生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2009年9月23日 池袋演芸場にて寄席デビュー

2009年09月24日 | その他
・・・といっても私が高座で噺をしたわけではないが。

実は、このブログの趣旨から大幅に外れるが、落語鑑賞も趣味だったりする。
落語に興味を持ったのは半年ぐらい前で、ここ3,4ヶ月前から本格的に?落語CDを聴く様になった。
毎日の通勤のお供、ipodの中身の8割方はもちろん落語。
落語のうち6割強が昭和の名人、五代目古今亭志ん生、3割強が同じく昭和の名人、六代目三遊亭圓生。志ん生が一番好きな噺家で、次が圓生。


前々から寄席に興味があったが一人で足を踏み入れるのには勇気がなく行きそびれていたところ、散歩イベントで知り合った人からお誘いを受け、3人で池袋演芸場に寄席を見に行った。
池袋演芸場は近代的な建物で、客席は椅子席なので楽に鑑賞できた。広くはないが、その分高座が近く、噺家の表情が間近で見えるのがよい。

この日は8人の噺家の落語が楽しめた。色物は手品と津軽三味線。
噺は古典落語がほとんどで笑いどころの多い噺が多く、私好みの内容だ。
特によかったのは、柳家一九の「そば清」、初音家左橋の「七段目」。
二人とも噺が安定がしていて余裕がある感じがした。


そば清は、そばの大食いで有名な通称「そば清」という男が主人公。ある時、そば清は自分の限界を超えた量のそばを食べ尽くす賭けを持ちかけられるが、自分の限界を知るそば清は賭けを断る。その後彼は信州で、あるものを発見、「これがあれば賭けに勝てる」と確信、賭けに挑むというもの(サゲは内緒)。

寄席に行く時にipodで聴いた噺が、志ん生の「そば清」だったので偶然の一致にびっくり。志ん生びいきとしてはやはり志ん生に軍配をあげるが、こちらもなかなかよかった。


七段目は、何をやるにも芝居の真似事をしないと気がすまない、芝居狂いの若旦那が主人公。若旦那の芝居狂いぶりにあきれ果てた大旦那が若旦那を二階に追いやるが、若旦那が芝居の真似事でやかましい。大旦那が小僧の定吉に止めてくるよう命じるが、芝居好きの定吉は止めるどころか若旦那と一緒に忠臣蔵の七段目の真似を始める、というもの(その後は内緒)。

芝居の台詞が長く続く話なので、噺家としてはとても難しい噺だと思うが、芝居の真似事に夢中になる若旦那や定吉がありありと目に浮かんできてとても面白かった。


初めての寄席だったが、やはり寄席で聞く生の落語はいいものだ。また寄席に行きたい。
ipodでの落語鑑賞は場所を選ばず楽しめるのがよいが、声しか楽しめないのが残念なところだ。亡き志ん生や圓生の生の落語を聴いてみたかったなあ。


******************
【この時の番組(落語のみ)】
 初音家 左吉・・・家見舞
 隅田川 馬石・・・たぬきの恩返し
 春風亭 勢朝・・・新作落語
 天乃家 白馬・・・金明竹   
 金原亭 世之介・・・明烏
 桃月庵 白 酒・・・つる
 柳家 一九・・・そば清
 初音家 左橋・・・七段目
******************

2009年9月20日 谷中・千駄木・根津散歩

2009年09月23日 | 都内散歩
久々とある散歩イベントに参加し、谷中・千駄木・根津を散歩した。
上野公園を出発、谷中・千駄木・根津を回って上野公園に戻り、不忍池沿いを歩いて上野と御徒町の間あたりで解散という流れだった。

■上野公園
休日で混んでいたので足早に通過。


千円札でおなじみの野口英世像。


東京国立博物館の敷地内にある黒門。鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門で、現在の丸の内三丁目にあった。


旧奏楽堂。明治23(1890)年創建の日本最古の木造の洋式音楽ホール。東京芸術大学音楽学部の前身の東京音楽学校の施設だった。現在もコンサートが開催される。


京成電鉄の博物館動物園駅跡。昭和8(1933)年開業、平成9(1997)年まで営業していた。


黒田記念館。日本近代近代洋画の父、黒田清輝の作品を所蔵。


東京藝術大学の音楽学部の校門。


■谷中


旧吉田屋酒店。建物は明治43年に建てられた酒屋「吉田屋」で谷中六丁目にあったものを移築、下町風俗資料館の一施設に。


谷中岡埜栄泉。創業八十余年の和菓子屋で、豆大福がおいしいらしい。


SCAI THE BATHHOUSE。200年の歴史を持つ銭湯「柏湯」を改装したアートギャラリー。


感応寺。江戸末期の医師・儒学者で、森鴎外の小説の主人公になった渋江抽斎の墓がある。


古めかしい酒屋の軒先に釣り下がる杉玉。


全生庵。幕臣、政治家で江戸城無血開城の立役者だった山岡鉄舟が明治16(1883)年に建立。幕末から明治にかけ活躍し「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「文七元結」等の作品を生み落語界ならず演劇界にも強い影響を与えた、三遊亭円朝の墓や彼の所蔵した幽霊画コレクションが残る。
実は私は落語好きなので全生庵をとても楽しみにしていたが、人数の関係で中に入れず通りの反対側ら写真を撮って終わってしまいとても残念だった。


公民館?のような施設の前にあった櫓時計。


どこのお寺か忘れたが墓地の入り口にあったかえるの置物。


千代紙屋いせ辰。千代紙だけでなく手ぬぐいや風呂敷など和の小物も扱う。


■千駄木
台東区の谷中と文京区の千駄木の間をとおるくねくねとした「へび道」を歩く。千駄木に属する見所には立ち寄らず。


■根津
根津神社はお祭りでにぎわっていた。


根津神社。社伝によると今から千九百年余の昔に日本武尊が創祀した古社とのこと。つつじで有名。


楼門。


社殿。


根津神社の近くに残る木造家屋。


看板建築も残る。


■上野公園周辺および公園内


森鴎外居住跡地を示す看板。この看板のかかるホテル鴎外荘の中庭には森鴎外の住んだ家が残されている。


不忍池。


不忍池の弁天堂。

2009年9月11日横浜・山手西洋館巡り(その2)

2009年09月12日 | 都外散歩
その1で書けなかった、それ以外の見所について書く。


■港の見える丘公園
横浜港を見下ろせる小高い丘にある公園。開港当時はフランス軍とイギリス軍の駐屯地で、後にフランス領事館やイギリス総領事公邸(現横浜市イギリス館)が建てられた。園内には横浜市イギリス館や山手111番の西洋館の他、ローズガーデンや県立神奈川近代文学館、大佛次郎記念館がある。




公園からの眺め。中央にうっすらとベイブリッジが見える。


県立神奈川近代文学館。


大佛次郎記念館。


フランス領事館公邸遺構。


閑散としたローズガーデンにひっそり咲いていたバラ。


■岩崎ミュージアム
服飾の資料を展示する博物館。この地には明治18年(1885)に居留外国人向けの劇場「ゲーテ座」があった。




■横浜外国人墓地
開国交渉で来日したペリーの艦隊の乗組員を葬ったのが墓地の始まりで、横浜の発展に貢献した外国人をはじめ、40数ヶ国の外国人約4,500人が眠る。


墓地の門。現在の門は2代目。初代の門は山手111番館やベーリック・ホールのを設計したJ.H.モーガンによる設計。


資料館。


墓地。


■山手資料館
明治42年(1909)に本牧上台に建てられた邸宅のうち、洋館部分を移築。外国人居留地時代の歴史資料を展示。




■横浜山手聖公会
昭和6年(1931)、J.H.モーガンにより建てられる。




■山手89-6番館
かつては外国人向け住宅だったが、現在は喫茶店として営業中。




■カトリック山手教会
昭和8年(1933)、チェコ人建築家スワガーにより建てられる。




■山手公園
明治3年(1870)に居留外国人向けに開園された日本最初の洋式公園。明治11年(1878)に居留外国人による日本最初のテニスクラブが誕生、テニスコート5面が園内に設けられ、日本のテニスの発祥の地となった。


園内。


「日本庭球発祥之地」の碑。


テニス発祥記念館。山手公園やテニスの歴史資料を展示。


テニス発祥のころのテニスセット一式。


明治20年代(1890年代)のテニスをする女性の人形。この服装ではテニスをしずらそう。


山手68番館。テニスコートの受付がある。


■山手イタリア山公園
水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園。明治13年(1880)から明治19年(1886)までイタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれる。園内にはブラフ18番館と外交官の家が移築されている。




■その他


ベイブリッジが描かれたマンホールのふた。


元町公園にあった公衆電話ボックス。明治時代の公衆電話ボックスを模したもので、扉には当時の呼び名の「自働電話」と書かれている。中に入って確認しなかったが電話は現役らしい。


山手公園の猫その1。


山手公園の猫その2。

2009年9月11日横浜・山手西洋館巡り(その1)

2009年09月11日 | 都外散歩
この日は前から気になっていた横浜・山手の西洋館を見て回った。

山手は横浜開港後の外国人居留地だったが、現存している西洋館は関東大震災以後に建てられたものがほとんどだ。西洋館のうち、横浜市所有の7つの西洋館はなんと(!)全て無料で公開している。無料で見学できるのは実にありがたいが、維持費を考えると入場料を少しでも取ったほうが・・・と余所者だが余計な心配をしてしまう。


■横浜市イギリス館
ここと次の山手111番館は港の見える丘公園内にある。昭和12年(1937)に上海の大英工部総署の設計によって英国総領事公邸としてこの場所に建築。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもち、東アジアにある領事公邸の中でも、上位に格付けられていた。


外観。


ホール。現在はコンサートに使用される。


サンルーム。


寝室と休憩室。


■山手111番館
大正15年(1926)、アメリカ人建築家J.H.モーガンによってアメリカ人ラフィン氏の住宅として現在地に建築。スパニッシュ様式で赤瓦と白壁が美しい建物。


外観。


吹き抜けのあるホール。


食堂。


■山手234番館
昭和2年(1927)頃、朝香吉蔵の設計による外国人向けの共同住宅。従来は4つの同一形式の住戸が中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なっていた。1階は展示室、2階は貸し出しスペースとして使用されている。元町公園の向かい側にある。


外観。


居間。


■エリスマン邸
生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人だったエリスマン氏の邸宅として、大正15年(1926)に山手町127番地に建築。設計は、チェコ出身の建築家アントニン・レーモンド。平成2年(1990)年に元町公園内に移築。


外観。


食堂兼居間。


サンルーム。


応接室。


明治時代の電話機を模した公衆電話。実際に使えるらしい。


西洋館を使った結婚式の案内。6館で挙式可能。1館で毎月2名程度受付。費用は使用範囲により10~15万円程度。歴史ある西洋館で思い出に残る挙式をしてはいかが?(写真をクリックすると別ウィンドウに拡大写真を表示)


■ベーリック・ホール
昭和5(1930)年にイギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として現在地(元町公園内)に建築。スパニッシュ様式を基調とした建物で、現存する戦前の山手西洋館の中では最大規模。設計は山手111番館の設計者J.H.モーガン。


外観。個人的には7館の中で最も好きな建物だ。


玄関。扉の装飾が素敵。


居間。


居間の隣のパーム・ルーム。休憩室として使用されたようだ。


応接間。当初は客用寝室として作られた。クワットレフォイル(四葉形)の窓が特徴的。


子供部屋。


寝室。


■ブラフ18番館
大正末期に山手町45番地に建てられた外国人住宅で、カトリック山手教会の司祭館として平成3年(1991)まで使用されていた。平成5年にイタリア山庭園内に移築。


外観。


食堂。


居間。


■外交官の家
明治43年(1910)に、明治政府の外交官内田定槌(さだつち)氏の邸宅として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーにより東京渋谷の南平台に建てられた。平成9年(1997)に山手イタリア山庭園に移築され、同時に国の重要文化財に指定された。建物は木造2階建てで、アメリカン・ヴィクトリアン様式の影響を強く受けている。


外観。


玄関。玄関扉は内田家の家紋「丸に剣三つ柏」がデザインされている。手前の扉のアールヌーボー風のステンドグラスが華やか。


食堂。


サンルーム。


大客間。


書斎。


寝室。


寝室に隣接するサンルーム。

2009年9月10日江戸東京たてもの園訪問

2009年09月10日 | 都内散歩
およそ10年ぶりに江戸東京たてもの園に行った。
ここは小金井公園の一角にあり、江戸時代から昭和時代に建てられた27棟の歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示している。・・・と書くと堅苦しそうだが、テーマパーク風の施設で、建築の知識がなくても十分に楽しめる場所だ。


■ビジターセンター(旧光華殿)
昭和15年(1940)に皇居前広場で行われた起源600年起源式典のために仮設された式殿で、翌年に小金井公園に移築。現在はビジターセンターとして使用。



■高橋是清邸
建築年は明治35年(1902)で、港区赤坂にあった。明治から昭和初期にかけ政界で活躍した高橋是清の住まいの主屋部分。2階は是清の書斎や寝室として使われ、昭和11年(1936)の2・26事件の現場となった。



2・26事件の現場となった寝室。


庭園を一部復元。


■子宝湯
大型の唐破風や、玄関の上の七福神の彫刻、浴室の富士山の壁画が印象的な昔ながらの立派な銭湯。建築年は昭和4年(1929)、旧所在地は足立区千住元町。




七福神の彫刻。


男湯の脱衣所。こういう時でないと入る機会はないので・・・(笑)。


男湯の浴室。やはりこちらもこういう時でないと入る機会はない・・・(笑)。


番台。


■万世橋交番
明治時代後期に立てられた交番で、神田の万世橋のたもとにあった。



指名手配の掲示。

■丸二商店
昭和初期に建てられた荒物屋。建物の正面は小さい銅版を組み合わせた模様で覆われている。千代田区神田神保町にあった。



店の裏に長屋も移築。


レトロなホーロー製の看板。


■村上精華堂
建築年は昭和3年(1928)で、台東区池之端の不忍通りに面して立っていた化粧品店。建物正面はイオニア式の柱を持ち、西洋風のデザイン。



店内。


■前川國男邸
東京文化会館や東京都美術館等の公共建築で多くの作品を残した建築家前川國男の自宅。建築年は昭和17年(1942)で、品川区上大崎にあった。概観は切妻屋根の和風だが、内部は吹き抜けの居間を中心に書斎や寝室を配したシンプルな間取り。60年以上前の建物だが古臭さを微塵も感じさせない。



居間。


居間。


書斎。


■常盤台写真場
建築年は昭和12年(1937)で、当時の郊外住宅地だった板橋区常盤台に建てられた写真館。



写真スタジオ。


■三井八郎右衞門邸
港区西麻生にあった邸宅で、主屋は昭和27年(1952)、土蔵は明治7年(1974)年に建てられた。居間と食堂部分は明治30年(1897)頃京都に建てられ、戦後港区に移築された。



居間。


食堂。


戸に描かれた萩の花。


■天明家
江戸時代後期に大田区鵜ノ木に建てられた、名主役を務めた旧家の建物。







庭園。


■特別展「魅惑のカンバン・ハリガミ展」
特別展が意外におもしろかった。展示物には、江戸時代~大正時代の古めかしい看板や昭和30・40年代のホーロー製の看板の他、張り紙が描かれた明治時代の新聞小説挿絵や街中の変な看板・張り紙の写真等があった。看板はその時代の趣味が反映されているのがとても興味深かった。無料のリーフレットは内容が充実していた。