生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年3月28日 王子・板橋花見散歩イベント主催(その4)

2010年03月30日 | 都内散歩イベント主催
(その3はこちら

■石神井川の桜(板橋区)
北区側よりも桜の本数が多いと思う。川沿いのフェンスの高さが北区側よりも低いので
写真撮影がしやすかった。










■加賀公園
加賀藩前田家の下屋敷跡に建てられた公園。下屋敷は板橋宿の東側にあり、広さは21万7000坪にも及び、本国金沢の兼六園の約7倍の広さがあったが、明治時代には下屋敷の大半が板橋火薬製造所となり、現在下屋敷の面影を残すのは園内の築山のみとなっている。


「加賀前田家下屋敷跡」の碑。


当時の下屋敷の絵。このあたりの地名は「加賀」、公園の近くにある小学校は「金沢小学校」と加賀藩ゆかりの地だったことを示す。


板橋区と金沢市のとの友好交流都市協定締結記念碑。記念碑は金沢市のシンボルで、前田利家とまつをを祀る尾山神社にある神門のステンドグラスを模したもの。


加賀公園を出て石神井川沿いを少し歩くと兼六園のシンボル、琴柱灯篭を模した灯篭がおかれている。


■板橋
この付近の地名の由来となる橋で、現在の橋は昭和47年のもの。江戸時代の初期、中山道の整備と伝馬制度が確立した慶長7年(1602)頃にこの名を冠した板橋宿が開かれた。江戸から第一の宿で、全長1,700mあり、板橋から京都よりを上宿、江戸よりを中宿、最も江戸に近い平尾宿の三宿に分かれていた。








■旧中山道
江戸時代に「江戸日本橋」を起点とした五つの街道の一つ(残りは「東海道」「日光道中」「奥州道中」「甲州道中」)。江戸時代の中山道は、日本橋から京都・三条大橋までの69次、全長約135里(約530km)あった。


現在の旧中山道沿いは商店街。物価が安くて生活がしやすそうだ。


王子新道との交差点にあった説明版。


「中山道板橋宿」「蕨宿 二里千町」。同じく王子新道との交差点にあり。


レンガ造りの店蔵。


■文殊院
真言宗豊山派の寺院で、本陣飯田家の菩提寺。境内には板橋宿にいた飯盛女と称した遊女の墓がある。






飯盛女の墓。


■板橋宿本陣跡
本陣とは、江戸時代の宿場で大名公家などの貴人が休泊した宿で、板橋宿では、飯田家が代々本陣役を務めた。参勤交代大名30家をはじめ、和宮らがが宿泊した。




■遍照寺
真言宗の寺院。境内は宿場時代の馬つなぎ場で、馬頭観音がその名残をとどめる。


路地を入っていくと本堂がある。


境内には馬頭観音や馬の名前を刻んだ石碑が残る。

2010年3月28日 王子・板橋花見散歩イベント主催(その3)

2010年03月29日 | 都外散歩イベント主催
(その2はこちら

■石神井川の桜(北区)






■緑の吊り橋・音無さくら緑地
石神井川の旧川を利用して作られた緑地。 自然の川岸が残され、古い地層を見ることができる。 緑地に架かる吊り橋は本格的な造りで、23区内でも珍しい。






■金剛寺(紅葉寺)
真言宗の寺院。徳川八代将軍吉宗の命により、寺の付近一帯にカエデが植樹されたので「紅葉寺」とも呼ばれる。
源頼朝が伊豆で挙兵した後、隅田川を渡って武蔵国へ攻め入るときに、金剛寺あたりに陣を張ったと伝えられる。頼朝が信仰し、江戸時代も広く信仰の対象となった松橋弁天が安置されている。また、本尊の不動明王像は弘法大師自らの作という言い伝えがある。


本堂。


富士講の先達として活躍した安藤冨五郎の顕彰碑。形の悪いおにぎりに見えるが富士山を表している。


■音無もみじ緑地
敷地内には石神井川の流れが取り込まれており、すり鉢状の護岸構造のため川岸近くまで降りることができ水鳥や魚を間近で見ることでできる。江戸時代にはこのあたりには松橋弁天の洞窟があり、行楽地として知られていた。






■寿徳寺・谷津子育観音
真言宗豊山派の寺院。谷津子育観音としても知られ、本堂前にある大イチョウは、皮をご飯に炊き込んで食べると母乳が出るといわれていたため、 母乳に恵まれない母親がよく参拝する。新選組隊長近藤勇と諸隊士の菩提寺でもあり、近藤等の墓地はJR埼京線板橋駅東口前の当山境外墓地にある。


本堂。


大イチョウ。


近藤勇の肖像画を彫った石碑。

2010年3月28日 王子・板橋花見散歩イベント主催(その2)

2010年03月29日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら

■北とぴあ
ホール、各種会議室、研修室、プラネタリウム等を備えた施設で、最上階の17階の展望ロビーから南・東・北、三方向の景色を楽しむことができる。


南側。緑色とピンク色が混じりあうところが飛鳥山公園で、手前の緑は音無親水公園。


東側。隅田川が見える。


北側。木々が生い茂っているところは名主の滝公園。


■音無親水公園
自然の川を模した美しい公園で、日本の都市公園百選にも選定されている。江戸時代にはこのあたりは書籍や浮世絵などで風光明媚な場所として知られていた。






音無橋と桜。


■王子神社
元享2年(1322)に領主の豊島氏が熊野より当社を勧請したことから始まる。非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていた。境内には東京都の天然記念物の大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚がある。




関神社と毛塚。関神社は江戸時代に、かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者を中心として、江戸時代に滋賀県大津の関蝉丸神社を勧請したのが始まり。毛塚は昭和36年(1961)毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために建立。


■王子稲荷神社
関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきた。大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがある。境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっている。




狐の穴跡。


■名主の滝公園
江戸時代の王子は風光明媚な行楽地で、名所のひとつとして王子七滝があったが、現存するのはこの名主の滝のみ。
名主の滝は、江戸時代に王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、 一般に人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまるもので、名称もそれに由来。明治の中頃、貿易商である垣内徳三郎の所有となり、垣内は好んでいた栃木県塩原の景に模して庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある趣のある庭園として一般開放した。現在は区立公園。








女滝。


男滝。夏場にこの滝の近くで涼みたい。


2010年3月28日 王子・板橋花見散歩イベント主催(その1)

2010年03月28日 | 都内散歩イベント主催
この日は、「花見散歩」と称し、東京都北区の王子で桜の名所の飛鳥山公園等を回り、石神井川沿いを桜を見ながら板橋区の旧中山道に交わるところまで進み、旧中山道を歩く散歩イベントを開催した。
参加者は管理人も含め10名で、男性が4名、女性が6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。

この日は終日曇りで3月下旬とは思えないような寒い日だった。暖かい格好をして家を出たつもりだったが、イベントが終わったころには体が冷え切っていた。
肝心の桜は全体的に5分咲きというところか。予想していたよりも開花が進んでいたのでよかった。


【コース】
JR・王子駅→モノレール→飛鳥山公園→北とぴあ→→扇屋→音無親水公園→王子神社→王子稲荷神社→名主の滝公園→音無さくら緑地 →金剛寺 →音無もみじ緑地→寿徳寺→加賀公園→板橋→旧中山道→文殊院→板橋宿本陣跡→遍照寺→都営地下鉄・板橋区役所前駅


(桜の写真は当日に撮影。それ以外は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■飛鳥山公園
徳川八代将軍吉宗が、享保5年(1720)から翌年にかけて、享保の改革の施策の一つとして1270本の桜を植樹して江戸庶民に開放した桜の名所。明治時代にはいると上野、芝、浅草、深川と共に日本最初の公園となった。現在も桜の名所の一つとして名高い。


飛鳥山公園のモノレール。公園の入り口から山頂まで2分で到着。


曇天で寒い日であったにもかかわらず花見客多し。




公園は祭りイベントでにぎわっていた。


桜賦(おうふ)の碑。江戸時代の学者・佐久間象山(しょうざん)が、門弟吉田松陰の密出国の企てに連座し松代に蟄居した際に、桜に自分の思いを託した「桜の賦」を、死後遺墨を元に門弟勝海舟らが碑にした。


飛鳥山の碑。元文2年(1737)に、吉宗による事績を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられた。江戸時代には飛鳥山のランドマークともなり、浮世絵などで芝山に桜と石碑を描けば飛鳥山を示した。


紙の博物館。日本の洋紙発祥の地である北区王子に、昭和25年(1950)に旧王子製紙(株)によって設立。紙に関する古今東西の資料を幅広く収集、展示。


飛鳥山博物館。北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関する資料を収集、展示。


渋沢資料館。日本の近代経済社会の基礎を築き、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一の全生涯にわたる資料を収蔵、展示。


旧渋沢庭園。渋沢栄一が明治12年(1879)から亡くなる昭和6年(1931)まで、最初は別荘として後に本邸として住んだ。昭和20年(1945)に建物のほとんどが空襲で焼失したが、当時の面影を残す青淵文庫、晩香廬が残る。写真は茶室「無心庵」跡。


青淵文庫。国の登録文化財。大正14(1925)年完成の鉄筋コンクリートの建物。渋沢栄一の80歳のお祝いと男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈したもので、栄一の書庫として、また接客の場としても使用された。


晩香廬。国の登録文化財。大正6(1917)年完成。渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設(株)が贈った建物で応接室として使用された。


晩香廬の内部。


都電6080。昭和24年(1949)製造、昭和53年(1978)まで都電荒川線を走っていた車両。



蒸気機関車。昭和18年(1943)製造、昭和47年(1972)に廃車になったもの。

2010年3月14日 青梅・吉野梅郷散歩イベント主催(その3)

2010年03月15日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら

■即清寺
平安時代・元慶年間(877-885)創建の真言宗の寺院。招春梅と呼ばれる梅の古木や市内で最大のハクモクレンの木がある。


本堂。


招春梅。


ハクモクレンの木。開花にはまだまだ時間がかかりそう。満開の状態を見てみたい。


■吉川英治記念館
宮本武蔵の原作者で青梅市の名誉市民である作家、吉川英治の記念館。館内には原稿、著作、書画、書簡などを約300点展示。敷地内には吉川英治の旧居「草思堂」と離れの書斎が残されており「新平家物語」は昭和25年(1950)からこの地で執筆された。


草思堂。


離れの書斎(下見時に撮影)。


書斎の内部。


記念館。


記念館前の巨大なシイの木。


庭園に咲くカタクリの花。


■愛宕神社
辛垣城(からかいじょう・多摩川上流域を統治した三田氏の山城で二俣尾駅北側に広がる丘陵地帯にあった。)の鎮護のために建てられた神社と言われる。長い階段を昇ると市内を見渡せる眺望が開ける。


急な階段。


階段を登ると市内が見渡せる。


本殿。


■おまけ


吉野梅郷にあったマンホールのふた。梅にうぐいすとこの地らしい意匠。


大聖院の向かい側の家にある見事なしだれ梅。


奥多摩橋から見る多摩川。