今朝、5時に起床して、住吉大社に行きました。私は、人がたくさんおられる参拝はあまり好きでありませんので、人が少ない早朝参拝が好きですね。住吉大神の境内に入ると、全身の気が正しい方向に修正される感じがします。
思い起こせば、高校三年の夏休み、大阪に就職活動した時にお世話になりましたね。会社を二つに絞った時。どちらにしようか迷った時、住吉大神に祈願しました。その晩、就寝後の夢で釣りをしていました。一匹目の魚は、首なしで、二匹目は、奇麗な小魚でした。これで就職先を決めました。まだ、道と言う言葉も知らず、霊能力を求め、力を求めていた幼い私でした。
私は、道を迷い、失いそうな時にいつも住吉大神の御加護を得られます。それは、私が熱心に信仰しているからではありません。祈願もしません。何故なのでしょうか。私は、ただ、住吉大神が大好きなだけです。それと海の神様とは何故か感応しやすいです。
住吉大社でたまに、おみくじを引くのですが私は、凶が多いのです。悩み苦しみ、道を求めている時、殆ど凶です。今朝は、何気なくおみくじを引いたのですが、大凶でした。
道を歩めば、魔も表れます。私は、坐により欲が少なくなってきております。しかし、ここ最近、自分魔は、私が一番弱い、急所を突いてきました。情けないものです。道を語る私も人。自分の弱さに負けそうでした。
大凶を引いた時、私は、住吉大神の深い愛を感じました。その瞬間、中丹田に神気が集まり出しました。
ちょうど、きらく仙女さんの妙坐、妙窔バージョンを修していたからかもしれません。しかし、ここで改めて、住吉大神が坐の神であることも覚神しました。しかし、これは私個人の見解です。決めつけるのは、惟神の道では、ありません。
出口王仁三郎さんの言霊解で、墨江(すみのえ)三前(みまえ)の大神、スミノエノミマヘの解説を簡単に記します。
「ス」は、真の中心なり、天球中の一切なり。「ミ」は瑞、水なり。「エ」は胞衣(えな)なり、集まり来るなり。前後の「ノ」は助辞です。「ミ」は三なり、天地人三なり。「マ」は円(まる)なり、一の位にあたるなり。「へ」は辺なり、高天原の内に㋜を見るなり。㋜はまる・です。
以上の言霊を総括する時は、明皎々(めいこうこう)たる八咫の神鏡のごとく澄みきはまり、顕幽を透徹し、真中真心の位に坐し、至らざる所なく、為さざる所なく清き泉となり、一切の本末を明らかにし現体を完全に治め、万物発育の本源となり、もって邪を退け正を択み用い、温厚円満にして月神のごとく、各自の天賦を顕彰し、身魂の位を明らかにし、一の位を世に照らし活動自在にして、地の高天原に八百万の神を集へ、もって㋜を守る三柱の大神ということである。
鳥居をくぐると、上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神と並びます。上、中、下丹田に覚するがごときです。
「言はずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神。」
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思い起こせば、高校三年の夏休み、大阪に就職活動した時にお世話になりましたね。会社を二つに絞った時。どちらにしようか迷った時、住吉大神に祈願しました。その晩、就寝後の夢で釣りをしていました。一匹目の魚は、首なしで、二匹目は、奇麗な小魚でした。これで就職先を決めました。まだ、道と言う言葉も知らず、霊能力を求め、力を求めていた幼い私でした。
私は、道を迷い、失いそうな時にいつも住吉大神の御加護を得られます。それは、私が熱心に信仰しているからではありません。祈願もしません。何故なのでしょうか。私は、ただ、住吉大神が大好きなだけです。それと海の神様とは何故か感応しやすいです。
住吉大社でたまに、おみくじを引くのですが私は、凶が多いのです。悩み苦しみ、道を求めている時、殆ど凶です。今朝は、何気なくおみくじを引いたのですが、大凶でした。
道を歩めば、魔も表れます。私は、坐により欲が少なくなってきております。しかし、ここ最近、自分魔は、私が一番弱い、急所を突いてきました。情けないものです。道を語る私も人。自分の弱さに負けそうでした。
大凶を引いた時、私は、住吉大神の深い愛を感じました。その瞬間、中丹田に神気が集まり出しました。
ちょうど、きらく仙女さんの妙坐、妙窔バージョンを修していたからかもしれません。しかし、ここで改めて、住吉大神が坐の神であることも覚神しました。しかし、これは私個人の見解です。決めつけるのは、惟神の道では、ありません。
出口王仁三郎さんの言霊解で、墨江(すみのえ)三前(みまえ)の大神、スミノエノミマヘの解説を簡単に記します。
「ス」は、真の中心なり、天球中の一切なり。「ミ」は瑞、水なり。「エ」は胞衣(えな)なり、集まり来るなり。前後の「ノ」は助辞です。「ミ」は三なり、天地人三なり。「マ」は円(まる)なり、一の位にあたるなり。「へ」は辺なり、高天原の内に㋜を見るなり。㋜はまる・です。
以上の言霊を総括する時は、明皎々(めいこうこう)たる八咫の神鏡のごとく澄みきはまり、顕幽を透徹し、真中真心の位に坐し、至らざる所なく、為さざる所なく清き泉となり、一切の本末を明らかにし現体を完全に治め、万物発育の本源となり、もって邪を退け正を択み用い、温厚円満にして月神のごとく、各自の天賦を顕彰し、身魂の位を明らかにし、一の位を世に照らし活動自在にして、地の高天原に八百万の神を集へ、もって㋜を守る三柱の大神ということである。
鳥居をくぐると、上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神と並びます。上、中、下丹田に覚するがごときです。
「言はずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神。」
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