(その3はこちら)
■石神井川の桜(板橋区)
北区側よりも桜の本数が多いと思う。川沿いのフェンスの高さが北区側よりも低いので
写真撮影がしやすかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b7/67b19131f4308d3ae206ab075aa48301.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/70/74835bbb64dd1786afa9de713e82a772.jpg)
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■加賀公園
加賀藩前田家の下屋敷跡に建てられた公園。下屋敷は板橋宿の東側にあり、広さは21万7000坪にも及び、本国金沢の兼六園の約7倍の広さがあったが、明治時代には下屋敷の大半が板橋火薬製造所となり、現在下屋敷の面影を残すのは園内の築山のみとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/51/5405b977ccb4fba839b9ebbf4ce536f1.jpg)
「加賀前田家下屋敷跡」の碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/61/5d91336c82b6318c28083996a403b818.jpg)
当時の下屋敷の絵。このあたりの地名は「加賀」、公園の近くにある小学校は「金沢小学校」と加賀藩ゆかりの地だったことを示す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cf/dbdf15910d13e3b0969377c7110b62aa.jpg)
板橋区と金沢市のとの友好交流都市協定締結記念碑。記念碑は金沢市のシンボルで、前田利家とまつをを祀る尾山神社にある神門のステンドグラスを模したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/63/aac2d7e0b2926ec2bc2ae01d52d70624.jpg)
加賀公園を出て石神井川沿いを少し歩くと兼六園のシンボル、琴柱灯篭を模した灯篭がおかれている。
■板橋
この付近の地名の由来となる橋で、現在の橋は昭和47年のもの。江戸時代の初期、中山道の整備と伝馬制度が確立した慶長7年(1602)頃にこの名を冠した板橋宿が開かれた。江戸から第一の宿で、全長1,700mあり、板橋から京都よりを上宿、江戸よりを中宿、最も江戸に近い平尾宿の三宿に分かれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/19/788bc4a4ca23ec8ff39c5f81e0dd5bec.jpg)
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■旧中山道
江戸時代に「江戸日本橋」を起点とした五つの街道の一つ(残りは「東海道」「日光道中」「奥州道中」「甲州道中」)。江戸時代の中山道は、日本橋から京都・三条大橋までの69次、全長約135里(約530km)あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/a1/1fce312e4e0ef8bc41813563da531343.jpg)
現在の旧中山道沿いは商店街。物価が安くて生活がしやすそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/25/9e494629c287aa7d8c8d2b6ec3e0b260.jpg)
王子新道との交差点にあった説明版。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/77/fd09f7259706b0872a9c24870719ca38.jpg)
「中山道板橋宿」「蕨宿 二里千町」。同じく王子新道との交差点にあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/6c/ec3297996114e2f3f435f31fe327b64d.jpg)
レンガ造りの店蔵。
■文殊院
真言宗豊山派の寺院で、本陣飯田家の菩提寺。境内には板橋宿にいた飯盛女と称した遊女の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9a/377705e75ff7f335b98f342007b7e1fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/44/f3b8588537433da487ce17500d5b1aab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/0a/0bd2729c0cb367865c815443deb669e0.jpg)
飯盛女の墓。
■板橋宿本陣跡
本陣とは、江戸時代の宿場で大名公家などの貴人が休泊した宿で、板橋宿では、飯田家が代々本陣役を務めた。参勤交代大名30家をはじめ、和宮らがが宿泊した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/dd/0d58b76651a6f35ab7adf7d77bf75cb1.jpg)
■遍照寺
真言宗の寺院。境内は宿場時代の馬つなぎ場で、馬頭観音がその名残をとどめる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ff/42b5b5fbc5d42eb44d7faf037b07f34a.jpg)
路地を入っていくと本堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/d0/0f05b720f448a247b84f347daf2f086d.jpg)
境内には馬頭観音や馬の名前を刻んだ石碑が残る。
■石神井川の桜(板橋区)
北区側よりも桜の本数が多いと思う。川沿いのフェンスの高さが北区側よりも低いので
写真撮影がしやすかった。
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■加賀公園
加賀藩前田家の下屋敷跡に建てられた公園。下屋敷は板橋宿の東側にあり、広さは21万7000坪にも及び、本国金沢の兼六園の約7倍の広さがあったが、明治時代には下屋敷の大半が板橋火薬製造所となり、現在下屋敷の面影を残すのは園内の築山のみとなっている。
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「加賀前田家下屋敷跡」の碑。
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当時の下屋敷の絵。このあたりの地名は「加賀」、公園の近くにある小学校は「金沢小学校」と加賀藩ゆかりの地だったことを示す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cf/dbdf15910d13e3b0969377c7110b62aa.jpg)
板橋区と金沢市のとの友好交流都市協定締結記念碑。記念碑は金沢市のシンボルで、前田利家とまつをを祀る尾山神社にある神門のステンドグラスを模したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/63/aac2d7e0b2926ec2bc2ae01d52d70624.jpg)
加賀公園を出て石神井川沿いを少し歩くと兼六園のシンボル、琴柱灯篭を模した灯篭がおかれている。
■板橋
この付近の地名の由来となる橋で、現在の橋は昭和47年のもの。江戸時代の初期、中山道の整備と伝馬制度が確立した慶長7年(1602)頃にこの名を冠した板橋宿が開かれた。江戸から第一の宿で、全長1,700mあり、板橋から京都よりを上宿、江戸よりを中宿、最も江戸に近い平尾宿の三宿に分かれていた。
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■旧中山道
江戸時代に「江戸日本橋」を起点とした五つの街道の一つ(残りは「東海道」「日光道中」「奥州道中」「甲州道中」)。江戸時代の中山道は、日本橋から京都・三条大橋までの69次、全長約135里(約530km)あった。
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現在の旧中山道沿いは商店街。物価が安くて生活がしやすそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/25/9e494629c287aa7d8c8d2b6ec3e0b260.jpg)
王子新道との交差点にあった説明版。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/77/fd09f7259706b0872a9c24870719ca38.jpg)
「中山道板橋宿」「蕨宿 二里千町」。同じく王子新道との交差点にあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/6c/ec3297996114e2f3f435f31fe327b64d.jpg)
レンガ造りの店蔵。
■文殊院
真言宗豊山派の寺院で、本陣飯田家の菩提寺。境内には板橋宿にいた飯盛女と称した遊女の墓がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9a/377705e75ff7f335b98f342007b7e1fb.jpg)
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飯盛女の墓。
■板橋宿本陣跡
本陣とは、江戸時代の宿場で大名公家などの貴人が休泊した宿で、板橋宿では、飯田家が代々本陣役を務めた。参勤交代大名30家をはじめ、和宮らがが宿泊した。
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■遍照寺
真言宗の寺院。境内は宿場時代の馬つなぎ場で、馬頭観音がその名残をとどめる。
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路地を入っていくと本堂がある。
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境内には馬頭観音や馬の名前を刻んだ石碑が残る。