玄徳道

道を語るブログです。

修道と魔

2012-06-03 20:01:00 | 人倫
魔と言いますと、恐らく一般の人は、外にいる悪魔や悪鬼、邪霊など妖怪の類を想像するのかもしれません。
修道を歩む人の魔とは内にいる、自分を怠けさせたり、ズルさせたり、騙したり、弱い心であり、エゴイズムであり欲心を述べます。故に、道が一丈高くなれば、魔は、百尺に昇ると、自分の心を戒めるのです。
人が道を修めることは実は簡単なのですが、心は、他の娯楽や快楽に向かう為、欲心は抑えられず、魔を鎮めるのは難しいのです。
道院の考え方で言えば、今の天下人心の荒廃、災刧が各地で発生するのは、その根源は、各人の人心にある魔より生じたといいます。
道が定まり、自分の正気を覚すれば、自分に至らざる邪な心があることを悟ります。素直にそれを認め改心をすれば、霊光は輝き、人心は回光し魔業に囚われぬ自分を確立していくのです。道を歩む事はこの連続でもあります。

魔は、心の中に潜み、隙に乗じて、内なる内在神を曇らせようとします。主客転倒すれば、魔惑が盛んになり、道は滅びます。
故に道を修める人は、心をいつも誠にし、意志を正し、妄想ですら戒めるのです。

除霊と言う言葉があります。ある宗教団体では盛んに除霊救霊等を勧めているようですが心の魔は、我が心が悟らねば化すことが出来ませんし、外的な魔など取るに足りません。他人がする除霊等は、無限ループの世界で、祓っても、救ったと称しても、我が心に平安を確立できなければ、永遠に収まりません。
邪霊や悪魔等を盛んに宣伝し、他人の不幸の原因を創る人たちは、自分自身に魔が潜んでいる事を悟らねばなりません。

心外の魔等は、心に正義、正気、定力を存してさえいれば自然に消滅してしまいます。山中の賊は、追いやすく、心中の賊は追い難しですね。

「正念が一たび起きれば神仏がやって来るし、邪念が一たび起きれば悪魔がやって来る。惜しいことに人は皆、悪魔の来るに任せて神仏を招こうとしない。」

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コメント (2)
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