生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2010年1月10日 筑波山ハイキングイベント主催

2010年01月11日 | 都外散歩イベント主催
この日は筑波山ハイキングのイベントを主催した。参加者は男性4名、女性2名(管理人含む)の6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。
この日の天気は晴天で、ハイキングコースの状態がよく絶好のハイキング日和だった。今回は、登りは筑波山神社~御幸ヶ原の御幸が原コースを、下りは女体山~筑波山神社の白雲橋コースを選択した。山頂からの眺めや奇岩・巨岩等カメラを向けたくなる場所がいろいろとあったが、あいにくデジカメを忘れてしまい惜しいことをした。

筑波山は初心者向けの山といわれるが、山登りに慣れていない人にはかなりきつい。普段の散歩イベントでは筋肉痛になることはまずないが、今回は日ごろ使わない筋肉を使ったためすっかり筋肉痛だ。ただ、つらい思いをして目的地に到達したときの喜びや爽快感は普段の散歩イベントでは得がたい。懲りずに5月の連休あたりにハイキングイベントを企画したい。

(写真は参加者のいがさんと西郷@kazu★donsegoさんのお二人からいただいたもの。ご提供ありがとうございました。写真をクリックすると拡大されて表示。)


■筑波山
古来から信仰の対象として仰がれてきた山。男体山,女体山の二つの峰から成り、標高は871mと877m。「西の富士,東の筑波」と並び称されてきた優美な姿は,多くの歌人を魅了し、「万葉集」や「小倉百人一首」などに数多く歌われた。山内は長い間神域として保護されてきたため,学術的にも珍しい植物(つくば市の花として選定されている「ホシザキユキノシタ」等)や昆虫,野鳥も数多い。
男体山へはケーブルカーで、女体山へはロープウェイでも登ることができる。ハイキングコースは、御幸ヶ原コース(筑波山神社~御幸ヶ原)、白雲橋コース(筑波山神社~女体山)、おたつ石コース(つつじヶ丘~女体山)の3コースあり。




■筑波山神社
筑波山を境内とする神社。御祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊で、縁結び,夫婦和合の神として広く信仰を集めている。筑波山南面の海抜270mに拝殿があり、男体山頂の本殿に伊弉諾尊を、女体山頂の本殿に伊弉冊尊を祀る。徳川家康が江戸城守護の霊山として祈願所を置いて以来将軍家の信任が厚く、境内には徳川三代将軍家光の寄進した日枝神社、春日神社、厳島神社、神橋が今なお残る。




随神門。


境内でがまの油売り口上の実演。


■御幸ヶ原コース
筑波山神社~御幸ヶ原を歩くコース。急勾配の山道をひたすら登らなくてはならずかなりきつい。岩場では手を使って登らないといけない。登山用ステッキを持った参加者の方がいたが、持っていたほうがよいと思う。こまめに休憩を取っていたので御幸ヶ原まで2時間近くかかった。


コースの初めのころに撮影されたものと思う。


急斜面を苦労して登る私たちの横をすいすいと通り過ぎるケーブルカー。人間の足では御幸ヶ原まで90分かかるが、ケーブルカーだとわずか8分で到着。


■男女川源流
御幸ヶ原コースの途中、標高600メートル地点にある。男女川は小倉百人一首の陽成院の歌「筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」をはじめ多くの詩歌に詠われた川で、流れは桜川へと注ぐ。


小さな流れだが、せせらぎが耳に心地よい。


■御幸ヶ原
男体山と女体山の間にあり、常に二神が御幸(往来)することから由来。ここまで到達するのに苦労したが、ここからの眺めはすばらしく苦労した甲斐があった。






■男体山頂
御幸ヶ原より15分程度で到着。山頂には伊弉諾尊を祀る本殿がある。標高871メートル。




本殿。


■がま石 
御幸ヶ原と女体山の間にある。永井兵介がこの石の前で「ガマの油」売り口上を考え出したことから由来。


■女体山頂
御幸ヶ原より15分程度で到着。山頂には伊弉冊尊を祀る本殿がある。標高877メートル。




本殿。


「日本百名山」の碑。








■白雲橋コース
女体山頂~筑波山神社を歩くコース。コースの途中で奇岩・巨岩が楽しめる。御幸ヶ原コースより勾配はなだらかだが岩場が多く、下山には足を痛めないように神経を使う。下りでは休憩が少なく、一時間半ぐらいで筑波山神社に到着したと思う。


■大仏岩 
大仏の姿に見える高さ約15メートルある岩。




■北斗岩 
天に向かって聳え立つ岩で、天空に輝く北斗星(北極星)のように、決して動かないことから由来。




■裏面大黒 
大きな袋を背負った大黒様の後姿に見えることから由来。




■出船入船
石の姿が出船と入船が並んでいるように見えることから由来。 




■母の胎内くぐり 
筑波山に伝わる修験道の修行場の1つで、岩の上部の穴より下へ抜ける修行が行われた。行を重ねこの岩を抜けることによって母より生れたことと同じ意味を持ち、穢れのない姿に立ち返ることができるとされた。




■高天原 
天照大神を祀る稲村神社がある。


見上げると右側の岩の上に稲村神社と思しき社があった。


■弁慶七戻り 
元来「石門」といい、聖界(高天原)と俗界(現世)を分ける門であるといわれ、大変神聖な場所とされた。現在の名は豪傑の弁慶でさえも、頭上の岩が落ちてくるのではと7度も後ずさりしたことによる。


岩が今にも落ちそうで、弁慶が通過をためらったのも無理はない。


■弁慶茶屋跡 かつて弁慶茶屋があった場所で、おたつ石コースと白雲橋コースの分岐点。


2010年1月1日 荏原七福神巡り

2010年01月03日 | 都内散歩
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、今年の散歩初めはお正月らしくJR大井町駅から東急線西小山駅までを歩く荏原七福神巡り。平成3年に誕生した新しい七福神で知名度が低いせいか、昨年の東海七福神(旧東海道沿いに点在する七福神)よりも参拝者が少なかった気がする。


■大井蔵王権現神社
福禄寿を祀る。由緒は不明。ここでおみくじを引いたところ結果は「末吉」だった。




■東光寺
毘沙門天を祀る。天文13年(1534)什仙上人により創建された天台宗の寺院。


山門。


本堂。


トイレの中に「下の病気」や「下の世話」にならぬよう東司(トイレ)の守護の鳥瑟沙摩(うすさま)大明王が祀られている。


■養玉院・如来寺
布袋尊を祀る。如来寺は、気喰但唱が高輪に建てた寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、後に現在地に移転。養玉院は、寛永12年(1635)に創立された上野寛永寺の塔頭三妙院がその前身で、後に下谷坂本に移り養玉院と改め、対馬の領主宗家の菩薩寺となった。その後如来寺と合併し現在地に移転。天台宗の寺院。


山門。


五智如来堂。五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来の総称。


五智如来。向って右から薬師如来、宝生如来、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来。いずれも像高3メートルにおよび「大井の大仏」と呼ばれる。


大日如来。


■上神明天祖神社
弁財天を祀る。鎌倉時代に建立されたといわれる神社で、江戸時代の正保年間(1644-1647)には下神明が上神明から分かれた。


鳥居。


拝殿。


弁天堂。お堂に白蛇がとりまいているのは、境内の一角に住んでいたが居場所を失った白蛇のために宮司が池を掘り弁天堂を建て、いざ白蛇を迎える日の夜に突然雷鳴と大風が起こったという言い伝えを示しているのだろう。


■法蓮寺。
恵比寿を祀る。日蓮宗の寺院。開山は鎌倉時代中期の文永年間(1264-75)と伝わる。八幡太郎義家の子孫というこの地の豪族荏原氏の館に創建された寺だったという言い伝えがある。


本堂。


恵比寿を祀るお堂。


庭園。


七福神の顔ハメ看板。


■摩耶寺
寿老人を祀る。寛文年間(1661-1673)の開山の日蓮宗の寺院。釈迦の生母・摩耶夫人像を祀る摩耶堂がある。


山門。


本堂。


摩耶堂。


■小山八幡神社
大黒天を祀る。創建年は不詳。社伝に鎌倉幕府の頃とあり、口伝では長元3年(1030)には旧小山村本村の氏神として崇敬されたという。小山の名の通り、品川区内で最も標高が高い(といっても標高35メートルだが)。


鳥居まで続く階段。


拝殿。


大黒天を祀るお堂。


境内からの眺め。周囲は住宅地のため一戸建ての屋根やマンションが多く見える。