生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2007年12月23日 都電荒川線沿線散歩2

2007年12月26日 | 都内散歩
前日の続き。

■雑司が谷墓地

雑司が谷霊園は都立の霊園で、夏目漱石や小泉八雲、泉鏡花、永井荷風などの文豪の墓が多いことで有名。


背後の2棟のビルはサンシャイン60(向かって左)とエアライズタワー(向かって右)。


夏目漱石の墓。


永井荷風の墓。


■都電もなか

サンシャイン60の近くで都電に乗車し、梶原駅で下車。目的は都電の車両をかたどった「都電もなか」の購入。パッケージは都電のミニチュアのようなデザインで5種類の中から選べるというこだわり。一両購入。


都電荒川線。サンシャイン60付近にて。


都電もなか。今年導入されたレトロ車両のパッケージ。


帰宅後開封したもなか。長時間バッグの中に入れっぱなしだったため都電の車両が廃車寸前に(涙)。味は適度なあまさでおいしい。おみやげにどうぞ。


■都電おもいで広場

都電の荒川車庫の隣にある都電おもいで広場には、都電の旧型車両2両が展示されている。


5500形(5501号車)。通称PCCカー。昭和29年製造の車両で、アメリカの最新の技術を導入して造られた。


旧7500形(7504号車)。都電としては珍しい2つ目のライトが特徴。引退前の数年間は主に朝ラッシュ時の通学輸送に活躍、「学園号」の愛称で親しまれた。


荒川車庫。時おり車両が出入りする。


都電とバラ。荒川車庫のそばで撮影。荒川車庫前駅から三ノ輪橋駅にかけて荒川線沿線にはバラが植えられている。12月下旬なのにまだバラの花が残っていた。


■荒川遊園

荒川遊園は珍しい区立の遊園地。元は大正11年(1922)に誕生した民間遊園地で、戦時中に閉園したが、昭和25年(1950)に区立遊園地として開園した。小さい遊園地だが入場料は大人200円、乗り物は100~200円で乗れるという安さ。遊園地にしては地味だがかえってそれがいい。


入り口。園内には観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップなどの乗り物の他、ミニ動物園や釣堀などもある。


園内。観覧車とスカイサイクルに乗った。子供のころを思い出した。


観覧車。車内からうっすらと富士山が見えた。


■たこせん


たこせん。荒川遊園の近くのたこ焼き屋「ふく扇」にて購入。たこ焼き2個にマヨネーズとソースをたっぷりかけ駄菓子のえびせんでサンド。えびせんのぱりぱりした歯ごたえとやわらかいたこやきの組み合わせが絶妙なうまさ。一つ100円。おすすめ。


店頭にあったたこのぬいぐるみ。お店のおじさんが気さくな人で、参加者が連れていた小さなお子さんにたこせんを1枚プレゼントしたり、お店の中に入れてくれてお店を訪れた芸能人のサインを見せてくれた。


■三ノ輪

終点の三ノ輪橋で下車後、三ノ輪在住の参加者が三ノ輪を案内。案内してくれた場所は商店街ジョイフル三ノ輪や「投げ込み寺」として知られる浄閑寺、江戸五色不動の一つ、目黄不動の永久寺など。残念ながら日が暮れていたのでほとんど写真が取れなかった。

案内してくれた方は主催する散歩サークルで、かつて三ノ輪からほど近いドヤ街の山谷と昔は遊郭今はソープ街の吉原のディープなスポットを巡るイベントを主催したそうだ。そのときばかりは参加者は男性ばかりだったそうだ。ぜひ参加したいと思ったが私って変かな(笑)?


荒川線の終点、三ノ輪橋駅。


三ノ輪橋駅すぐのジョイフル三ノ輪。活気のある商店街で、しかも安い。


ジョイフル三ノ輪のおいしいパン屋さん。


■おまけ


リラックマも一緒にお散歩。


「ヒフ病 おでき薬局」。皮膚病が余計悪化しそう(苦笑)。JR大森駅ホームにて撮影。


(おわり)

2007年12月23日 都電荒川線沿線散歩1

2007年12月24日 | 都内散歩
5月以来ブログの更新をサボっていたが、年を越す前にやっと更新する気になった。更新はいつまでつづくのやら。

さて、この日はとあるイベントで、唯一の都電である荒川線の沿線を散歩した。出発地の高田馬場から池袋のサンシャイン60まで名所に立ち寄りながら歩き、サンシャイン60の最寄の東池袋四丁目駅から都電に乗った。立ち寄った場所で印象的だったものを載せてみる。


■のぞき坂




豊島区高田2-17~18にあるのぞき坂は都内で最も急な坂と言われている。坂に近づいて撮影したので写真からは分かりにくいが、遠くから眺めると坂の急傾斜に驚く。この坂を毎日上り下りしていたら足腰が鍛えられそう。


■「山吹之里」の石碑


面影橋の近くにあった石碑。山吹の里は大田道灌が鷹狩りに出かけて雨に遭い、農家の娘に蓑を借りようとした時に山吹を一枝差し出されたという故事にちなむ。石碑の「山吹之里」の文字と菩薩と思われる人物の取り合わせを不思議に思ったが、そばの解説版を見ると案の定供養碑を転用したものだった。


■雑司が谷鬼子母神の参道にある建物


いわゆる看板建築?2階部分のモダンな意匠に目が止まる。


■雑司が谷鬼子母神

鬼子母神は他人の赤子を盗って喰う邪神だったが釈迦によって悔い改め安産・子育の神様になったと伝えられる。由来は、永禄4年(1561)の鬼子母神像出現に始まったと伝えられる。



鬼子母神堂。


鬼子母神堂の扁額。すっかり悔い改めたので「鬼」の字に角(上の点)がない。


境内の大いちょう。樹高30メートル、幹周8メートル、樹齢約600年。


門のざくろの浮き彫り。ざくろは鬼子母神の持物で、子孫繁栄をあらわす。


■雑司が谷のいきものたち(おまけ)


みみずく。鬼子母神の隣の公園にあったもの。鬼子母神の名物すすきみみずくから取ったと思われる。


ふくろう。鬼子母神の境内にあり。この種のふくろうの像は雑司が谷以外に池袋でも出没。


ふくろう(たぶん?)。鬼子母神の境内のベンチの両脇にあった像。顔がコワい。


(続く)