人間は、一時の名誉や栄華の為に果てしないほど気を消耗します。自分のカッコウに気を使い、人にも気に入られようと気を使い、他人がどのように自分を見ているかを気にします。
それだけ、気を消耗すれば、気力は萎え、精力が減退し、神経は自ずと擦り切れ、心や体が病になったり、人間は本当に大変です。
名も要らず、地位も名誉も金も官位も要らずに、気楽に暮らせたら、それほど幸せな事は無いのですが、現代の社会の仕組みのせいか、競争世界では、他人を常に気にし、学力、社会的地位等が自分よりも下の人を見たら喜び、上を見たら妬み、他人と違う行動をしたら、KY(空気よめない)。(本来のKYは製造業や建設業の危険予知活動なのですが。)
私は、かつて修道の師に、人が100人、右を向いたら、あなた一人は左を向きなさい。それが希少価値であると教わりましたが。まあ、今の私は天地自由人を自称する悪人を目指しています。
話がそれました。それほど、気を消耗する人ほど、気を養う「道」「坐」を話せば馬鹿にし、見向きもしません。一時の栄華を未来永劫であると勘違いしているのです。人が老い、死ぬ事を忘れているのです。盛者必衰は自然の摂理、驕れる者久しからずや。
精・気・神は人心の至宝です。一たび、坐道を得、心が欲を無くし、虛を得れば、内在神は素晴らしい光を放ちます。心が一心に輝けば、精が結び、気が満ちて、精が凝り、精力、気力は確実に充実します。
しかし、欲魔に捕まれば、色欲によって、その精を消耗し、名誉や利欲によってその神が奪われ、争奪によってその気を散じれば病を得るのです。
坐とは、練るにあります。坐功が継続出来れば、気が固まります。固まれば精気となり、精が結ばれます。精気が充実すれば神が凝ってきます。精・気・神の三宝が結ばれれば、修道は日に日に進み、心と体は壮健となるのです。
「気は精の基であり、精は神の舎(家屋)であり、気、精、神はもともと一つのもので、人意を以ってこれをわけてはならないのである。」
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それだけ、気を消耗すれば、気力は萎え、精力が減退し、神経は自ずと擦り切れ、心や体が病になったり、人間は本当に大変です。
名も要らず、地位も名誉も金も官位も要らずに、気楽に暮らせたら、それほど幸せな事は無いのですが、現代の社会の仕組みのせいか、競争世界では、他人を常に気にし、学力、社会的地位等が自分よりも下の人を見たら喜び、上を見たら妬み、他人と違う行動をしたら、KY(空気よめない)。(本来のKYは製造業や建設業の危険予知活動なのですが。)
私は、かつて修道の師に、人が100人、右を向いたら、あなた一人は左を向きなさい。それが希少価値であると教わりましたが。まあ、今の私は天地自由人を自称する悪人を目指しています。
話がそれました。それほど、気を消耗する人ほど、気を養う「道」「坐」を話せば馬鹿にし、見向きもしません。一時の栄華を未来永劫であると勘違いしているのです。人が老い、死ぬ事を忘れているのです。盛者必衰は自然の摂理、驕れる者久しからずや。
精・気・神は人心の至宝です。一たび、坐道を得、心が欲を無くし、虛を得れば、内在神は素晴らしい光を放ちます。心が一心に輝けば、精が結び、気が満ちて、精が凝り、精力、気力は確実に充実します。
しかし、欲魔に捕まれば、色欲によって、その精を消耗し、名誉や利欲によってその神が奪われ、争奪によってその気を散じれば病を得るのです。
坐とは、練るにあります。坐功が継続出来れば、気が固まります。固まれば精気となり、精が結ばれます。精気が充実すれば神が凝ってきます。精・気・神の三宝が結ばれれば、修道は日に日に進み、心と体は壮健となるのです。
「気は精の基であり、精は神の舎(家屋)であり、気、精、神はもともと一つのもので、人意を以ってこれをわけてはならないのである。」



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