フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

フランソワーズ・サガン(5)

2009年08月05日 | Weblog
 [注釈]

 まずは、スキャニングの際に正確に読み取れなかった箇所がまたあったことをお詫びします。p.214 la litte’rature se venge toute seule : elle fait (….) と、un succe’s provosoire qui les ravage a` vie. の二カ所です。
 * cette passion incontro^rable et toujours contro^le’e : et は対立を表し、「がしかし」ほどの意味となります。「書く」という行為は、「狂気」である以上、「制御不可能」ですが、一方でそれが「作品」となるからには、その行為のうちに自ずと批評を孕むということでしょう。
 * il n’y avait pas plus de vrais e’crivains que de vrais peintres ou de vrais musiciens. : ne ...pas plus … que ~ : 「~でないのと同様に….でない」ex. Il n’est pas plus bavard qu’avant. 「彼は昔と変わらず無口だ」
 * Qu’e’cririe demande (…) - ve’rite’ devenue inconvenante (…) : Qu’e’crire demande (...) - [c’est une] ve’rite’(…). と読めます。つまり、ここで「真実」と言われているのは、書くことは、希有な才能を要求するということです。
 * gra^ce au doux me’pris qu’elle e’prouve pour... : elle は後出の la litte’rature を指します。

 [試訳]

 プルーストを読むことを通してまた、書くというこのすばらしい狂気を発見し、書くという熱情が制御不能ながらも、常に制御されていることにも気づかされた。ものを書くとは絵空事ではなく、容易なことでもない。当時すでに広まっていた考えとはまったく逆で、本物の画家、本物の音楽家がいないように、本物の作家というものも存在しない。私に分かったのは、書くという才能は、ごく少数の人々にしか恵まれない運命の贈り物であり、それを職業に、あるいは手慰みにしようとする浅はかな人間は、惨めな冒涜者でしかない、ということだった。ものを書くには、正確な、貴重な、滅多に見られることのない才能が要求される。それは今日、受け入れられない、ほとんど反時代的な考え方にしても、真実である。けれども、似非文学信仰者や文学者気取りには文学の穏やかな軽蔑が差し向けられ、文学はひとりでに復讐を果たすだろう。いたずらに文学に、ほんの指先だけでも、触れようとする者を、文学は手厳しくも役立たずにしてしまい、そんな者たちには何ものも与えてくれない。時に残酷にも、束の間の成功を与えることはあっても、それでその者たちは人生を棒に振ってしまうのだ。
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 さて、それでは次回はこのテキストを読み切ってしまいましょう。それで、立秋も見送ってからの、遅い夏休みにしたいと思います。
 次回読むところにも、2箇所訂正しなければならないところがあります。
 p.215 les plus vivaces et les (tes) plus complets de mes souvenir.
   alors que les souvenirs du cœur (cour) ne m’ont jamais laisse’qu’un flou...
  smarcel