生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年2月20日 三浦半島散歩イベント参加(その1)

2010年02月28日 | 都外散歩
この日は仲間内の三浦半島散歩イベントに参加した。
参加人数は10名程度。このところ自分でイベントを主催してばかりなので、一参加者としてイベントに参加するのは久しぶり。参加者の身分は実に気楽だ。

■コース 
京浜急行・三崎口駅→(バスで移動)→三崎下町(本端寺、光念寺、海南神社、三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」)→城ヶ島渡船「白秋」→北原白秋記念館・記念碑→城ヶ島県立公園(第1展望台、第2展望台、水仙ロード)→安房崎灯台→馬の背洞門(めがね岩)、城ヶ島灯台→(バスで移動)→京浜急行・三崎口駅


■本端寺
応永元年(1394)創建の曹洞宗の寺院。元々三浦氏が鎌倉に創建したものをここに移転したと言われる。鎌倉将軍頼朝が三浦半島に設けた3つの御所(桜、桃、椿)のうちの一つ、桜の御所があった場所。


本堂。


境内の梅。


境内の桜。


■光念寺
建久5年(1194)創建の浄土宗の寺院で、鎌倉幕府初代の侍所の別当だった和田義盛の開基と伝えられる。


本堂。元文5年(1740)建立。あいにく工事中だった。


山門前からの眺め。手前が三崎下町の家並み、奥は城ヶ島大橋と城ヶ島。


■海南神社
御祭神は藤原資盈(すけみつ)と盈渡姫(みつわたりひめ)。資盈は藤原鎌足の後裔で、太宰府の少弐広嗣の孫にあたる人物。伴大納言善男の讒言に遭い、一族郎党を連れて船で逃れたが途中暴風に遭い、貞観六年(864)に三浦に漂流した。その後房州の海賊を平定するなど、領民のために尽くしたため、死後神として祀られた。


本殿。


頼朝手植えと伝えられる銀杏の木。樹齢約8百年。


■三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」
平成13年にオープンした産直センターで、前三崎魚市場の跡地に建設。マグロをはじめとする海産物や農産物、お土産品を販売。


建物。


建物内。


入り口でイカを干していた。


二階より三浦港を眺める。


■おまけ


三崎下町の寺社巡りをしているときに目にした古い建物。


木造家屋。


江戸時代の蔵を利用した店舗。


昼食の「庄和丸」のマグロづけ丼。「庄和丸」はテレビ番組に出た店で、名物のマグロ漬け丼は赤身がたくさんのっていておいしかった。


2010年2月21日 池上・馬込観梅散歩イベント主催(その3)

2010年02月25日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら


■龍子記念館
大正時代から昭和40年代にかけて活躍した大田区馬込在住の日本画家、川端龍子の作品を常時展示。記念館は龍子が喜寿を記念し、自身の代表作を展示し公開するために、 昭和37年(1962)に建設。建物は龍子自身が設計したもので、タツノオトシゴの形をしている。平成3年(1991)に、大田区立の施設としてオープン。


記念館。館内は撮影禁止。


展示中の「やすらい」(昭和33年)。


■龍子公園
川端龍子の居宅跡地を区立公園としたもので、園内には旧居、画室、庭がある。建物は龍子自身が設計し、亡くなる昭和41年までここで過ごした。午前11時、午後1時、午後3時に係員の案内で見学できるが、イベント当日は時間の関係で断念。


画室。


画室の内部。外からガラス越しに見学できる。


旧居。


旧居の玄関。


旧居のうち、一部の部屋を外から見学できる。


庭。


■熊谷恒子記念館
美智子皇后陛下へのご進講を務めたことでも知られる現代女流かな書道家、熊谷恒子(1893年から1986年)の旧居を改修し、作品を展示。イベント当日は開館時間に間に合わず見学できなかった。


記念館。館内は撮影禁止。


展示中の与謝蕪村「わか水を くむや 八十八の春」(昭和55年(1980))。教養がないせいか解説がないとなんと書いてあるか分からない(苦笑)。


■大田区立郷土博物館
大田区を中心とした人文科学系の博物館で、考古、歴史、民俗資料などの文化遺産を保管、展示。入場無料だが展示内容はなかなか充実している。イベント当日の見学時間が大変短かく全ての展示室を見て回ることができなかった。


郷土博物館。


展示室。


都の無形民俗文化財に指定されている「水止舞」。古くから水害に悩まされたことから伝わる、雨を止める祈りの行事で、ほら貝を吹く龍神をこらしめ、獅子舞でしずめる。


「大森麦わら細工」。江戸時代の中頃から大森でつくられ、東海道を行き交う旅人たちに江戸土産として売られていた。展示品は麦わら細工の製造が終了する昭和20年代以前のもの。


50年ほど前の生活道具。

2010年2月21日 池上・馬込観梅散歩イベント主催(その2)

2010年02月23日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら


■本行寺
この地の領主で日蓮に深く帰依した池上宗仲の邸があった場所で、日蓮入滅の地。日蓮入滅後、宗仲が邸を寄進、本行寺となった。


本堂。


ご臨終の間。日蓮が入滅した部屋の跡に建てられたお堂。


ご臨終の間に隣接する庭園。


お会式桜。10月13日の日蓮入滅の折、庭先の桜が時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、現在も旧暦十月(今の十一月~十二月)頃には、花を咲かせる。また、お会式の時に、万灯に桜の花をかざるのは、この故事に由来。


御硯井戸。日蓮が身延から到着した翌日に、この井戸の水で墨をすり、身延での庇護者だった波木井実長に礼状を描いたと伝えられる。


■池上梅園
丘陵斜面等を利用した閑静な庭園で、四季折々の風情を楽しめる。戦前までは日本画家伊藤深水の自宅兼アトリエだった。園内には、大田区の花であるウメが約370本あり、梅を見に来る人でにぎわう。また、ツツジ約800株をはじめとする樹木や、茶室、和室の施設、水琴窟がある。
梅の開花状況は種類によってばらつきがあるが、全体では8分咲きといったところか。とてもきれいだった。翌週末となるとピークを過ぎているかもしれない。よい時期に鑑賞できたと思う。












白梅とメジロ。


聴雨庵。政治家、藤山愛一郎所有の茶室だったが、昭和58年に大田区に寄贈。


清月庵。伊東深水のアトリエを設計した数寄屋建築の設計家、川尻善治氏が自宅に建てた離れだったもの。

2010年2月21日 池上・馬込観梅散歩イベント主催(その1)

2010年02月22日 | 都内散歩イベント主催
この日は、東京都大田区の池上と馬込を散歩するイベントを開催した。参加者は管理人も含め10名で、男性が4名、女性が6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は5名。梅の時期なので、池上梅園で梅を観賞した。

【コース】
池上駅→本門寺→本行寺→池上梅園→龍子記念館→熊谷恒子記念館→郷土博物館→西馬込駅


(写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示。梅の写真以外のほとんどの写真は下見時に撮影)


■本門寺
日蓮宗の大本山の一つ。日蓮が病気療養のため身延山から常陸国に向かう途中の弘安5年(1282)にこの地の領主で日蓮に深く帰依した池上宗仲の邸で入滅、宗仲が邸地を寄進して建立されたと伝えられる。


総門。江戸時代・元禄年間(1688-1704)に建てられたけやき造の門。歌川広重の浮世絵にも描かれた。総門の扁額は安土・桃山時代と江戸時代初期に活躍した名筆家の本阿弥光悦の書を彫刻したもの。本物は非公開。門にあるのは複製。


此経難持坂。桃山時代・慶長年間(1596-1615)に戦国武将の加藤清正が寄進した九十六段の石段。「法華経」宝塔品の偈文九十六文字にちなんで石段を九十六段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名とした。


日蓮像。昭和58年(1983)に奉納された像で、街頭で説法する日蓮の姿を表す。作者は、長崎市の平和公園内の「平和祈念像」の作者北村西望。


仁王門(三門)。昭和52年(1977)再建の鉄筋コンクリート造の門。旧三門は、慶長13年(1608)に徳川2代将軍秀忠が建立したもので旧国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)の空襲で焼失。


大堂。昭和39年(1964)再建の鉄筋コンクリート造のお堂。旧大堂は、昭和20年の空襲で焼失。外陣の天井画は大正時代から昭和40年代にかけて活躍した大田区馬込在住の日本画家、川端龍子に委嘱したが完成前に死去、奥村土牛が完成させた。


本殿。昭和20年の空襲で焼失した釈迦堂を昭和44年(1969)に再建。釈迦牟尼仏坐像と、四大菩薩立像を祀る。


御廟所。中央に日蓮の灰骨を収めた墓塔、向かって左には第2世日朗の墓塔、右には第3世日輪の墓塔が安置されている。


宝塔。文政11年(1828)建立。日蓮聖人五百五十遠忌を記念し、日蓮を荼毘に付した跡地に立てられた塔。明治以前に建立された屋外にある木造宝塔として非常に珍しい。現在修復工事中で塔の一部が白いカバーで覆われている。



狩野探幽墓。江戸時代・延宝2年(1674)。狩野深幽は父の孝信と共に慶長19年(1614)江戸へ下向、鍛冶橋狩野の初代となる。幕府の御用絵師として活躍し、狩野派中興の祖と称せられる。墓は珍しい瓢箪形で、墨壷をかたどったという。傍らに、顕彰供養碑には、探幽の事績が刻まれる。


五重塔。重要文化財。慶長13年(1608)建立。徳川2代将軍秀忠の乳母、正心院が秀忠の病気平癒を発願し、快癒したお礼に建立。関東では最古の五重塔で、高さ29メートル。


力道山の墓。相撲界から転向した、戦後に大変人気のあったプロレスラー。昭和38年(1963)に暴力団に刺された傷が元で死去。享年39歳。


松涛園。朗峰会館の裏にある、江戸時代初期の茶人・造園家の小堀遠州による池泉回遊式庭園。庭園は非公開だが、本門寺クイズラリーに全問正解すると見学できる。あまり知られていないせいか、庭園は当イベント参加者で貸し切り状態だった。当日初めて知ったが、クイズラリーによる見学は今年の3月末で終了し、それ以降は一般公開するとのこと。






茶室「浄庵」。


明治美術界の重鎮、橋本雅邦の筆塚。


西郷隆盛と勝海舟会見の碑。東京都史跡。慶応4年(1868)に西郷隆盛と勝海舟がこの庭のあづまやで江戸城明け渡しに関する会見をしたと伝えられる。本門寺は当時新政府軍の本陣が置かれた場所だった。


茶室「根庵」。


池のほとりにあったたぬきの石像。

2010年2月7日 葛西散歩イベント主催(その3)

2010年02月10日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら

■新左近川親水公園
新長島川親水公園の南側に隣接した、広い水面を持つ江戸川区では4番目の親水公園。区内初のボート場を始め、デイキャンプができる芝生広場など、家族で楽しめる施設がある。




■新長島川親水公園
水の階段や噴水広場のある、ゆったりとした区内3番目の親水公園。白と黄色のスイセン約4万2千株が川岸の斜面に植えられている。




こちらの水仙は雪害に遭わなかったらしく元気に咲いていた。


■葛西親水四季の道
江戸川と中川を結ぶ水上交通路として栄えた「長島川」を水と緑と彫刻のある“四季の道”に整備。葛西地域を東西に流れる沿川を各地区の特性にあわせ、街並に溶け込む整備を実施。遊戯施設のある子ども広場が4ヶ所あり、ユニークな彫刻も各所に点在している。




■地下鉄博物館
地下鉄の歴史や技術等の資料の展示の他、実物車両や地下鉄ジオラマ、地下鉄シミュレータがあり地下鉄について楽しく学べる博物館。




切符そっくりの入場券を自動改札に通して入場。


丸の内線301号車。


銀座線1001号車。


日本最初の地下鉄・銀座線開業時のポスター。


地下鉄ジオラマ。


地下鉄運転シミュレータ。有楽町線の月島~豊洲間を運転にチャレンジしたが、駅構内で電車を止められずオーバーランした。運転はとても難しい。毎日正確な時間に地下鉄を運行させている運転士はすごいと思う。


館内にあるプリクラの機のフレームのサンプル。地下鉄博物館らしいフレーム。


■今日の顔ハメ看板


東京メトロの駅員。


東京メトロの前身、営団地下鉄の駅員。営団地下鉄の正式名称は「帝都高速度交通営団」。「帝都」がかっこいい(笑)。


■おまけ


集合場所の葛西臨海公園駅から見えた富士山。イベント当日は大変風が強く空気が澄んでいたせいかくっきりと見えた。


鳥類園の入り口付近にあった看板。「いまどきアベックはないだろ~(笑)!」と皆で総ツッコミ。