(その3はこちら)
■松永記念館
小田原市郷土文化館の分館。
もとは、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた実業家で、近代茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が昭和21年(1946)に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年(1959)に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設で、昭和54年(1979)の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付され、昭和55年に現在の形になった。
松永安左ヱ門の書やゆかりの品々を展示。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/0c/14ebeb8d0f3eeeff890e2b4cbf27b1dc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/8b/68e398e0f29a82448381a87cec1b3a57.jpg)
庭園。耳庵の好みによるもので形式にとらわれず自然の趣を基調にしている。所々に奈良・平安時代の石造物が点在し、国土交通省「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/c0/7928fd388ed83ab23ac82596fe4bcfc3.jpg)
葉雨庵。国登録文化財。中外商業新報(現在の日本経済新聞社)社長、三越百貨店社長、鐘紡重役などを歴任した野崎廣太(幻庵)が大正13年(1924)、小田原市内の別荘に建てた茶室を昭和61年(1986)に移築。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/30/56a57f06b915886c76b9b0a45228d972.jpg)
老欅荘。国登録文化財。昭和21年(1946)に建てられた松永安左ヱ門の晩年の自宅。ここで政財界の重鎮を招いた茶会や小田原やその周辺の人を招いた茶会が開かれた。建物の名は登り口にそびえるケヤキの大木から由来。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/73/f40b6b39a0b1315292817ed348f78e9c.jpg)
老欅荘の名前の由来となったケヤキの大木。
■秋葉山量学院
慶長元年(1596)に小田原城主大久保忠世が信仰していた遠州の秋葉山大権現を勧請。 毎年12月に行われる火防祭では、諸儀式の後、燠火の上を素足のままで渡る「火渡り」が行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/27/b79cb96a120906f7dc61ed50bf087b94.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/415ab0a8e342d6670a315f456b0a211a.jpg)
■板橋地蔵尊
弘法大師が北国に向かう途中に彫り上げ、湯本に祀ったと伝えられるもので、戦国時代・永禄12年(1569)に香林寺九世の文察和尚が現在の板橋に移した。
「板橋のお地蔵さん」と呼ばれ親しまれ、1月と8月の板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、参拝客で大変賑わう。
また、この日に詣でると、亡くなった身内の人と瓜二つの顔の人に会えると言われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8b/b9804d3e275f2e88f8280a2a77046f65.jpg)
■小田原用水取入口
箱根芦ノ湖を源とする早川の水をこの地で取り入れ、旧東海道に沿って城下の中心へと流した上水道で、後北条時代中期に造られたもの。形態は変わったが現在も用水路として残る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a2/31d3d92e812532a37a2cb716cb0b9e4d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/97/bb51846efb5ee6a06f084e29ea5aff7b.jpg)
早川。
■おまけ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4a/aac9427c049301dc927790625855d726.jpg)
国道1号線を抜けると細い道になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a8/831ce2053133b8351fea5fa49dfceb4c.jpg)
街道沿いのお宅の見事なしだれ梅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/03/824e2a8b447be9943363fea121f9bafb.jpg)
長興山紹太寺。江戸時代・寛文9年(1669)、小田原藩主稲葉正則が父母と祖母の春日局の霊を弔うために建てた寺で、稲葉一族や春日局の墓・供養塔、開山の鉄牛和尚の寿塔、樹齢約340年といわれるしだれ桜がある。興味深かったが時間がなかったので通過。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/65/c6eaf0ceec0aa0ab0f9ab8d3dc334432.jpg)
風祭の一里塚。江戸日本橋から21番目の一里塚の跡。塚は残っておらず、一里塚の説明板が置かれ、道祖神が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a5/6bd5b2cff9e0f42d76fb8a98c2772d05.jpg)
箱根湯本の温泉街。解散地の箱根湯本駅へはもう少し。
■松永記念館
小田原市郷土文化館の分館。
もとは、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた実業家で、近代茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が昭和21年(1946)に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年(1959)に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設で、昭和54年(1979)の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付され、昭和55年に現在の形になった。
松永安左ヱ門の書やゆかりの品々を展示。
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庭園。耳庵の好みによるもので形式にとらわれず自然の趣を基調にしている。所々に奈良・平安時代の石造物が点在し、国土交通省「日本の歴史公園100選」にも選ばれている。
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葉雨庵。国登録文化財。中外商業新報(現在の日本経済新聞社)社長、三越百貨店社長、鐘紡重役などを歴任した野崎廣太(幻庵)が大正13年(1924)、小田原市内の別荘に建てた茶室を昭和61年(1986)に移築。
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老欅荘。国登録文化財。昭和21年(1946)に建てられた松永安左ヱ門の晩年の自宅。ここで政財界の重鎮を招いた茶会や小田原やその周辺の人を招いた茶会が開かれた。建物の名は登り口にそびえるケヤキの大木から由来。
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老欅荘の名前の由来となったケヤキの大木。
■秋葉山量学院
慶長元年(1596)に小田原城主大久保忠世が信仰していた遠州の秋葉山大権現を勧請。 毎年12月に行われる火防祭では、諸儀式の後、燠火の上を素足のままで渡る「火渡り」が行われる。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/415ab0a8e342d6670a315f456b0a211a.jpg)
■板橋地蔵尊
弘法大師が北国に向かう途中に彫り上げ、湯本に祀ったと伝えられるもので、戦国時代・永禄12年(1569)に香林寺九世の文察和尚が現在の板橋に移した。
「板橋のお地蔵さん」と呼ばれ親しまれ、1月と8月の板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、参拝客で大変賑わう。
また、この日に詣でると、亡くなった身内の人と瓜二つの顔の人に会えると言われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/8b/b9804d3e275f2e88f8280a2a77046f65.jpg)
■小田原用水取入口
箱根芦ノ湖を源とする早川の水をこの地で取り入れ、旧東海道に沿って城下の中心へと流した上水道で、後北条時代中期に造られたもの。形態は変わったが現在も用水路として残る。
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早川。
■おまけ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/4a/aac9427c049301dc927790625855d726.jpg)
国道1号線を抜けると細い道になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/a8/831ce2053133b8351fea5fa49dfceb4c.jpg)
街道沿いのお宅の見事なしだれ梅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/03/824e2a8b447be9943363fea121f9bafb.jpg)
長興山紹太寺。江戸時代・寛文9年(1669)、小田原藩主稲葉正則が父母と祖母の春日局の霊を弔うために建てた寺で、稲葉一族や春日局の墓・供養塔、開山の鉄牛和尚の寿塔、樹齢約340年といわれるしだれ桜がある。興味深かったが時間がなかったので通過。
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風祭の一里塚。江戸日本橋から21番目の一里塚の跡。塚は残っておらず、一里塚の説明板が置かれ、道祖神が祀られている。
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箱根湯本の温泉街。解散地の箱根湯本駅へはもう少し。