修道とは、自分で道を定め、歩む道です。ここに於いて君子は独りを慎みます。
慎むとは自分の歩む道に、日常に、省みる事でもあります。他人に対して、威張ったり、ズルをしたり、しんどい事を他人任せにしなかったか、悪口を言わなかったか、そして、一番大事な事は、行動する心に誠があったであろうかを反省する事です。
ここに他人を挟めば、独りを慎む道、修道から離れてしまします。「あいつが生意気だから懲らしめてやる、気に食わんからいじめてやる、あいつの失敗のせいで迷惑がかかりしんどい思いをした、あいつの尻拭いをした。あいつが悪い。」人間は他人の欠点をすぐ解かり理解する動物です。そして他人の欠点が愉快でたまらないのです。
汚い話ですが、「吾が糞は臭くない。しかし他人の糞は死ぬほど臭い。」これは、人間にとって永遠の真理です。
修道とは、他人の過失を見ずに自己の過失を改めることにあるのです。他人に過失を見てもこれを自己の事と考え、慎み、自己を戒めるのです。故に聖賢の恐れるところは、我が不明を恐れるのです。
心に誠と書きましたが、誠とは、真心であります。人倫は人の守るべく道義であり、「他人がして欲しくない事をしない」と言う思いやりから来ます。思いやりは仁であり、愛であります。他人を慈愛する心は人にとっての本性であり、真の心です。真の心のみが唯一、天地と感合するのです。これを「誠」と称します。誠は天の道であり、道を修める人は、心に誠を掲げねば道を得ることは、出来ないと考えます。
「われ日に三たび我が身を省みる。人の為に謀って忠ならざるか、朋友と交わって信ならざるか、伝えて習わざるか。」
「非礼視るなかれ、非礼聞くなかれ、非礼言うなかれ、非礼動くなかれ。」
にほんブログ村
![](http://blogranking.fc2.com/ranking_banner/a_01.gif)
![](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1620_1.gif)
哲学・思想 ブログランキングへ
三か所クリックの協力をお願い致します。ランキングが出たら玄徳道を押して下さい。ブログ村、ランキング、fc2、ブログランキング、ランキングの順番で押していただいたらありがたいです。
慎むとは自分の歩む道に、日常に、省みる事でもあります。他人に対して、威張ったり、ズルをしたり、しんどい事を他人任せにしなかったか、悪口を言わなかったか、そして、一番大事な事は、行動する心に誠があったであろうかを反省する事です。
ここに他人を挟めば、独りを慎む道、修道から離れてしまします。「あいつが生意気だから懲らしめてやる、気に食わんからいじめてやる、あいつの失敗のせいで迷惑がかかりしんどい思いをした、あいつの尻拭いをした。あいつが悪い。」人間は他人の欠点をすぐ解かり理解する動物です。そして他人の欠点が愉快でたまらないのです。
汚い話ですが、「吾が糞は臭くない。しかし他人の糞は死ぬほど臭い。」これは、人間にとって永遠の真理です。
修道とは、他人の過失を見ずに自己の過失を改めることにあるのです。他人に過失を見てもこれを自己の事と考え、慎み、自己を戒めるのです。故に聖賢の恐れるところは、我が不明を恐れるのです。
心に誠と書きましたが、誠とは、真心であります。人倫は人の守るべく道義であり、「他人がして欲しくない事をしない」と言う思いやりから来ます。思いやりは仁であり、愛であります。他人を慈愛する心は人にとっての本性であり、真の心です。真の心のみが唯一、天地と感合するのです。これを「誠」と称します。誠は天の道であり、道を修める人は、心に誠を掲げねば道を得ることは、出来ないと考えます。
「われ日に三たび我が身を省みる。人の為に謀って忠ならざるか、朋友と交わって信ならざるか、伝えて習わざるか。」
「非礼視るなかれ、非礼聞くなかれ、非礼言うなかれ、非礼動くなかれ。」
![にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ](http://philosophy.blogmura.com/zen/img/zen88_31.gif)
![](http://blogranking.fc2.com/ranking_banner/a_01.gif)
![](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1620_1.gif)
哲学・思想 ブログランキングへ
三か所クリックの協力をお願い致します。ランキングが出たら玄徳道を押して下さい。ブログ村、ランキング、fc2、ブログランキング、ランキングの順番で押していただいたらありがたいです。