素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

梅に想う

2024年01月26日 | 日記
 早咲きの梅を見かけるようになった。道を歩いているとバケツに入った梅の枝を玄関先に置いている家があった。バケツには「自由にお持ち帰り下さい」という貼り紙がしてあった。おそらく剪定した残り枝を処分するのは忍びないと思い、道行く人に声をかけているのだと思い二枝ほど持ち帰り玄関に飾った。

 花は蕾で小さいが、横を通り抜ける時ほのかな甘い匂いがする。春の前触れを感じ優雅な心持ちになる。粋な計らいをしてくれた方に感謝である。
  

 百人一首の中で「よく知られているランキング」の上位に入るだろう「久方の 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらむ」を詠んだ紀友則、この歌は桜だが、梅を詠んだものもある。

 君ならで 誰にか見せぬ 梅の花 色をも香をも しる人ぞしる

「百人一首大図鑑」によれば、従兄妹の貫之とともに「古今和歌集」の撰者だったが、完成前に亡くなった。40歳過ぎまで出世できない自分を、花の咲かない木にたとえた歌も詠んでいる。とあった。

 友則と貫之は従兄妹といっても、友則のほうが20歳ほど上である。二人と「古今和歌集」にまつわる話は伊東眞夏さんの「続・深読み百人一首」に詳しくある。

 ともあれ、紀氏に属する名門貴族の一員でありながら、藤原氏の他氏排斥の嵐の吹きすさぶ中、40歳を過ぎるまでそれらしい役職につけぬ生活を送ったことを考えれば、桜の花や梅の花に自分自身の人生を重ねているという深読みに共感できる。

 
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誕生日に「Lookin'Body」を測定

2024年01月25日 | 日記
 今日が73歳の誕生日。ちょうど良いタイミングでジムで「Lookin'Body」の測定会があった。前回が10月30日だったので年末年始をはさんだ約3ヶ月の変化を知ることができる。
 結果は、スタッフの人も驚くほどの現状維持。体重と体脂肪にg単位の増加があっただけである。内脂肪レベルが8から9になったが、基本的に10だったのが前回奇跡的に8を記録しただけだと思っている。秋と冬とでの活動量の違いが出ているのだろう。これから寝屋川エンジョイマラソン(2/25)、交野マラソン(4/21)に向けて意識的に取り組む中で改善していければ良いと思っている。

 とりあえず72歳の数字を維持して73歳にバトンを渡すことができたのでホッとである。 
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片づけで 昔の三日坊主と ご対面

2024年01月24日 | 日記
 昨日ふれた長谷川眞理子さんの「切実さ あってこそ」の中の『「私はこのように生きたい」と考えたとしても、若い時は仕事で手いっぱいでそうする余裕はなかった。自分を取り巻く諸状況に絡め取られていて、いつも、そうせねばならないことを精一杯しているだけで時間が過ぎていったものだ。働き盛りというか、働いて生活している限り、そんな状況は当然だろう。たとえ、休日だとしても、自分自身の思い通りに一日を過ごせるわけではない。そんな日常だとしたら、何か「今年の願望」のようなものを立ててみても、続かないのは当然ではないか。』という言葉をかみしめながら「新年早々にスイッチの入った片づけ」を実行しているのである。

  片づけをしていると、棚の上に積み上げてあった箱や納屋の奥などで、「よし~をやろう!」と思いたったものの3日坊主に終わってしまった『見たくない物』と対面することになる。

 先日片づけた「近代文学館名著復刻版全集」を買ったのは「もうちょっと名作と言われている本を読んでみたら」」と高校生の頃に母からよく言われたことが根底にあった。星新一のショートショートや精神科医の島崎敏樹さんの『感情の世界』(岩波新書)、『心で見る世界』(岩波新書)『心の風物誌』(岩波新書)、『心の眼に映る世界』(社会思想研究会出版部)『心の風物誌』(岩波新書)、『現代人の心』(中公新書)『幻想の現代』(岩波新書)ばかりを読んでいたので偏食ぶりを心配してのアドバイスだったと思う。私自身も世間一般に知られている名作を読んでいないというコンプレックスみたいなものがあった。その後の大学生活でも、山本周五郎、森本哲郎など片寄りぶりは続いた。そして就職して訪問販売員が持って来たのが「近代文学館名著復刻版全集」だった。一念発起「どうせ読むなら」と衝動的に予約してしまった。

 しかし、長谷川さんの言う通り仕事と子育てに追われ本箱の飾りとなってしまった。片づけをしながら「切実な要求のない本は買うべきではない」ということを心に刻んだ。

 他にも、「パズルコレクション」「江戸三百藩」「和時計をつくる」など三日坊主に終わったシリーズものがある。目につかない所に押し込んでいたが、ご対面してきっちりと自分の手で始末をつけなければいけない時期に来た。という強い心の声に動かされている。
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三日坊主にしない「新年の誓い」

2024年01月23日 | 日記
 日本芸術文化振興会理事長の長谷川眞理子さんが、毎日新聞の【時代の風】で≪三日坊主にしない「新年の誓い」≫というタイトルで寄稿されていた。

 (新年の誓い)⇒(三日坊主)⇒(挫折感)⇒(来年こそは)⇒(新年の誓い)⇒(三日坊主)⇒(挫折感)⇒・・・・・を小学校の頃から繰り返して来た私である。「意志薄弱」は自分自身に貼ったレッテルだった。

 長谷川さんも中学以来同じことを繰り返して来たと述懐する。そして、なぜこんなことになるのか?という答えが70歳を超えて見つかったと言う。それはまことにシンプルなもので「『~をしよう』という誓いに本当の必要が伴っていないからだ」と断じる。

 長谷川さんは今、10年以上日記をつけている。そして10数年前に三日坊主で終わったトレーニングジムに通っての運動をここ数年続けているという。いずれも、「日記をつけることはいいことだ。」とか「運動をしなくては」という一般論ではなく、自分の中に切迫した理由があるので継続できているという。

 私も近況報告を入れた年賀状にしてから、新年の目標を書くようにしてきた。これは自分の意志の弱さを自覚しているので公言することで自分に縛りをかけるという意味合いがあった。しかし、今年からは目標を立てることをやめた。やろうと思うことが、本当に今の生活に根ざした必要性の実感に裏付けられていなければ意味がないと悟ったからだ。

 新年から、猛烈に片づけモードに入っている。それは「目標を立てた」のではなく年末から年始にかけてのいろいろな出来事の中で、「片づけをしなければ!」という気持ちが自然と湧いてきたからである。心の声に素直に耳を傾けて行動するとストレスを感じることなく片づけが出来るのである。「切実さあってこそ継続できる」という長谷川さんの詩的に共感した。

 今年はこんな具合に風の向くまま気の向くままに生活していきたい。
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片づけのおかげで「書見台」見つかる!

2024年01月22日 | 日記
 高校を卒業してから、浪人、大学生活を名古屋で5年、枚方に就職が決まり香里園の叔父の家に3ヶ月間借りさせてもらい、松屋町の文化住宅に移った。結婚をして3度引越しをして今に至る。

 引越しのたびに所有物は整理されるが、中には長く一緒のものもある。杉の木目を生かして掘られた干支の「うさぎ」と「ひつじ」の置き物は中学校の修学旅行で東京、箱根に行った時に土産で買ったものだ。卯年の私と未年の弟が頭にあった。ただ、限られた小遣いの中での買い物だったので2つを買ったら他はほとんど買えなかった。家に帰って土産を見せた時大笑いされた。以来、ウサギの耳が少し欠けたが2匹とも私について移動している。かれこれ60年近くなる。
 今回の「大片づけ」で 6年近く行方不明だった書見台が見つかった。この書見台は大学の時に文学好きの友人の真似をして丸善で購入したもので50年以上の付き合いとなるが行方不明となってしまいあきらめかけていた。

 洋服ダンスの上に積んでいたAmazonの箱を開けてみるとポーチやカード、ホッチキス、マジックなど雑多な小物が入っていた。そしてその底に潜んでいた。前回の片づけモードの時に後から整理しようととりあえずゴチャゴチャしたものを箱に詰めて見栄えを整えたのだが、そのまま放置してしまったのである。

 代わりのものを店で探したが、タブレット、スマホの時代に本のための書見台は見つからなかった。タブレット用のものを買ってみたがページを押えるところに難があった。「こんな所にいたのか」と思わず声を出してしまった。シンプルな作りだがとても機能的で気に入っている。再び、読書のお供になってもらおう。

 時々は、棚卸しのように引き出し、箱、袋などを点検、整理することが大切だと強く思った。

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