素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

不順な天候もようやく落ち着くか?

2011年04月20日 | 日記
3日間ほど、低気圧と上空の寒気団のせいで不安定な天気が続いた。気温のほうも下がり調節がなかなかむずかしい。今日の夕方になってやっと落ち着いてきた。とても夕陽が美しかった。カラーと白黒で撮ってみた。

    最近、白黒写真に少々興味を持っている。カラーは色に関しては説明しなくても良いが、その時自分が感じた風景をつかまえているとはいえないのではないかと思う。今日の夕日はここ数日のうっとおしい天気の延長にあり、しかも、午後ジムでしっかりと汗を流してきた充実感も加わり、私には格別目にしみるのである。自分の心の内が投影された景色を表現するのにはカラーより白黒のほうが良いのではと何となく思っているのでためしに2枚撮った。

 白黒の場合は言葉によって、見る人の頭にイメージをつくるということが必要となってくる。何も説明がないと、満月の月の出とイメージする人もあるだろう。想像をかきたてるという意味でも白黒を見直してもいいのではと思い始めた。

 夜は、月曜に放映された“日本・こころの歌”の録画を見た。フォレスタの女性特集であった。♪春の小川♪は大正元年につくられたことを知り、100年も歌い継がれてきたのかと妙に感心した。この日歌われたのは♪しかられて♪♪ふるさと♪♪月の砂漠♪などすべて大正時代の作品ばかりであった。日本の原風景の1つを見る思いがした。

 “一目ぼれ”というのがあるが、5人のメンバーの中に一人だけ居る。毎度のことながら、なぜその人にひきつけられるのか説明できない。不思議な感覚である。

 「遺留捜査」も2回目だが、気に入っている。 
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伊坂幸太郎『死神の精度』を読み直す

2011年04月19日 | 日記
 義姉の四十九日の法要がが今週末にある。この間、東日本大震災による“生”と“死”のドラマは新聞・テレビで連日見聞きしてきた。生死の分かれ目は本当に一瞬の差であるということをあらためて強く感じた。加えて昨日、栃木県鹿沼市の国道で登校中の児童6人が突然中央線をはみ出し突っ込んできたクレーン車の下敷きになって死亡するという事故のニュースに、居た堪れない気持ちで一杯になってしまった。

 現実逃避ではないが、今日は新聞やテレビを見るのを避けた。そして、なぜか伊坂幸太郎さんの書いた『死神の精度』を読みふけった。寿命の来る前に突発的な事故とか、思いもよらない事件とかで死ぬ対象として選ばれた人間の最終調査をすることを仕事としている“死神”が主人公。7日間その人物と接して、『可』もしくは『見送り』を上司に送り、『可』と送れば8日目に選ばれた人は不慮の死を迎える。それを見届けて1つの仕事を終える。ほとんどの場合『可』と送られるということを前提に、6人の人間とのかかわりあいが描かれている。伊坂さんにかかると“死”という重いテーマも肩の力が抜ける感じで、物語を楽しむことができる。

 体と同様に心も休養日が必要である。おかげで元気が出て来た。
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八衢(やちまた)

2011年04月18日 | 日記
昨日、メセナひらかたへ行った際、ロビーに置いてあるパンフレットの類を見ていた。情報源としては結構役に立つ。その中に2009年1,2月に実施した講座「生きること」をまとめた講演録の冊子があった。32年間続いている講座である。4人の方の講演録が掲載されていたが、その中の一人重岡恵子さんの話の中に“八衢(やちまた)”という言葉が出ていた。広辞苑によれば「道が八つに分かれた所。また、道がいくつにも分かれた所」とあり、万葉集巻二・125の三方沙弥(みかたのさみ)の歌が付記されていた。

橘(たちばな)の、蔭(かげ)踏(ふ)む道の、八衢(やちまた)に、物をぞ思ふ、妹(いも)に逢(あ)はずして

   橘(たちばな)の影を踏む分かれ道のように、あれこれ思うのです。あなたに逢わないので。

 分かれ道が多くて迷いやすいことにたとえられてきた。重岡さんは看護師ろして約13年間病院勤務をされた後、1980年、社会福祉協議会のホームヘルパーに転職、1998年まで約18年間在宅生活者で日常生活困難な方々の訪問介護の仕事をなされ、1999年の3月から9月まで、訪問看護の仕事を経て1999年の9月から電鉄会社の介護保険事業を立ち上げ、2001年の10月からは自宅を改造し、認知症対応型共同生活介護グループホームを開設され、暮らしをともにしながら、地域に開かれたホームを目指しておられる方である。

 講演の冒頭で「人生は 八衢(やちまた)」という言葉にふれられている。『・・・人は、その人生の八衢でいろいろ出会う時に人間はその選択肢を一生懸命に考えて選んで前に進んで行けばいい。またそれがしばらく行くと、道は四方八方に幾つにも分かれていて、どの道を選べば良いのか思案にくれ思い悩む、この四方八方に分かれた道を八衢(やちまた)ということでした。これからの私の人生に分かれ道が来た時、私は精いっぱいそこで考え努力して選択して進んでいけば、後悔の少ない人生になるのではないかという思いをしています。八衢という言葉を大事にして、いつもその時が来た時は精いっぱい考え努力し曲がって行こうと思います。・・・』

 久しぶりに自分の人生の岐路について思いを馳せた。

 
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『旬感!クラシック・プロムナード Vol.7』へ行って来ました

2011年04月17日 | 日記
“メセナひらかた”で定期的に開催されている若手演奏家による『旬感!クラシック・プロムナード 』に行って来ました。今回は女性だけのトランペット・カルテット“Quatre Feuilles(キャトル・フィーユ)”と佐野真弓さんのピアノによる演奏会であった。「キャトル・フィーユ」はフランス語で四葉のクローバーを意味している。トランペットによる四重奏は珍しく、どんな感じになるのか楽しみであった。

  クラシックからシャンソン、ポップス、歌謡曲、唱歌といろいろなジャンルの曲を多彩な音色で聴かせてもらった。トランペットは生一本という印象を持っていたが幅広い表現ができることを新発見した。佐野さんのやわらかいピアノのタッチも心地よい世界に誘ってくれた。













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新年・1月から心がけていること

2011年04月16日 | 日記
 今年の目標と言ってはたいそうであるが、一応心がけていることがある。他の家では当たり前のことではあるが、我が家ではできてこなかったことである。『きれいな玄関』をキープすること。4人の人間がいると履物の数も多い。しかも、サイズが大きいのでかさばる。玄関そなえつきの靴箱も満杯で、ひどい時には足の踏み場もない状態になることもあった。そこに、花を置く台も加わるのでさらに手狭になる。

 花を置く台の下のスペースを使うしかないと思い、1年ほど前に台を作ったが、焼け石に水。去年の暮れにもう1段増やし2段にしたら少しましになった。不意の訪問者 先日できあがった棚は、ここにある鉢置きをヒントにしたものである。バラバラに置かれていたものを集め、さまになった。これで玄関の上がり口はそれなりにすっきりとしたと満足している。
 クンシランの花がようやく咲き始めた。今年は冬場の管理がむずかしく、突然の雪で葉をやられ心配していたが、何とか花の芽をつけてきた。例年のように知人の家に出向いていくのだが、はやばや咲いた2鉢は昨日レンタルに出た。来週あたり次々と出て行くことになる。
逆に、日本さくら草はたくさん芽をいただいたので玄関前に陣取っている。すべての鉢で若葉が伸びだしホッとしている。早いものは花梗を伸ばして開花期に入っている。いっしょにもらった“日本さくらそう・植え方育て方”のコピーを見ながらの毎日である。
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