この日は仲間内の三浦半島散歩イベントに参加した。
参加人数は10名程度。このところ自分でイベントを主催してばかりなので、一参加者としてイベントに参加するのは久しぶり。参加者の身分は実に気楽だ。
■コース
京浜急行・三崎口駅→(バスで移動)→三崎下町(本端寺、光念寺、海南神社、三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」)→城ヶ島渡船「白秋」→北原白秋記念館・記念碑→城ヶ島県立公園(第1展望台、第2展望台、水仙ロード)→安房崎灯台→馬の背洞門(めがね岩)、城ヶ島灯台→(バスで移動)→京浜急行・三崎口駅
■本端寺
応永元年(1394)創建の曹洞宗の寺院。元々三浦氏が鎌倉に創建したものをここに移転したと言われる。鎌倉将軍頼朝が三浦半島に設けた3つの御所(桜、桃、椿)のうちの一つ、桜の御所があった場所。
本堂。
境内の梅。
境内の桜。
■光念寺
建久5年(1194)創建の浄土宗の寺院で、鎌倉幕府初代の侍所の別当だった和田義盛の開基と伝えられる。
本堂。元文5年(1740)建立。あいにく工事中だった。
山門前からの眺め。手前が三崎下町の家並み、奥は城ヶ島大橋と城ヶ島。
■海南神社
御祭神は藤原資盈(すけみつ)と盈渡姫(みつわたりひめ)。資盈は藤原鎌足の後裔で、太宰府の少弐広嗣の孫にあたる人物。伴大納言善男の讒言に遭い、一族郎党を連れて船で逃れたが途中暴風に遭い、貞観六年(864)に三浦に漂流した。その後房州の海賊を平定するなど、領民のために尽くしたため、死後神として祀られた。
本殿。
頼朝手植えと伝えられる銀杏の木。樹齢約8百年。
■三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」
平成13年にオープンした産直センターで、前三崎魚市場の跡地に建設。マグロをはじめとする海産物や農産物、お土産品を販売。
建物。
建物内。
入り口でイカを干していた。
二階より三浦港を眺める。
■おまけ
三崎下町の寺社巡りをしているときに目にした古い建物。
木造家屋。
江戸時代の蔵を利用した店舗。
昼食の「庄和丸」のマグロづけ丼。「庄和丸」はテレビ番組に出た店で、名物のマグロ漬け丼は赤身がたくさんのっていておいしかった。
参加人数は10名程度。このところ自分でイベントを主催してばかりなので、一参加者としてイベントに参加するのは久しぶり。参加者の身分は実に気楽だ。
■コース
京浜急行・三崎口駅→(バスで移動)→三崎下町(本端寺、光念寺、海南神社、三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」)→城ヶ島渡船「白秋」→北原白秋記念館・記念碑→城ヶ島県立公園(第1展望台、第2展望台、水仙ロード)→安房崎灯台→馬の背洞門(めがね岩)、城ヶ島灯台→(バスで移動)→京浜急行・三崎口駅
■本端寺
応永元年(1394)創建の曹洞宗の寺院。元々三浦氏が鎌倉に創建したものをここに移転したと言われる。鎌倉将軍頼朝が三浦半島に設けた3つの御所(桜、桃、椿)のうちの一つ、桜の御所があった場所。
本堂。
境内の梅。
境内の桜。
■光念寺
建久5年(1194)創建の浄土宗の寺院で、鎌倉幕府初代の侍所の別当だった和田義盛の開基と伝えられる。
本堂。元文5年(1740)建立。あいにく工事中だった。
山門前からの眺め。手前が三崎下町の家並み、奥は城ヶ島大橋と城ヶ島。
■海南神社
御祭神は藤原資盈(すけみつ)と盈渡姫(みつわたりひめ)。資盈は藤原鎌足の後裔で、太宰府の少弐広嗣の孫にあたる人物。伴大納言善男の讒言に遭い、一族郎党を連れて船で逃れたが途中暴風に遭い、貞観六年(864)に三浦に漂流した。その後房州の海賊を平定するなど、領民のために尽くしたため、死後神として祀られた。
本殿。
頼朝手植えと伝えられる銀杏の木。樹齢約8百年。
■三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり」
平成13年にオープンした産直センターで、前三崎魚市場の跡地に建設。マグロをはじめとする海産物や農産物、お土産品を販売。
建物。
建物内。
入り口でイカを干していた。
二階より三浦港を眺める。
■おまけ
三崎下町の寺社巡りをしているときに目にした古い建物。
木造家屋。
江戸時代の蔵を利用した店舗。
昼食の「庄和丸」のマグロづけ丼。「庄和丸」はテレビ番組に出た店で、名物のマグロ漬け丼は赤身がたくさんのっていておいしかった。