生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2012年4月21日 東海道徒歩の旅21(草津宿、大津宿、三条大橋)

2012年06月27日 | 東海道徒歩の旅
東海道徒歩の旅はいよいよ最終回。
この日は草津宿からゴールの京都・三条大橋まで25キロ程度歩いた。

草津宿では、国指定史跡の草津宿本陣を見学。
宿場の遺構を見ながら当時のVIPな旅人の気分がわずかながらも味わえた。

有名な瀬田の唐橋は工事中で養生シートがかけられていたのでがっかり。

大津宿に向かう途中、琵琶湖を眺めるために膳所城跡公園に寄り道。
穏やかな琵琶湖の眺めを期待していたが、湖の上を灰色の重い雲が覆い、冷たい強い風が吹きまくっていた。
風に吹き付けられ体が冷えたので早々に退散。

大津宿の途中からだらだらと逢坂の上り坂が続いた。
疲れた体にはじわじわと応えた。

逢坂を超えると下り坂になり、京都市内に入ると平坦な道になった。
京都市内の東海道の調査が不十分で、このまま楽に歩けるかとすっかり油断していたが、日ノ岡峠の険しい上り坂が登場しあせった。
峠を越えると京都市内に向かってだらだらと下り坂が続いた。
私には楽だったが京都から東海道を歩き始めた人にとっては最初から長い上り坂が続き大変だと思う。

明るいうちに三条大橋に着く予定だったが、日々仕事で追われ寝不足気味とあって途中で歩みがのろくなり、結果的に19時35分ごろに三条大橋に到着した。
明るいうちにゴールできなかったのはいささか残念だが、日本橋から三条大橋までの旅路で交通事故に遭ったり、犯罪に巻き込まれることなく無事に旅を終えたのでよかったとしよう。


2010年5月23日に自分の管理コミュのイベントとして日本橋を出発してから2年にならないうちに三条大橋にたどり着いた。
歩き始めた当初は1日で12~13キロ歩くのが手一杯だったが、歩ける距離がどんどん伸び、しまいには1日で30キロ以上歩けるようになった。
やればできるものだ。

この記事を書いている現在は、中山道を半分以上歩いている。
中山道は東海道に比べ険しい峠が多く東海道よりもはるかに厳しい道だが、東海道を歩いた経験が自信になっている。
中山道は東海道との追分のある草津が終点だが、その先も進んで明るいうちに三条大橋まで歩こうと思っている。



■写真一覧
その1
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2012年4月15日 東海道徒歩の旅20(水口宿、石部宿、草津宿)

2012年06月02日 | 東海道徒歩の旅
東海道徒歩の旅も残すところ後2日。
いままで泊りがけで旅をしていたが早くゴールに着きたくて日帰りの旅をすることにした。
たかだが20数キロ歩くために東京から新幹線に乗るなんて街道歩きに興味のない人には理解しがたいに違いない。

この日は、水口石橋駅から草津駅までの東海道を歩いた。
歩いた宿場は水口宿、石部宿、草津宿。

東京では桜がほとんど散った状態だったが、滋賀県ではちょうど桜が満開だった。
同じ年に二度満開の桜を楽しむことが出来て運がよかった。
水口城跡や旧草津川では桜がきれいだった。
菜の花もちょうど満開できれいだった。

昼間は気温が高く日差しが強かった。
横田の渡しで、自分の靴紐を踏んずけて後ろ向きに転倒し、デジカメを壊してしまった。
東海道歩きでは写真撮影も楽しみの一つなのでデジカメが壊れたのにはショックだった。
でもケガしなかっただけましかな…。

この日歩いた東海道沿いには、天井川で有名だった旧草津川と現役の天井川2箇所があったこと。
このあたりに天井川が集まっているのが不思議。

草津宿の東海道と中山道との追分にたどり着いたときには少し感動した。
この記事を書いている時点で、木曽路の木曽福島宿まで中山道を歩いている。
いつか中山道側から東海道に合流したい。



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2012年3月11日 東海道徒歩の旅19(坂下宿、土山宿、水口宿)

2012年03月24日 | 東海道徒歩の旅
二日目のこの日は、宿泊先から水口石橋駅まで歩いた。
歩いた宿場は坂下宿、土山宿、水口宿。
水口宿の散策は途中までになり、残りは次回にまわすことに。

珍しいことに東海道を歩いているとおぼしき人を数人見かけたが、鈴鹿峠では人一人みかけなかった。
鈴鹿峠は箱根峠よりずっと楽だった。
ただ、山賊にかかわる伝承が残っているのでそういう意味では難所だったと思う。
かつては木々が茂って昼間でも薄暗く山賊が出てもおかしくない雰囲気だったろうが、今は国道一号線が通り薄暗い場所はわずかに残っている程度。

薄暗い山道を抜けると三重県と滋賀県の県境の表す石碑が置かれていた。
滋賀県側は青空と茶畑が広がりのどかで開放的な雰囲気。
いよいよ関西だ・・・。
滋賀県までくればゴールの京都まで残りわずか・・・。

土山宿には古い建物が残っていて東海道の宿場の面影が感じられてよかった。

鈴鹿馬子唄の「坂は照る照る鈴鹿はくもる、あいの土山雨が降る」と違って、歩いているときはなんとか天気が持ったが、歩き終えて水口石橋駅で電車待ちの最中に激しい雨が降りだした。
雨にやられなかったので運がよかった。

ここまでくればあと2日で京都の三条大橋に行ける。
残りの宿場は石部、草津、大津と三箇所。
続きは4月下旬に。


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2012年3月10日 東海道徒歩の旅18(庄野宿、亀山宿、関宿)

2012年03月15日 | 東海道徒歩の旅
3月10日より一泊二日で東海道徒歩の旅をした。
一日目のこの日は、加佐登駅から庄野宿、亀山宿、関宿を歩き、関宿の近くで宿泊した。
天気は良かったが常に風が強く吹きつけ歩くのに難儀した。

東海道の宿場のほとんどが旧態をとどめない中、唯一歴史的な街並みの残る関宿がすばらしかった。
伝統的な町家が両側にずらっと軒を連ねている街道を歩いているときには江戸時代の宿場に迷い込んでいるような気分になった。
今まで歩いた東海道の宿場では一番良かった。
東海道を踏破していない状態で言うのはなんだが、関宿が一番よかった宿場になりそうだ。
伝統的な町家は維持に費用や手間がかかり、今の生活様式に合わず不便な部分があるだろうが、この街並みが後の世にも受け継がれることを願わずにいられない。

翌日にかつて「東の箱根、西の鈴鹿」と東海道屈指の難所として知られる鈴鹿峠越えを控える。
鈴鹿峠の標高は400メートルもなく箱根峠の半分以下なのでたぶん大丈夫だろう。


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2012年1月9日 東海道徒歩の旅17(四日市宿、石薬師宿)

2012年03月06日 | 東海道徒歩の旅
この日は近畿鉄道の富田駅からJR加佐登駅まで歩いた。
歩行距離は20キロメートル程度。
歩いた宿場は四日市宿、石薬師宿。

見どころたっぷりの前日とは違い、この日は見るところが少なく、見ても短時間だったので割りと早く加佐登駅に着いた。
四日市宿では宿場にまつわるものがほとんどなく退屈だった。
せめて説明板でだけでも・・・と思った。
石薬師宿では佐佐木信綱記念館と宿場の名の由来となった石薬師に寄り道。

冬の東海道徒歩の旅は今回で終了。
ここまでくれば京都の三条大橋へはあと4日でたどり着ける。
関宿~水口宿では27キロを越える道のりでしかも難所の鈴鹿峠越えまである。
なんとかうまく乗り切りたい。


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