日 中山道徒歩の旅1(板橋宿~上尾宿)

2012年09月02日 | 中山道徒歩の旅
昨年7月にイベントとして日本橋から西巣鴨駅まで中山道を歩いたが、続きは個人で歩くことにした。
この日は西巣鴨駅から上尾駅まで中山道を歩いた。歩行距離は30キロ程度。
歩いた宿場は板橋宿、蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿。

かつての板橋宿は長い商店街になっていた。
朝早い時間帯に歩いたので開店前のお店が多かった。
もう少し遅い時間に歩けば賑わいが見られるだろう。

いずれの宿場も都市化が進んでおり、宿場の名残となるものがほとんどなかった。
板橋宿、蕨宿では宿場に関する説明板が設置されていたり、ポケットスペースに宿場や中山道をモチーフにしたものが置かれていたり、タイルやマンホールのふた等が宿場や中山道にちなんだデザインだったりと宿場であったことをアピールしていた。
浦和宿、大宮宿、上尾宿ではそういったものをほとんど見かけなかった。


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その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/195374/tn


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http://blog.goo.ne.jp/photo/195378/tn


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