玄徳道

道を語るブログです。

真誠の学への道

2012-06-18 21:02:06 | 天道
真誠の学とは真実の学びであり、学理に偏らず日常生活で行い、示し、学ぶ学問であります。道では主に「大学と中庸」であると私はかつての師に学びました。
今の人は道を聞けば笑い、相手にしてくれる方は多くはありませんね。しかし、この道が無ければ、人の道即ち思いやる仁道が無くなり、道なき世界では人類は果てしなき争いの修羅の世界に陥り、滅びに向かいます。
道とは学びであり学問であり、学問は聖賢の誠(真心)から発し、誠は渾厚の気により発するのです。渾厚の気とは、人が欲望や妄信に従わず、本来の自分である、道心・内在神を以って天命に随う道で回光される気であります。そして先天の坐の道こそが本来の真炁を体得する道でもあります。

道院の真誠の学は「太乙北極真経及び太乙午集正経」でありましょう。「道院とは、宇宙の真理を究明する最高学府である。」と明示した所以でもあります。
私は考えます、最高であろうが最低であろうが道を学ぶのは人であります。自分であります。例え最高学府の学門を学んでいようとも、日常生活での仁義礼智信がおざなりであれば、知識に偏るだけの愚者であります。儒教の世界では論語読みの論語知らずの腐儒でありましょう。たとえ、道院に入らずとも、自分に合った学問、スピリチュアル、神道、様々な宗教を一生懸命学び、己の魂を高め、日常生活で生かしている方が道に適っていると思います。

人は、偏する心に囚われない為にも様々な本を学ぶべきだと思います。しかしブログNO1の伊勢白山道氏は、御自分のブログのコメ欄では、自分の書いた本だけを再読再読と言われ、他の本は霊的垢があるともいわれます。ある宗教団体の教祖F氏は昔、大本の本で「神仙の人 出口日出麿」を本から稲荷が出てくると称し、他教の書籍は、宗教教団霊が憑かれるなどとも言います。
基本的に霊能力者の世界は自分の観た世界に固執します。そこに固執する以上、自分のみが正しく他は、誤りであるのです。そして視えない世界の霊を持ち出して人を脅します。おそらく、この人達の観た霊とは自分の取り巻きの霊であります。霊で脅す人には、決して聖霊の加護はありません。そして彼らの言葉にも真実は遠く離れて行くでしょう。
正道の不思議はありえないのです。自分の書いた著作のみを勧めるのは、偏りであります。

真誠の学とは、修道する人が後天(人心、欲心)より先天(道心、内在神)返り、後天の物欲を化すところの手段であります。ここで渾厚の気が厚くなるのです。渾厚の気が厚い人とは福徳に満ち、霊が固く凝り、神が固く完(そな)わっております。神霊が特別に加護しているからではなく、すべては自ら得て、自ら成し、自ら修め養い、自らが悟るゆえんであります。

「大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止まるに在り。」

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コメント (6)
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