生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年12月26日 高輪・白金・恵比寿散歩イベント主催(その4)

2010年12月29日 | 都内散歩イベント主催
(その3はこちら


■東京都庭園美術館(続き)








朝香宮夫妻が帰国時に持ち帰ったロイヤル・コペンハーゲン陶磁器工房のペンギン。


庭園。日本庭園、西洋庭園、野外彫刻が設置された芝生広場がある。




■恵比寿ガーデンプレイス
平成6年(1994)、サッポロビール株式会社の恵比寿工場跡地に開業したホテル、デパート、レストラン、映画館等を配した複合施設。


ヱビスビール記念館。ヱビスビールの歴史を資料や映像で紹介するヱビスギャラリーやミュージアムショップ、有料の試飲付きガイドツアーのヱビスツアーや有料で試飲できるテイスティングサロンがある。








明治23年(1890)発売のヱビスビール。




38階から眺める夜景。




バカラのシャンデリア。




2010年12月26日 高輪・白金・恵比寿散歩イベント主催(その3)

2010年12月29日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら


■東京都庭園美術館
昭和58年(1985)に旧朝香宮邸を美術館として公開。美術作品だけでなく建物、庭園も楽しめる。

昭和8年(1933)竣工。東京都有形文化財。1910年~30年にヨーロッパで全盛を極めたアール・デコ様式が採用された建物。一部内装の基本設計をフランス人装飾美術家のアンリ・ラパンが、実施設計を宮内省内匠寮(たくみりょう)が担当した。正面玄関のガラスレリーフや大広間、大食堂のシャンデリアは装飾工芸家ルネ・ラリックによるもの。
昭和58年に美術館として一般公開されるまで、外務大臣・首相公邸、国の迎賓館などに使用された。






正面玄関のルネ・ラリックのガラスレリーフ。


大広間と大客室をつなぐ次室。中央は「香水塔」と呼ばれるオブジェ。アンリ・ラパンがデザイン、国立セーヴル製陶所が製作、フランス海軍から朝香宮家に寄贈された。名前は、朝香宮家で客を迎える際に、上部の照明内部に香水を入れ照明の熱で香りを漂わせたことから由来。


大広間。


大客間。


ルネ・ラリックのシャンデリア。








大食堂。


ルネ・ラリックのシャンデリア。








その3に続く。

2010年12月26日 高輪・白金・恵比寿散歩イベント主催(その2)

2010年12月28日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら


■明治学院
「ヘボン式ローマ字」などで有名なアメリカ人宣教医J.C.ヘボンが江戸時代・文久3年(1863)に設立した英学塾「ヘボン塾」が元となり、明治19年(1886)に設立。翌年に現在地に校舎が竣工。校内には国重要文化財の木造建築インブリー館を初めとする3棟歴史的建造物が残る。


チャペル。大正5年(1916)竣工。W.M.ヴォーリズ設計の英国ゴシック様式。




記念館。明治23年(1890)竣工。神学部の校舎と図書館として使用されたネオ・ゴシック様式の建築。第一回卒業生・島崎藤村の小説「桜の実の熟する時」に登場。




インブリー館。国重要文化財。明治22年(1889)竣工。教員用宿舎として使用されたアーリー・アメリカン様式の木造建築。


創立者のJ.C.ヘボンの像。


■近代医科学記念館
東京大学医科学研究所構内にある記念館。前身の明治25年(1892)設立の伝染病研究所から現在に至るまでの歴史と難病との闘いに関する資料の展示や、現在の医科学研究や先端医療開発をパネルやデジタル映像等で紹介。建物は旧伝染病研究所時代に免疫を作るための馬を飼っていた厩舎を模したもの。








■国立科学博物館附属自然教育園
国の天然記念物および史跡。「都会の中のオアシス」とも言える緑地で、今なお武蔵野の面影を偲ぶことができる。約20万平米の園内はコナラ・ケヤキなどの落葉樹やシイ・マツなどの常緑樹に広く覆われ、湿地や池、小川などが保たれ、都内では少なくなったホタル、トンボ、メダカ等が生息する。
室町時代には豪族の館として、江戸時代には高松藩主松平讃岐守の下屋敷として、明治時代には海軍、陸軍の火薬庫として使用され、大正6年(1917)に白金御料地となり、昭和24年(1949)に自然教育園として一般公開された。


路傍植物園。フクジュソウやニリンソウ、ヤマブキソウ等日なたや日陰に生える野草類を観察できる。


シイの巨木。


物語の松。江戸時代の松平讃岐守の下屋敷の名残と考えられている松。


ひょうたん池。ひょうたんの形をした池で、江戸時代の下屋敷内にあった庭園の池と考えられている。


水生植物園。ハンノキ、カキツバタ、ヨシなど池や湿地に生育する植物を観察できる。


水生植物園。


小川と湿地。




武蔵野植物園。武蔵野の雑木林に生育するカタクリ、ユキワリイチゲ、ヤマユリ等の野草が観察できる。


おろちの松。物語の松と同様、江戸時代の下屋敷の名残と考えられている松。樹齢は約300年。


館跡。室町時代にこの地方にいた豪族の館の一部である土塁が残る。館の主は不明だが、この地の地名の由来となった「白金長者」と呼ばれた豪族とも考えられている。土塁は外敵や野火を防ぐために築かれた。


2010年12月26日 高輪・白金・恵比寿散歩イベント主催(その1)

2010年12月27日 | 都内散歩イベント主催
今年最後の主催イベントでは東京都港区の高輪・白金、渋谷区の恵比寿を歩いた。参加者は管理人も含め10名で、内訳は男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は2名。

この日は天気に恵まれたが、日が落ちてからはとても寒かった。
午前中予定よりも時間に余裕が出来たので、コースになかった泉岳寺を訪れた。赤穂浪士の墓には数多くの線香が供えられていた。時代は変わっても忠臣蔵は人の心を打つものがあるのだろう。
自然教育園は緑が豊かだった。都心に残る貴重な自然が今後もずっと残ってほしいものだ。

庭園美術館の建物公開を見学するのは個人的には2回目だったがすばらしい建物だった。今回の公開では、二階のほとんどの部屋に展示物があり写真撮影できなかったのが惜しかったが、建物が建てられた背景がよく分かり勉強になった。
ガーデンプレイスでは、バカラのシャンデリアやイルミネーションがとてもきれいだった。

今年は月2回のペースでイベントを開催できたので自分としては満足している。来年もこの調子でありたい。


【コース】
品川駅→品川駅創業記念碑→グランドプリンスホテル高輪貴賓館→東禅寺→高輪消防署二本榎出張所→高輪台小学校→泉岳寺→明治学院→近代医科学記念館→国立科学博物館附属自然教育園→東京都庭園美術館→恵比寿ガーデンプレイス→恵比寿駅解散


(庭園美術館の建物の写真は当日に、それ以外の写真のほとんどは下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■品川駅創業記念碑
日本で最初の鉄道は、明治5年(1872)9月の新橋~横浜間の鉄道だが、それに先立つ5月、品川~横浜間が仮開業した。
記念碑の裏面には開業当時の時刻表と運賃が書かれている。当時の品川駅は、現在より少し南寄りで、駅舎は海岸にあり、岩床に打ち砕ける海水の飛沫で、客車の窓は全部閉めねばならなかったといわれる。




記念碑の裏面には仮開業当時の時刻表と運賃が記載されている。品川~横浜間の列車は上り下り共に1日2本で、所要時間は35分


■グランドプリンスホテル高輪貴賓館
明治43年(1910)竣工。昭和天皇の従弟にあたる竹田宮恒徳王の邸宅として建てられた。戦後、商工大臣公邸、通商産業大臣公邸を経て、昭和28年(1953)よりグランドプリンスホテル高輪の所有となった。現在は結婚式や宴会場として使用されている。







■東禅寺
臨済宗の寺院。江戸時代・安政5年(1858)の日英通商条約締結により、翌年6年よりイギリスの初代公使のオールコックらが駐在し、最初のイギリス公使宿館となった。何度か攘夷派浪士の襲撃にあったが、明治6年(1873)頃まで使用された。奥書院と玄関は当時のままの姿を残す。








■高輪消防署二本榎出張所
都選定歴史的建造物。昭和8年(1933)竣工。第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現主義」を採用した建物で、都内の消防署で唯一望楼が残されている。新築当時は周囲に高い建物がなく東京湾を眼下に眺望できたことから、「岸壁上の灯台」、「海原を行く軍艦」と呼ばれた。






三階のホール。消防用具が展示されている。




■高輪台小学校
都選定歴史的建造物。昭和10年(1935)竣工。関東大震災ののちに建築された復興小学校の最後期の校舎。ガラス面を多くとった階段室や教室は直線的なデザインで構成され、戦後の小学校建築のデザインに大きな影響を与えた。




■泉岳寺
播州赤穂の城主浅野家の菩提寺。曹洞宗の寺院で、慶長17年(1612)に外神田に創建したが、寛永18年(1641)の寛永の大火で焼失、現在地に移転。忠臣蔵ゆかりの寺で、浅野家代々の墓と主君のあだ討ちを果たした大石良雄以下46人の赤穂義士の墓や赤穂義士が吉良上野介の首を洗った首洗い井戸などがある。


山門。


本堂。


大石内蔵助像。


吉良上野介の首を洗ったと伝えられる井戸。


浅野内匠頭の墓。


大石内蔵助の墓。


2010年12月12日 東海道散歩7(藤沢宿)イベント主催(その2)

2010年12月17日 | 東海道徒歩の旅
(その1はこちら


■養命寺
16世紀末創建と伝わる曹洞宗の寺院。




薬師如来坐像。国の重要文化財。建久8年(1197)の銘が像内から見つかっている。作者は当代を代表する仏師であった運慶の一門と推定されている。像は12年に一度寅年に公開される。


■おしゃれ地蔵
「女性の願いならなんでも叶える」との言い伝えがあり、願いが叶ったら顔に白粉を塗って御礼するのが習わしで、お化粧をしたようにみえるため、いつしか「おしゃれ地蔵」と呼ばれるようになった。


どうみてもお化粧したように見えない・・・


■耕余塾跡
明治5年(1872)、この地の名主だった三觜八郎右衛門が子供たちの教育のために開設した塾。
当時は「読書院」と命名された。明治11年(1878)に「耕余塾」と改称され中等教育まで行ったが、明治38年(1905)に閉塾した。ここからは、政・財界で活躍した多くの人材が輩出された。首相となった吉田茂もここで学んだ一人。




■四谷不動・大山の鳥居
延宝4年(1676)、大山道と東海道が交差する四谷辻に建てられた道標。大山不動尊の下正面に「大山道」、両脇に「これより大山みち」と刻まれている。不動堂の右手の大山の鳥居は大山への参詣者が通った大山道の入り口で、昭和34年(1959)に再建されたもの。
このあたりには立場(宿場と宿場の間にある村(間(あい)の村)の中で、人や馬が休憩する場所)があり、大山への参詣者で賑わった。藤沢宿と平塚宿の間には、ここ四谷の他、牡丹餅、南湖、八幡の3箇所に立場があった。


道標。


大山の鳥居。


■一里塚跡
江戸から13番目の一里塚があった場所。一里塚は、江戸時代に主要な街道で、日本橋を基点として1里(約4キロメートル)ごとに設置された塚で、旅人の里程標や人馬賃銭の目安とされた。塚には目印として榎や松などが植えられた。




■上正寺
浄土真宗の寺院。






聖徳太子立像。聖徳太子自らが刻んだと伝えられるが室町時代の作と考えられている。像は聖徳太子が2歳のとき、東方に向かって「南無仏」ととなえ合掌すると手の中から舎利が出たという伝説を表している。


旧寛永寺石灯籠。川将軍家の菩提寺であった寛永寺に納められていたもので、延宝9年(1681)に四代将軍徳川家綱の墓前に対馬守安藤重治が奉納した。


■牡丹餅立場跡
牡丹餅が名物だった立場。牡丹餅立場には、紀州徳川家が江戸屋敷と国元を結んだ専用の飛脚中継所である「七里役所」が設けられた。


牡丹餅立場の説明板。


江戸時代の地図に描かれた牡丹餅立場。


茅ヶ崎市内には松並木が何箇所かに残る。


■茅ヶ崎一里塚
江戸日本橋から14里目の一里塚。一里塚は街道の両側に設置されたが、ここには片側のみ残る。




■南湖の左富士
通常東海道の右側に見える富士山が左側に見える場所で、静岡県の吉原と並び有名な場所。歌川広重が描いた「南湖の松原左り不二」の舞台となった場所で、記念碑が建つ。


記念碑と説明板。


イベント当日の左富士は輪郭がうっすらと見えた程度。


■鶴嶺神社
長元3年(1030)、源頼義が下総の乱の鎮定のためこの地に至った際、石清水八幡宮を 勧請して戦勝祈願をしたことから始まる。
約760メートルの参道の松並木は、江戸時代初期、常光院の僧「朝恵」が荒廃した鶴嶺神社の再興に尽力し、徳川3代将軍家光から朱印地を与えられたのを記念して植樹したもの。
境内の大イチョウは、源義家が戦勝祈願のために自ら植えたという伝説がある大木で、県天然記念物、かながわの名木100選。




■旧相模川橋脚
国の史跡。大正12年(1923)の関東大震災とその翌年の地震に伴う液状化現象によって、 突然水田の中から出現した橋脚の跡。
この橋は建久9年(1198)に、源頼朝の重臣稲毛重成が亡妻供養のために相模川に架けた橋と言われている。この橋の竣工式に出席した源頼朝が帰り道に落馬し、その怪我がもとで亡くなったとの伝説がある。
橋脚は池の中に保存されていたが、水上に露出した部分の腐食が進んだため、平成13年(2001)から平成19年(2007)にかけ保存事業を実施、橋脚は池の中の保護スペースで保管されている。


インスタレーションに見えるがれっきとした国の史跡。


出現時の様子。


大正15年(1926)10月に国史跡の指定を受けるまでの仮指定時の様子。


■馬入川
相模川の河口近くの下流。相模川は山梨県・山中湖を水源とした全長113キロメートルの川。名前の由来は建久9年(1198)の相模川に架けた橋の竣工式の日に頼朝が乗った馬が川の中を暴れ入ったことから。明治42年(1909)に橋が架けられるまで渡し舟で川を渡った。




■馬入一里塚跡
江戸から15番目の一里塚があった場所。




■おまけ


茅ヶ崎市内のマンホールのふた。相模湾と烏帽子岩が描かれている。


平塚市内のマンホールのふた。有名な七夕祭りの様子が描かれている。