生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(番外編)

2010年09月23日 | 都内散歩イベント主催
(その4はこちら

ここからは「番外編」と称し、イベントのコースに入れなかった玉の井について書き記す。

玉の井は東向島駅から徒歩5分程度のいろは通りの南側に大正時代の半ば頃にできた私娼街で、永井荷風の「濹東綺譚」の舞台となった。全盛期には477軒の銘酒屋に1400名もの酌婦がいたという。昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失後、いろは通りの北側に移転。戦後は赤線となり97軒のカフェーに390人の女給がいたという。

下見では赤線建築が残る通りの北側を散策した。玉の井には迷路のような細い路地が多く、地図を持っていても時折道に迷った。荷風が「ラビラント(迷宮)」と呼んだのも納得する。1時間程度歩き回ったが、お目当ての赤線建築を全て見つけることができなかった。

赤線建築はかなり年季が入っておりいずれ老朽化を理由に取り壊されると思うので、玉の井を再訪し見逃した赤線建築を見ておきたい。



東向島駅の駅名表示板。上部に「旧玉の井」と書かれている。


いろは通り。現在は昭和の香り漂う商店街になっている。


啓運閣教会。日蓮宗の寺院で、玉の井で亡くなった娼婦や水子の供養も行っている。


啓運閣教会にあった永井荷風が昭和11年(1936)に作った「玉の井 濹東綺譚地図」。


赤線建築。鳩の街の赤線建築と同様、洋風とも和風とも言いがたい独特の外観で、カラフルだったり、建物の角が曲線を帯びている。円柱やバルコニーがあるのも共通するが色タイルが貼られた建築は見かけなかった。


別の角度から撮影。






凝った窓枠。










街の雰囲気に合わせた外観の銭湯。

2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(その4)

2010年09月23日 | 都内散歩イベント主催
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■すみだ郷土文化資料館
平成10年に開館。実物資料や模型、パネル、マルチメディア等で墨田区の歴史・伝統文化を紹介。




■牛嶋神社
本所の総鎮守。貞観年間(859~879)創建と伝わり、後に「牛御前。と呼ばれた。元は隅田公園に北側にあったのが公園の工事のため昭和7年に現在の場所に移る。


手前の鳥居は三輪鳥居(明神鳥居の左右に小さい鳥居を組み合わせた鳥居)で、奈良県桜井の大神神社にみられる。


撫牛。自分の悪い部分と牛の同じ部分を撫でると病が治り、さらに肉体だけでなく心も治るという心身回癒の祈願物で、文政8年(1825)ごろ奉納されたと言われる。


狛牛。安政6年(1859年)銘の牛嶋神社の通称「牛御前」にちなみ、狛犬のかわりに牛が奉納されたものと考えられる。


烏亭焉馬の狂歌碑。烏亭焉馬(うていえんば)は、江戸落語中興の祖といわれた人物。文化7年(1810年)に建立、「いそかすは 濡まし物と 夕立の あとよりはるる 堪忍の虹」と刻まれる。落語は元禄年間(1680~1709)に確立、後に衰えたが、焉馬が天明4年(1784)に「噺の会」を催し落噺を披露、好評を得たことから江戸落語が盛んになり、寛政年間頃(1789~1801)には、現在の落噺の形が完成した。なお、落語という言葉は明治時代より使用され始めた。


■隅田公園
隅田川両岸にある公園で、台東区と墨田区にまたがる。春は桜の名所となり、夏には隅田川花火大会が行われる。江戸時代には水戸徳川家の下屋敷があったが、明治時代には水戸徳川邸となり関東大震災で家が全壊するまでここに住んだと伝えられる。公園内の庭園は水戸徳川邸内の池等、遺構を利用して造られている。



日本庭園とスカイツリー。


庭園の池にはあひる三羽が列をなして泳いでいた。親子かな?


明治天皇行在所の碑。天皇家では平安時代から宮中の花見を行っていたが、明治時代の東京遷都後、明治8年(1875)に東京で初めて行われた花見の会場として当地にあった水戸徳川邸が選ばれた。


明治天皇が花見で詠じられた歌の歌碑。


■東京スカイツリーインフォプラザ
東京スカイツリープロジェクトに対する理解を深めてもらうため、平成21年4月にオープン。1/500の建築模型やプロジェクトの展示解説、完成した展望台からの眺望イメージを見ることのできる映像コーナー等がある。




スカイツリーの模型。背後には本物のスカイツリー。


映像コーナー。壁には展望台からの眺望イメージが描かれている。


■東京スカイツリー
デジタル放送の幅広い普及とワンセグ等デジタル放送特有の機能の有効活用を図るために建設されている新電波塔。平成20年7月に着工、平成23年12月竣工予定、平成24年春開業予定。高さは634メートルで、完成時点で自立式電波塔としては世界第一位となる。平成22年9月19日時点で高さ461メートル。


スカイツリーとお神輿を担ぐ人々。


源森橋から撮影。


建設現場のフェンスの外から撮影。


より近い位置で撮影。近くから見上げると迫力がある。


スカイツリーに設置された高さの表示。

2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(その3)

2010年09月22日 | 都内散歩イベント主催
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■墨堤植桜之碑
明治20年(1877)に建てられた石碑。篆額は榎本武揚。当初、この碑は言問亭(現言問団子)の西南の岸辺に建てられたが、水害等のために明治29年(1896)に現在の位置に移動した。墨堤に初めて桜を植えた来歴、大水による被害、地元住民たちの植桜による墨堤の再生などを含めた墨堤の歴史と、今後末永く保存し顕彰したいとの願いが刻まれている。




■長命寺
元和元年(1615)頃の創建と伝えられる天台宗の寺院。古くは常泉寺と号していたが、寛永年間(1624~1644)に3代将軍家光がこの辺りに鷹狩りに来た時、急に腹痛をおこし、住職が加持した庭の井の水で薬を服用したところ痛みが治まったので、長命寺の寺号を与えたという。江戸時代は雪見の名所として知られ、多くの人々が訪れた。七福神の弁財天を祀る。




復元された長命水の井戸。


雪見の句碑。安政5年(1858)に建立。芭蕉の句「いざさらば 雪見に ころぶ所まで」が刻まれる。


狂歌碑。左上に「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九の狂歌が刻まれる。


木の実ナナの詩碑。地元向島の出身の縁で設置されたのだろう。


■弘福寺
鉄牛禅師を開山に迎えて開かれた黄檗宗の寺院で、大雄宝殿は京都万福寺を模して建てられた。勝海舟も青年時代にこの寺で修行したと伝えられ、関東大震災まで森鴎外の墓もここにあった。咳や口中の病によくきく「咳の爺婆尊」が知られ、咳止めの飴を買い求める参拝者が多くいる。七福神の布袋尊を祀る。




大雄宝殿。


咳の爺婆尊。


■向島料亭街
東京で最大の花街で、120名の芸者と16軒の料亭が残る。昭和の初期には東京都内だけで40数箇所の花街があったが、現在はその数も減り、大きな花街は、六花街と呼ばれる向島・新橋・赤坂・神楽坂・芳町・浅草を残すのみとなった。


料亭。






向嶋墨堤組合。見番といわれるもので、料亭への芸妓の手配、料亭の予約手配、置屋他花街の統括管理、芸妓の育成、稽古を行う。


■三囲神社
「三囲神社」の名は中世に三井寺の僧が地中から一体の稲荷神像を掘り出したとき、どこからともなく白狐が現れ、稲荷神像のまわりを3回めぐったのちに去ったことに由来。江戸時代になり、呉服屋や両替店を経営した三井家が篤く信仰した。芭蕉の高弟其角「雨乞いの句碑」があることでも有名。七福神の恵比寿と大黒天を祀る。






雨乞いの句碑。三囲神社で雨乞いの神事を行う農民に請われた其角が、元禄6年(1693)6月に詠んだと伝えられる。其角は豊作を祈念して句に「ゆたか」の3字を織り込み「ゆふだちや 田を見めぐりの 神ならば」と詠むと、翌日に雨が降ったといわれる。安政6年(1777)建立、摩滅により明治6年(1873)再建。


石造神狐。享和2年(1802)に木綿を扱っていた越後屋本店(ほんだな)の道を隔てて向かい側にあった向店(むかいだな)が奉納。


顕名霊社。三井家先祖を祀る社。


顕名霊社の精緻な彫刻。


老翁老嫗像。元禄のころ、三囲神社の白狐祠を守る老夫婦がいて、祈願しようとする人が老婆に頼み、田圃に向かって狐を呼んでもらうと、どこからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうが、他の人が呼んでもけっして現れることがなかったという。老婆の死後、里人や信仰者がその徳を慕って建てた。


日比翁助の石垣の歌碑。日比は明治31年(1898)三井呉服店副支配人に就任、さまざまな改革を行い、三越が近代的百貨店になる基礎を築いた。


三越のライオン像。


明治29年(1896)から昭和初期まで使用されていた商標が彫られた銅壺の台座。

2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(その2)

2010年09月21日 | 都内散歩イベント主催
(その1はこちら


■東武博物館
東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介する博物館。蒸気機関車を初めとする実物車両や記念物等の展示、シミュレータや実物機器、鉄道ジオラマの設置の他、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できるコーナーもある。




5号蒸気機関車。明治31年(1898)製造。東武鉄道が翌年の開業のために、英国のべヤーピーコック社から購入した蒸気機関車12両のうちの1両。


デハ1形5号電車。大正13年(1924)製造。東武鉄道が初めて同年に浅草(現在の業平橋)~西新井間を電化した時に走った木造電車。




1720系デラックスロマンスカー。昭和35年(1960)製造。日光・鬼怒川温泉への特急電車として活躍したが特急スペーシアに世代交代して引退。




平成元年当時の駅務室再現コーナーにあった自動券売機。


改札鋏。


電車シミュレータ。東武伊勢崎線の谷塚駅~竹ノ塚駅~西新井駅を運転。西新井駅では停車位置目標より1メートル以内で停車できた。過去の経験では停車位置目標より大幅に離れて停車することばかりだったので珍しい。


■幸田露伴旧居跡
「五重塔」その他で知られる文豪幸田露伴の区内3番目の家があった場所で、現在は露伴児童遊園。2番目の家では作家の幸田文が誕生、建物の「蝸牛庵」は愛知県の明治村に移築された。




「蝸牛庵」にちなみかたつむり像がある。


■鳩の街
戦後栄えた赤線跡。東京大空襲で罹災した玉の井の業者が営業をしたのが始まりで、昭和20年代後半にはカフェー108軒、300人の女性がいて賑わった。現在は商店街と住宅地となっているが、カフェーだった建物が残る。


鳩の街商店街入り口。鳩の町商店街は昭和3年(1928)に設立された寺島商栄会から続く古い商店街で東京大空襲をまぬがれたために、通りの道幅は戦前のままになっている。


昭和初期の木造建築物を利用したカフェ。


空きアパートを利用した店舗。


商店街の裏手の細い路地の住宅地には、かつてカフェーだった建物が残る。洋風とも和風とも言いがたい独特の外観で、円柱や色タイル、バルコニーがあるのが特徴。カラフルな外観だったり、建物の角が曲線を帯びているのも特徴。


















2010年9月19日 向島押上散歩イベント主催(その1)

2010年09月20日 | 都内散歩イベント主催
この日のイベントでは東京都墨田区の向島から押上にかけて散歩した。参加者は管理人も含め10名で、内訳は男性5名、女性5名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は6名。初参加の方が半数を越えることはしばらくなかったので新鮮だ。

この日も多少暑かったが、前に比べて歩きやすくなった。向島百花園の名物の萩のトンネルは残念ながら猛暑により開花が遅れ期待していたものが見られなかったが、さまざまな草花が楽しめたのでよかったと思う。

スカイツリーは当日時点で461メートル。すでに3分の2以上完成したことになる。今後の成長ぶりや完成後の姿、周辺の街の変化が非常に気になる。とにかく無事故で完成してほしいものだ。


【コース】
堀切駅→多門寺→白鬚神社→向島百花園→昼食→東武博物館→幸田露伴旧居跡→鳩の街商店街→墨堤植桜之碑→長命寺→弘福寺→三囲神社→すみだ文化資料館→牛嶋神社→墨田公園→東京スカイツリーインフォプラザ→東京スカイツリー→押上駅解散


(写真の大部分は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)


■多門寺
平安時代創建の真言宗の寺院。最初は不動明王が本尊で、隅田川沿いにあったが、戦国時代に現在の場所に移り、弘法大師作と伝わる毘沙門天像を勧請、現在隅田山吉祥院多聞寺と改称したと祝える。狸にまつわる伝承があることから、たぬき寺とも呼ばれた。七福神の毘沙門天を祀る。


山門。江戸時代中期頃に造られた墨田区最古の建造物。墨田区では震災や戦災で多くの木造建築が失われてきた。


本堂。


隅田川七福神の碑。篆額は幕臣、政治家で晩年向島に住んだ榎本武揚。碑面には「隅田川七福神之内 毘沙門天 正二位子爵榎本武揚」と記される。
隅田川七福神は、文政年間(1804~1830)に佐原鞠塢が開いた向島百花園に集う、大田南畝・亀田鵬斎・加藤千蔭・酒井抱一などの文人たちによって始められた。隅田川七福神めぐりは、平成15年に墨田区無形文化財に登録された。


狸塚。村人や旅人たちにいたずらし続け、本尊の毘沙門天に成敗された狸を供養する塚。


狸塚。


■白鬚神社
天暦5年(951)に慈恵大師が白鬚大明神の分霊を祀ったことから始まるとされる。祭神は猿田彦命で、国土の神、道案内の守神、隅田川沿いの道祖神として信仰されてきた。かつてはこの地は白鬚の森と呼ばれる緑の美しい場所で向島八景、隅田川二十四景のひとつに数えられていた。江戸の風流人、文化人の詩碑、墓碑などが数多く残される。江戸時代に隅田川七福神を決める際に「白鬚」大明神が「白い鬚の老人の神様」を連想させるとの理由で、七福神の寿老神を祀る。




詩碑や墓碑。


■向島百花園
江戸時代後期の文化・文政年間(1804~1830)に、骨董商の佐原鞠塢が交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て花の咲く草花鑑賞を中心とした花園として開園。開園当初は、360本の梅が主体だったが、後に詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くようにした。文化人、茶人、墨客が集い、大いに賑わったが戦災で焼失、昭和33年(1958)に現在の姿に回復、昭和53年(1978)に国名勝及び史跡に指定された。芭蕉句碑や山上憶良歌碑など多くの碑がある。七福神の福禄寿を祀る。






池の背後にスカイツリーが見える。


芭蕉「春もやや けしき ととのう 月と梅」の句碑。


山上憶良の秋の七草の歌碑


福禄寿尊堂。


萩のトンネル。百花園の名物で、ハギを竹の柵にそわせてトンネル状にした園路。9月には全長約30mにわたって花のトンネルになる。 当日は見頃には早かった。


園内の萩。


葛。


女郎花。


しろみのこむらさき。


花魁草。


団子菊。


玉簾。


初めて見た生姜の花。


石榴。


糸瓜。沖縄で糸瓜炒めを食べたことがあるが、あっさり味でとろっとした触感でおいしかった。


蛇瓜。形が蛇のよう。インドや東南アジアでは食用とする。機会があれば食べてみたい。


瓢箪。


寺島茄子。江戸時代のこのあたりは茄子の産地だった。当時栽培されていた茄子を地元の小学校が復活させた。