生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年6月20日 松戸散歩イベント主催(その3)

2010年06月23日 | 都外散歩イベント主催
(その2はこちら


■広徳寺
寛正3年(1462)創建の曹洞宗の寺院で、高城氏の菩提寺。高城胤忠により松戸市栗ヶ沢に創建されたが、天文6年(1537)に 高城胤吉が大谷口に小金城を築城して移ると現在地に移転。境内には、高城氏の墓所(胤忠・胤広・胤吉・ 胤辰・胤則等)とその家臣達の墓所がある。


本堂。


高城氏の墓地。


墓地からの眺め。


■大谷口歴史公園
小金城跡の一部を公園にしたもので、畝堀・障子堀・土塁などの遺構が残る。小金城は天文6年(1537)に完成した高城氏の居城で、「開花城」とも呼ばれた。広さは東西800m、南北600mで下総では大型の城であった。小金城は豊臣秀吉の関東攻めにより天正18年(1590)年に落城。公園のあたりには小金城北側の入口である金杉口があった。




金杉口。


障子堀。空堀(敵の侵入を防ぐために造られた水のない堀)の中に障子という土の壁を設置したもので、空堀の中を侵入してきた敵を壁でさえぎった。現在は障子が残っていない。


畝堀。空堀の底に畝という土を行く筋も盛り上げたものを設置した堀で、敵が畝に足を取られて移動を困難にしたところを狙い攻撃した。現在は畝が残っていない。


土塁。城を作ったときの廃土などを堀の内側に沿うようにして盛り上げつき固めたもの。敵の侵入を困難にし、味方は身を隠して敵を攻撃した。




■慶林寺
曹洞宗の寺院。戦国時代の永禄8年(1565) 高城胤辰が母の桂林尼を弔うために建立。最初は桂林寺と号したが、天正19年(1591)徳川家康から朱印地10石を寄進されたことにより、北条方であった 高城氏ゆかりの寺から脱皮し慶林寺と号した。




■根木内歴史公園
根木内城跡の一部を公園したもので、空堀や土塁、土橋などの遺構が残る。根木内城は寛正3年(1462)に高城胤忠(たねただ)によって築かれた10ヘクタールの城で、天文6年(1537)に高城胤吉が大谷口に小金城を築くまで高城家の居城となった。園内には湿地があり、自然観察ができる。


空堀。


土塁。




もち米の植えられた田と湿地。


親子による湿地でザリガニ釣りの成果。ここまで釣るとはすごい。


■おまけ


マンホールのふた(その1)。コアラは松戸と関係があるのかな?


マンホールのふた(その2)。こちらはご当地物。


コインロッカー式の野菜の無人販売。初めて見た。曲がったきゅうりが5本で100円で売っていた。自宅が近ければ間違いなく買っていた。



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2010年6月20日 松戸散歩イベント主催(その2)

2010年06月22日 | 都外散歩イベント主催
(その1はこちら


■本土寺
鎌倉時代・建治3年(1277)創建の日蓮宗の寺院。日蓮聖人によって「長谷山本土寺」と命名され、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに朗門の三長三本の本山と称される。
建治4年(1278)鋳造の梵鐘は千葉県内で二番目に古いもので、国重要文化財。
境内には、1万株のあじさい、5,000株の花菖蒲が植えられ、「松戸のあじさい寺」として親しまれる。春には100本の桜が、秋には1,000本の紅葉が境内を彩る。










































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2010年6月20日 松戸散歩イベント主催(その1)

2010年06月21日 | 都外散歩イベント主催
この日は千葉県松戸市内を散策した。この日の最大の見所は「松戸のあじさい寺」本土寺。ちょうど見頃の1万株の紫陽花と5千株の花菖蒲をゆっくり鑑賞した。

参加者は管理人も含め9名で、男性が5名、女性が4名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。

案の定職務放棄して写真撮影にいそしんだが、紫陽花と花菖蒲を堪能できたので大変満足した。本土寺に行ったのは今回で二回目だが、いずれも紫陽花の時期なので今度行くときは紅葉の時期に東漸寺とあわせて行ってみたい。


【コース】
馬橋駅→旧水戸街道→万満寺→水戸街道道標→一里塚→一月寺跡→玉屋→東漸寺→水戸街道道標→本土寺参道→本土寺→広徳寺→大谷口歴史公園→慶林寺→根木内歴史公園→JR北小金駅


(花の写真は当日に撮影。それ以外の写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■高城氏
今回の立ち寄り場所にかかわりの深い一族。千葉氏または千葉氏から分かれた原氏の一族といわれ、15世紀はじめから徐々に勢力を拡大し、戦国時代の末には小金城を起点として、松戸、市川、船橋、鎌ヶ谷、沼南、柏、我孫子などを支配し、東葛地区最大の武将となった。天正18年(1590)の豊臣秀吉による関東攻めの際に北条軍に加わっていた高城氏は没落したが、江戸時代には旗本として復興した。


■水戸街道
江戸と徳川御三家の城下町水戸を結ぶ日光街道に付随する街道で、五街道に継ぐ重要な街道であった。常陸から奥州の二十余藩の大名の参勤交代や江戸への物資輸送に利用された。距離は29里31町(116km)。
水戸街道には20宿あり、千葉県内の宿場は松戸・小金・我孫子の三宿。今回のコースでは万満寺~旧小金宿~根木内歴史公園まで旧水戸街道を通る。


■万満寺
鎌倉時代・建長8年(1256)に、小金城主の千葉頼胤(よりたね)が真言宗の大日寺を創建したのが始まり。室町時代に臨済宗に改宗、寺名を万満寺に変更。
本尊の不動明王は「中気除け不動」として知られ中気(脳卒中、くも膜下出血など脳出血による半身不随や手足の麻痺)にご利益があるとされる。
山門の仁王像は国の重要文化財。正月三が日と春と秋の大祭で行われる「仁王股くぐり」では、仁王像の両足のすきまをくぐることで無病息災を祈願する行事。
春と秋の大祭で同時に行われる「唐椀供養」では、祈祷の間に中国伝来の器で食事を頂く。徳川家康が鷹狩りの途中に立ち寄った時に差し上げたのが始まりと伝えられ、残さず食べる処に功徳があるとされる。


山門。


仁王像。両足のすきまをくぐるのは難しそう。


本堂。


■水戸街道道標
江戸時代・文化3年(1806)に建てられた道標。「左 水戸街道」「右 印西道」「総州葛飾郡馬橋村」と刻まれている。




■一里塚跡
一里塚は、江戸時代に主要な街道で、日本橋を基点として1里(約4キロメートル)ごとに設置された塚で、旅人の里程や人馬賃銭の目安とされた。一里塚跡は日本橋から6里(約24キロメートル)の地点にあり、現在榎の木が植えられている。




■小金宿
江戸から4番目の水戸街道の宿場。旅籠跡「玉屋」が往時をしのばせる。


■一月寺跡
鎌倉時代・正嘉2年(1258)創建の普化宗の寺院跡。普化宗は中国、唐代の普化禅師を宗祖とする禅宗の一派と伝えられ、坐禅の代わりに法器として尺八を吹き、禅の境地を得るという立場を取った宗派。
江戸時代に徳川幕府の保護のもとに発展し、青梅の鈴法寺、京都の明暗寺に並ぶ普化宗金先派本山として、全国に多くの末寺を持つにいたったが、明治4年(1871)の普化宗廃止により廃寺となった。


現在は他の宗派の寺院になっている。


■玉屋
旧小金宿の旅籠跡。内部は見学できない。




■東漸寺
室町時代・文明13年(1481)創建の浄土宗の寺院。松戸市内の根木内に創建されたが、天文6年(1537)に高城氏が松戸市大谷口の小金城を築城して移ると現在地に移転。江戸時代には関東十八壇林(江戸時代初期に定められた、浄土宗の僧侶養成のための修行および学問所)の一つとなった。徳川家との親交も深く、寺宝の中には「徳川家康公肖像」や「神君(家康)公御返書」、「水戸光圀公の書翰」などがある。
境内には樹齢約300年のしだれ桜があり、開花時期には参拝人や見物客で賑わう。


総門。


参道。



山門。


左側が樹齢約300年のしだれ桜。右側が樹齢400年以上の「亀の松」。


■水戸街道の道標
「右 水戸道中 左 ながれ山へ」、「右 水戸海道」と書かれた道標が2つ並んでいる。






■本土寺参道入り口
江戸時代・文化5年(1808)に建てられた石碑で、「平賀 本土寺道 是ヨリ八丁」と刻まれている。本来長谷寺本土寺の参道はこの地点から始まるが、現在は常磐線により切断されている。




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2010年6月6日 水元公園散歩イベント主催(その3)

2010年06月09日 | 都内散歩イベント主催
(その2はこちら


■バードサンクチュアリー
自然の景観に近い水辺で、3箇所に観察舎があり、水辺に集まる鳥を観察することができる。


観察舎。


観察舎ののぞき窓から見える風景。


サギが見えた。


観察舎の屋根の上にわとりがいた。自分で上ったのかな?


■水生植物園
スイレン、マコモ、ヒシ、ガマなどの22種類の水生植物が植えられている。






当日はスイセンが開花していた。


■グリーンプラザ
水元公園の自然や歴史について展示。温室や野草園を併設。




■中央広場
約10ヘクタールの芝生広場。




下見の時には広場の片隅でこいのぼりが揚げられていた。


■せせらぎ広場
人造のせせらぎが流れる広場。




■水元かわせみの里
小合溜の水質を浄化するための葛飾区の施設で、併設の水辺のふれあいルームでは、水元小合溜の歴史や動植物が展示され、自然観察ができる。






■閘門橋(こうもんばし)
明治42年(1909)に水害防止のために建造された、都内唯一のレンガ造りのア-チ橋。 






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2010年6月6日 水元公園散歩イベント主催(その2)

2010年06月08日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら


■はなしょうぶ園
都内最大規模のはなしょうぶ園で、約100品種1万4千株の花菖蒲が植えられている。花ショウブはノハナショウブを原種とし江戸時代から堀切等で積極的に品種が作られてきた花で、現在は2000種以上の品種がある。














■香取神社
江戸時代の下小合村の鎮守。6月に茅の輪くぐり神事(水元公園周辺のマコモで作った直径2メートルの茅の輪を鳥居につるし、輪をくぐって疫霊や穢れを祓う。氏子が持参した「ひとがた」を神官が拝殿に据えた炉の火でお炊き上げを行い、最後に囃子連中の先導で小合溜に灰を散布する)が行われる。




■教育資料館
建物は大正14年(1925)に建てられた水元村立水元尋常高等小学校の2教室で、都内に残る唯一の木造校舎。館内には、明治から大正時代にかけての教科書・教具、農機具などの資料約1,400点が展示されている。




大正時代の授業の様子。


寺子屋の教科書。


■ポプラ並木
欧州原産といわれる落葉高木で、北国の水分の多い肥沃な土壌を好み、北海道大学の並木で知られる。園内には200本植えられ、並木が数箇所造られている。






■メタセコイヤの森
化石が発見された後に1945年に中国で自生しているのが発見され「生きた化石」として有名になった落葉性針葉樹。園内には1800本植えられている。都内では最大規模の森。




森の中で敷物を敷いて休憩。気持ちのよい涼しさで昼寝の誘惑に駆られた・・・。



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