平和の世になれば良いと思うのは、人の心の誠です。しかし、現実には、人間自身が自分の立場を正義を、正道を掲げて、他国、他宗、他人を攻撃、批判します。そして、虐げられるのは立場の弱い人々です。
「道があれば治まり、道が無ければ乱れる。」修身斉家治国平天下こそが平和への道理であります。身を修め平和にしたら、家を、国を、天下を順々に平和にしていく道です。自分の心をまず平和にすることが世界平和につながるのです。
しかし、実際には、平和を心に保つ者同士でも自己の正義をかかげ、お互いに批判し合うのです。自分の信じる道が尊く清く、あなたの道は、濁り誤りであると。
人の正しさ、善は、どこから来るのでしょうか。自己の経験と学び、知識、感性から来るのです。人により、苦労して学んだ事、行いは尊敬されるべきものです。しかし、その経験知識に執着、盲信してしまえば、自分こそが正しい道を歩んでいる。自分こそが清らかである。自分こそが悟りを開いている。自分に間違いはない、他人に間違いがあると、自信過剰に陥ります。偏するのです。
お釈迦様は、ゆえに中道を説かれました。孔子は、中庸を道の要(かなめ)になさいました。
儒教では、自らが絶対に正しいと思って人の意見を聞かず、心中では常に高いプライドをもって人を見下すタイプの人を「過」と云うようです。そして、自分の心がくもっているので人を知る事が出来ず、正しい道理や正論に耳を貸さないタイプの人を「不及」と云うようです。
聡明を以って自任している人ほど自己の正義正論に固執して、他人を見下し、一時の好悪の感情により心の霊性をくらまし、常に過と不及の過失をおかしているのです。
過と不及の過失の無い事を「中」と云います。中国の聖王、堯が舜に授ける道統では、「允(まこと)にその中を執れ。」といい、易経でも最高の徳は中です。
人が自分で思う正しさなどは天地や宇宙から見れば最高のものではありません、中こそが真の道であり、自分の思う正しさに偏らなければ中は得られるのです。
そして、心に中を得れば、平和の心、和する道を歩めるのです。人は優劣など無くし、仲良くするのが一番大切だと思うのです。人が互いに思いやりを持てば和気は盛んになります。即ち平和の礎となるのです。
私が書く「玄徳道」も正しさを追求していません。何故なら私は、マヌケな人間であり、間違いも誤りもたくさんあるからです。
志がある以上、ブログが続けますが、私の道に誤りを感じられましたらコメント欄で忌憚ない御意見をお願い致します。
「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る、これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物を育す。」

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「道があれば治まり、道が無ければ乱れる。」修身斉家治国平天下こそが平和への道理であります。身を修め平和にしたら、家を、国を、天下を順々に平和にしていく道です。自分の心をまず平和にすることが世界平和につながるのです。
しかし、実際には、平和を心に保つ者同士でも自己の正義をかかげ、お互いに批判し合うのです。自分の信じる道が尊く清く、あなたの道は、濁り誤りであると。
人の正しさ、善は、どこから来るのでしょうか。自己の経験と学び、知識、感性から来るのです。人により、苦労して学んだ事、行いは尊敬されるべきものです。しかし、その経験知識に執着、盲信してしまえば、自分こそが正しい道を歩んでいる。自分こそが清らかである。自分こそが悟りを開いている。自分に間違いはない、他人に間違いがあると、自信過剰に陥ります。偏するのです。
お釈迦様は、ゆえに中道を説かれました。孔子は、中庸を道の要(かなめ)になさいました。
儒教では、自らが絶対に正しいと思って人の意見を聞かず、心中では常に高いプライドをもって人を見下すタイプの人を「過」と云うようです。そして、自分の心がくもっているので人を知る事が出来ず、正しい道理や正論に耳を貸さないタイプの人を「不及」と云うようです。
聡明を以って自任している人ほど自己の正義正論に固執して、他人を見下し、一時の好悪の感情により心の霊性をくらまし、常に過と不及の過失をおかしているのです。
過と不及の過失の無い事を「中」と云います。中国の聖王、堯が舜に授ける道統では、「允(まこと)にその中を執れ。」といい、易経でも最高の徳は中です。
人が自分で思う正しさなどは天地や宇宙から見れば最高のものではありません、中こそが真の道であり、自分の思う正しさに偏らなければ中は得られるのです。
そして、心に中を得れば、平和の心、和する道を歩めるのです。人は優劣など無くし、仲良くするのが一番大切だと思うのです。人が互いに思いやりを持てば和気は盛んになります。即ち平和の礎となるのです。
私が書く「玄徳道」も正しさを追求していません。何故なら私は、マヌケな人間であり、間違いも誤りもたくさんあるからです。
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「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中る、これを和と謂う。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物を育す。」



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