午後からの特別企画のテーマ:「ミナマタからハンセン、そして未来へ」
~語りえぬことを語るために、千年の後の“いのち”の思想、“いのち”の言葉のために~
コーディネーター・司会は姜信子
始まってそうそう、このとんでる女性はだれだ!?と思っていたら、
姜信子だそうでー。
名前は知っていたが、初めての拝顔。
オープニングは昨日の県劇での演奏と同じらしく
説経節「みなまた海の声」の琵琶演奏約1時間。
原作は石牟礼道子、制作は後藤幸浩、
演奏は後藤幸浩(薩摩琵琶)&水島結子(鶴田流琵琶)
水俣病で亡くなった人たちの亡霊が叫んでいるような迫力があった・・・
石牟礼さんは、目の不安があった折、
目が見えなくなったら琵琶法師になって、語って回るのだとおしゃったとか・・・。
わが散歩コースの見事な花おうち
冒頭、姜さんが、みんなにも問題提起するようにパネリストの方々に言った。
緒方正人は、
狂いに狂って、『チッソは私であった』(2001・葦書房)と言ったが、
あなたもチッソなのだろうか、
あなたにこの世界はどうみえているのか、
あなたはどこに立っているのだろうか・・・・・
深い感性にもとづく矢継ぎ早の問いかけ・・・
パネリスト: 谺雄二(栗生楽泉園入所者自治会副会長)
大田静男(八重山歴史文化研究家・八重山のハンセン病問題を考える会)
萩原修子(熊本学園大教員・宗教学)
私は、緒方正人も「チッソは私であった」も知らなかった・・・
チッソは日本の近代化、高度経済成長の象徴のようなもので、
その恩恵を私たちは受けてきたけど、
その一方で水俣病という負の近代である公害を隠ぺいし、
排除し差別してきた私たち。
そんな私たちひとりひとりにも、
この重い問いを投げかけ、考えてほしいということだろうか、と思う。
無意識であれ内なる加害者の責任の取り方を考えねばならないのだと思う。
花おうち(栴檀の花)とほぼ半月
・・・・・・その3につづく
~語りえぬことを語るために、千年の後の“いのち”の思想、“いのち”の言葉のために~
コーディネーター・司会は姜信子
始まってそうそう、このとんでる女性はだれだ!?と思っていたら、
姜信子だそうでー。
名前は知っていたが、初めての拝顔。
オープニングは昨日の県劇での演奏と同じらしく
説経節「みなまた海の声」の琵琶演奏約1時間。
原作は石牟礼道子、制作は後藤幸浩、
演奏は後藤幸浩(薩摩琵琶)&水島結子(鶴田流琵琶)
水俣病で亡くなった人たちの亡霊が叫んでいるような迫力があった・・・
石牟礼さんは、目の不安があった折、
目が見えなくなったら琵琶法師になって、語って回るのだとおしゃったとか・・・。
わが散歩コースの見事な花おうち
冒頭、姜さんが、みんなにも問題提起するようにパネリストの方々に言った。
緒方正人は、
狂いに狂って、『チッソは私であった』(2001・葦書房)と言ったが、
あなたもチッソなのだろうか、
あなたにこの世界はどうみえているのか、
あなたはどこに立っているのだろうか・・・・・
深い感性にもとづく矢継ぎ早の問いかけ・・・
パネリスト: 谺雄二(栗生楽泉園入所者自治会副会長)
大田静男(八重山歴史文化研究家・八重山のハンセン病問題を考える会)
萩原修子(熊本学園大教員・宗教学)
私は、緒方正人も「チッソは私であった」も知らなかった・・・
チッソは日本の近代化、高度経済成長の象徴のようなもので、
その恩恵を私たちは受けてきたけど、
その一方で水俣病という負の近代である公害を隠ぺいし、
排除し差別してきた私たち。
そんな私たちひとりひとりにも、
この重い問いを投げかけ、考えてほしいということだろうか、と思う。
無意識であれ内なる加害者の責任の取り方を考えねばならないのだと思う。
花おうち(栴檀の花)とほぼ半月
・・・・・・その3につづく
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